2006年11月27日

イメージの力〜上田紀行『スリランカの悪魔祓い』(その2)

ちょっとした事情で、うちの家にはまだ子どもがいない。作ろうという努力をしていないので、「不妊」というよりは「未妊」に近い状態かもしれない。
自分自身のことなのだから、当の「事情」を頭で理解することはできる。自分と主人が、その責任を半々に負っていることも分かっている。けれども、「あともう少し、時を待とう」と言っている間に、容赦なくどんどん過ぎ去ってしまうのが時間というもので、これはひょっとしてアレかも、迷っている間に、その「時」を決定的に逃してしまうのがオチなのかも、という思いが、私の中で危険なほどネガティブに膨らんでしまった時期があった。

あれは悪魔が憑いていたかもなあ、と我ながら思うような最悪の状況だったのだけれど、そんなこんなで数年が過ぎるうちに、逆に心の整理がついてきたから不思議なものだ。35歳からが「高齢出産」というのは、実のところ一つの指標にすぎない。人がいつ死ぬのかは誰にも分からないように、「産む」「生まれる」ということも、自分ひとりの力でコントロールできることではない。もしも時が来れば、自然にそうなるものだし、時がこないと決まったら、その先どうするかをまたゆっくり考えればいい。そのための時間なら、まだまだ十分に残されているじゃないか…なんて考えているうちに、徐々に失われていく「可能性」を思うたびに悩まされていた、あの何ともいえない気持悪さが、少しずつ薄らいできたような気がする。

やや大げさな表現だと思うし、もしかすると不快に感じる人もいるかもしれないけど、こうした心境の変化は、リハビリテーションの分野で言う「障害の受容 (Acceptance of Disability)」のプロセスになぞらえることができるかもしれないと思う。重大な病気や事故を受けた患者は、その直後は「ショック期」にあり、自分の置かれた状況に意外に無関心なのだそうだ。やがて、障害が簡単には治らないことが薄々分かってくると、心理的な防衛反応が生じて、障害を無視しようとする「否認期」が訪れる。けれども、圧倒的な現実を否認し切ることは不可能なので、そのうち内外への怒りが爆発したり、抑うつに満たされたりする「混乱期」に入る。そこから、自立へのニーズが優位に立つ「解決への努力期」へと向かい、一進一退の努力を経て「受容期」へと達したときに、初めて「ふっきれた」と感じるのだという(上田敏『目でみるリハビリテーション医学』より)。

私の場合、事はやっと「解決への努力期」にさしかかったばかりという気がするけれど、そこで大きく役立ってくれているのが、上田紀行さんが書いていた「イメージの力」であるように思うのだ。
イメージが持つ力はとても強い。それは、心と体の間の強いつながりを物語るもので、人間だけではなく、動物や植物にも大きな影響をおよぼす、と上田さんは書いている。

 このことを劇的に示すひとつの実験がある。オハイオ州立大学で行われたウサギを使った実験である。
 それはコレステロールと動脈硬化の関連についての実験だった。ウサギに脂肪分の多い食物を一定期間与え、その後解剖して動脈硬化の様子が調べられた。ところがそこに説明できない結果が現われた。あるグループのウサギだけがグループ全体より60%も動脈硬化の発生率が少ないのだ。
 同じえさを食べているのになぜ60%もの違いが出るのか。その原因を調べていくうちに、そのグループはあるひとりの研究者によってえさを与えられ世話をされていたことがわかった。この研究者はウサギ好きで、実験中にウサギたちに話しかけたり、撫でたりしていたのだった。
 この結果は単なる偶然なのだろうか? それを確かめるために今度は組織的に実験が行われた。二つのグループに同じえさを与え、一方のグループのウサギだけ、一日に数回同一の人がかわいがり、話しかけるようにした。そしてその結果は、前と同じくかわいがられたウサギの方が発生率が60%低かったのである。
 動脈硬化は食物の中のコレステロール分が動脈に沈着して起こる純粋に「身体」的な病気である。しかし、メカニズム自体は身体的なものであっても、その全体は「心」的な要因によって左右されるのだ。同じコレステロールの量を取っていながら、「孤独」なウサギは動脈硬化になっても愛されているウサギは病気にならないのだ。しかも、この実験の対象はウサギである。ウサギの心に起こったことならば、複雑に心を発達させた人間にはもっと多くのことが起こってもおかしくないと考える方が普通だろう。
 1973年、マサチューセッツ州の特別対策委員会がひとつの報告書を提出した。動脈硬化症患者が生き残る可能性についての調査結果だった。その決定要因は何だろうか。驚いたことに、それは喫煙でも、高血圧でも、血中コレステロールのレベルでもなく、「仕事への満足度」だった。そしてそれに次ぐ要因は「総体的な幸福感」だった。(一部中略)

最近、ふとした拍子に、主人が「つるり」と私のお腹を撫でてくれることがある。それは気のせいか、その中にアレが、子宮が眠っているということを改めて意識させてくれるような撫で方で、そのたびに私は、コレステロールにも負けずに長生きするウサギになったみたいな、不思議な気持ちになってしまうのだ。
一時期は、交通事故で片足でも失ったかのように、大層な悲嘆にくれていた私だけれど、考えてみれば、その「失われた足」というのは、何かの拍子にまたひょっと生えてくるかもしれない足なのだ。可能性がどんなに低くても、そうした「まさかの場合」のために、心の準備くらいはしておかなくてはならない。少しずつ、できることから、他ならない自分自身の成長のためにも。

まだ子どもを持たない私にとって、ベビーのイメージは、この世で最もストレートな「再生」のイメージでもある。まさに悪魔祓い、病退散のための「ポジティブなイメージ力」となって、今も私たち一家を支えてくれているのだと思う。
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2006年11月24日

悪魔と癒し合う〜上田紀行『スリランカの悪魔祓い』(その1)

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最近、このブログも少しずつ更新日がずれ込み始めている。元来飽きっぽい上に、スケジュール管理が甘いときているから当然の成り行きかもしれない。長期にわたって書き込みが続いているあちこちのブログを見るにつけ、すごいなあ、と感心することしきりの今日この頃だ。
ともあれ、ずれ込みついでに部屋の整理などをしていて、何年か前に古本市で買ったきり忘れていた本を本棚の奥から発掘した。文化人類学者である上田紀行さんの『スリランカの悪魔祓い』だ。

1948年にイギリスから独立して以来、急速に近代化してきたスリランカだけれども、農村部では今なお民俗仏教が息づいていて、『悪魔祓い』の儀式が頻繁に行われている…そんな事実を知った上田さんは、知人の紹介を頼りに南方の村々を訪れ、呪術師たちに取材を申し込んだ。聞けば、村々は折りしも旱魃に襲われていて、連日のように悪魔祓いの儀式が行われているという。こうして念願の「悪魔」との出会いを果たした上田さんは、うだるような猛暑の中、夜を徹して行われる儀式の数々を、何ヶ月にも渡って調査し続けた。そのフィールドワークの詳細と、そこから上田さんが導き出した「悪魔観」――悪魔とは何か、それを祓う儀式とはいったい何を意味するのか――が記録されているのがこの一冊だ。

国立の病院が多く、医療費も無料だというスリランカでは、ほとんどの患者はまず町の病院へ行く。けれども、薬を飲んでも良くならなかったり、検査でどこにも異常が見つからなかったりすると、人々は呪術師の元を訪れ、悪魔祓いを受けるのだそうだ。
儀式が始まると、力強いドラムの演奏に合わせて、鮮やかな衣装をまとった呪術師たちが登場し、「悪魔とブッダの戦い」を表現したダンスを踊る。そのパフォーマンスは見事なもので、中には「スリランカ舞踊団」の一員として、日本公演に参加したことのある呪術師もいるほどだという。
一方、村人も心得たもので、ドラムの音が辺りに響き始めると、誰からともなく集まってきて、見物客をもてなす「宴会」に参加する。患者を治療するための儀式でありながら、多くの村人が集う社交の場でもあり、華麗なダンスに彩られた祭りでもある「悪魔祓い」は、村人にとって無くてはならない大切なリフレッシュの一時なのらしい。
儀式がクライマックスを迎えると、「悪魔」と一体化した患者たちも、自らドラムの音に合わせて踊り狂う。やがて、ダンスが終了すると共に、「悪魔」も無事どこかへ去っていき、ストレスを発散しつくした人々は、皆すっきりした顔になって元の平穏な生活に戻っていくのだという。その結果、「治療」の成功率は相当なもので、『悪魔祓いの三か月後に訪ねると、二十四人の患者のうち四分の三の十八人は心身の不調が治り、問題は解決したと答えた』。

かくして「悪魔祓い」の詳細を知った上田さんは、その成り立ちが、医療の現場で行われている「イメージ療法」にあまりに似ていることに驚いたという。不調の原因である悪魔を、ブッダの力で追い払う「悪魔祓い」。一方、イメージ療法として知られる「サイモントン療法」では、自分の体内の病巣を具体的にイメージして、それが薬物などによって撲滅されるところを思い描くのだそうだ。
幼いころから仏教に親しんでいる村人にとって、ブッダは悪魔を追いやるスーパースターの役割を果たしている。一方、現代人の場合は、科学に対する信頼感が同じような役割を果たしていて、最新の治療法に対する期待が高ければ高いほど、その奏功率は高まるのだという。
けれども、この両者には明らかに異なる点が一つある、と上田さんは言う。

…それは、サイモントン療法の病巣と悪魔祓いの悪魔の性格だ。どちらも患者の体から出ていくべき存在だけれども、その二つに対する見方は根本のところでまったく異なっている。サイモントン療法における病巣は明らかに敵である。その敵は徹底的に攻撃し、殺戮し、滅ぼされなければならない。しかし、悪魔祓いの悪魔はそうではない。儀礼の最後で患者は悪魔と笑い合う。そして悪魔は殺されるのではなく、笑いながら去っていくのだ。
 悪魔は悪そのものだ、だから殺せ、という考え方は悪魔を物と考えてその存在そのものを否定しようとするものである。しかし、もう一方の考え方で問われているのは、悪魔の存在ではなくて、悪魔との関係のあり方なのだ。悪魔といえどもこの世界に生きている限りはその存在を抹殺することはできない。それならばいい関係を築けばいいじゃないか。敵ではなく、悪魔も味方にしてしまえばいいじゃないかという考え方なのである。
 スリランカの悪魔祓い、それは悪魔の排除ではなく、悪魔との和解である。だから悪魔「祓い」というのは正しくないのかもしれない。それは悪魔祓いというよりは「悪魔遊び」とも言うべきものなのだ。敵と見えていた悪魔を味方にして、その悪魔と一緒に遊んでしまう。それは、悪魔の抹殺ではなく悪魔の心変わりを促す悪魔とのパーティなのだ。
 そして、その心変わりは悪魔の側にだけ起きているのではない。患者の側もそうなのだ。なぜなら、本当は一緒に笑い合える友達にもなれる悪魔を敵として見ていたのは、半ば患者の側にも責任があったからである。…(一部中略)

そういえば、長い間忘れていたこの本を、今になってとても面白く読めたのは、最近自分でも「悪魔祓い」を受ける患者に似た経験をしていたせいかもしれない。

(その2に続く)
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2006年11月20日

弓術の極意と「何にもしないこと」〜河合隼雄『心の扉を開く』より

心の扉を開く心の扉を開く
河合 隼雄

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以前、『こころの生態系』を読んだとき、河合隼雄さんの「何にもしないことの大切さ」についての話が印象に残った。

私がやっている心理療法の現場では、実際に何もしないことが多く、私は自分の職業を、「何にもしないことに全力をあげる商売」と言っていますが、これも、なかなか全力をあげられないのが現状です。…

同書の中で、対談相手の中沢新一さんも言っていたように、「河合先生が言うことは、易しいようでいて、とても深いなあ」というのが第一印象だった。けれども、何だか雲をつかむような話でもあり、具体的にはよく意味が分かっていなかった、というのが正直なところだ。
こうした至らない読み手がいることを、河合先生は十分承知していたのかもしれない。「何にもしないこと」というテーマについては、あちこちで繰り返し講演されたり、書かれたりしている。たとえば、この『心の扉を開く』の中では、「何にもしないこと」は、"それ"と言い換えられていた。

われわれ心理学の世界でいいますと、"それ"はドイツ語で"エス(ES)"といいます。これはフロイトが無意識のことを指すために、"エス"と呼んだのです。エゴというか、自我に対して、われわれは、自分ではわけがわかっていると思うけれど、わけがわからないことが心の中にあります。名前をつけようがない。だからフロイトは「"それ"にしておこう」と考えた。面白いですね。

"それ"は、人にとってどのような意味を持ち、どのように心の内面に働きかけるのか。その具体例として、河合先生は『日本の弓術』という本を引用している。

オイゲン・ヘリゲルというドイツの哲学者が東北大学に来まして、日本人に哲学を教えたのですが、彼は自分も日本のことをもっと知りたいというので、すごく日本的な日本の弓を習おうと思うんですね。すると、弓の先生はすごいことを言い出すんです。「矢を放そうと思ったらいけない」、「射とうとしてはいけない」と。矢が飛んでいくのであって、あなたが射ってはいけないと言うのです。その練習をしなさいというのだけれど、ドイツ人ですから、いくら言われたようにしようと思っても矢は離れないわけですよ(笑)。
「先生、そんなことを言うけれども、離そうと思うから飛ぶわけだし、的を狙うから的に当たるわけだし。先生は的を狙ってもいない、離そうとも思っていない、それで射てるなんて言うんだったら、真夜中でも射てるんでしょうな」と、ヘリゲルが腹立ち紛れに言うのです。すると、先生は「そしたら、今晩、道場に来てください」と言うんですね。
で、道場に行ったら、ろうそくの明かりがあるのですけれども、的はぜんぜん見えません。真っ暗な中を先生が射つのです。しかし矢は見事に的に当たり、しかも二の矢を射ったら、それは一の矢の矢筈を割って刺さるのです。それをヘリゲルに見せて、先生が言うんです。
「これは私が射ったのではありません。"それ"が射ったのです。"それ"に二人で頭を下げましょう」と。"それ"の偉大さというか。わかるでしょうか。"それ"というのは、ものすごくイヤで恐ろしい面と、また、それにおまかせしたら素晴らしい面と、まるっきり違う感じがある。そういうことで言うと東洋人の方が、"それ"のポジティブな面をよく知っているといえるように思います。
それはなぜかというと、自我というものをがっちりと作って、それが外界にどう対応するかというふうに考える西洋人に比べて、東洋人は自我のつくりが曖昧なんです。自我をしっかりと守り過ぎると、こういう面白いことは起こりにくい。そのよさというのを最大限に知っている人が、こういう弓の人なんですね。(一部中略)

ここで河合先生が、「西洋」と「東洋」の対比として話しているのは、実は『こころの生態系』で話されていた、「オペレーション(操作)」と「自然のまま、何にもしないこと」との対比に等しいのだろうと思う。つまり、「何にもしないこと」とは「"それ"におまかせすること」、自我の働きをひと時抑えて、自分の心の扉を開き、その深いところをだんだん見ていくことだと、河合先生は言い換えているようだ。
もちろん、あまり深みに下りすぎてしまって元に戻れなくなれば、それは一般に「精神病」と呼ばれているような状態になる。だから、普通の人は「心の扉」を適当に閉めて、ちゃんと生きている、ということらしい。

    ***

ところで、このエピソードには後日談がある。あるテレビ局が、日本の弓道と西洋のアーチェリーとの対決という番組を作ったところ、なぜか日本の弓は大外れにはずれ、西洋の弓の方がよほどよく当たった。これを見ていたあるアメリカ人が、「僕はオイゲン・ヘリゲルを読んで、ものすごく感激したけれど、実際にテレビでやったら、西洋の方が勝っていた。あれはどういうことか」と尋ねてきたのだそうだ。

僕はこう言ったのです。「ああ、あれは、テレビに出ますと言ったときに、日本はもう負けています」と。日本の弓術は、テレビでやるもんではありません。見世物にやろうと思ったときに、その人はもう負けているんです。見世物に勝とうと思っている人が、"それ"の力を借りたりはできません。「自分で何とか当ててやろう」と思うのに違いないですよ。だから、それはほんとうの日本の弓術ではありませんと言ったら、みんな「なるほどな」と感心してましたが、どこまでほんとかわかりません(笑)。でも、わかるでしょう、その辺りが非常に難しいんです。
だからと言って、全部、西洋がいいかというと、実際にオイゲン・ヘリゲルが経験したようなことがあったのは事実だし、それを聞いたときに、僕らは「なるほど」と思うところがありますよね。"それ"におまかせする。現代に生きるとは、この両者を共に受けいれることだ、と思います。(一部中略)

河合先生はちゃかしているけれど、私もこの説明にはいたく感心してしまった。"それ"の力を借りる、ということが、「何もしないこと」の本質ならば、それは本当に大変なことだ。
"それ"には、プラスの面もマイナスの面もある。けれど、フロイト派のように、マイナスの面を押さえ込むだけではなく、プラスの面を生かしていくことも大切な課題だ、とユングは考えていた。それは、こうした武道の極意にも通じることだし、カウンセリングの技術の中でも、とても大切なポイントなのだ、と河合先生は説明している。興味深い一冊だと思う。
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2006年11月16日

年輪をきざみながら〜別役実『満ち足りた人生』より

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「人はその生涯に、一本の樹を植え、一軒の家を建て、一人の息子を持たなければならない」
かつての英国には、こんな人生観があった。少なくとも、『満ち足りた人生』の冒頭で、別役実さんはそう書いている。「…つまりこれが、人が生きるに当たってしなければならない基本的なことであり、その他のことは、ほぼ余分なことと考えられていたのであろう。きこりで、借家に住み、娘ばかりしか持ってないものというのは、余分なことばかりしてきた人間ということになる」。
きこりが人生のアウトローかどうかはさておき、こうした古き良き英国の「人生の基本」を、今の日本で実現するのはなかなか難しい、というのが別役さんの考えだ。

植木市でそれらしい木を一本買ってきて、アパートの物干台に置いたとしても、我々が毎日使う紙のことを考え、そのために費やされるパルプ材のことを考えれば、「一本の木を植え」ることの、むしろ虚しさの方を感じとってしまうに違いない。まともな職業につき、まともに稼いでいるものが、「一軒の家を建て」ることが出来ないのは、万人の知るところである。「一人の息子を持つ」ことは何とか出来そうに思われるが、なかなかそうではない。男の子は育ちにくいし、育ってもすぐにグレるし、グレないで何とか成人したと思ったら、オカマになってしまったりする。

       ***

そういえば、一本の木を見て、その立ち姿から人生に思いを馳せる人は多いようだ。『巨樹を見に行く』の中で、梅原猛さんは、屋久杉を見たときの感動をこんな風に言い表していた。

七千の齢に耐えし屋久杉は天に連なり身じろぎもせず

巨樹は七千年の齢に耐えて、神のいる天に連なって身じろぎもしない。人間におもねることなく厳然と長い時間耐えて、そこに存在している。縄文杉と対面した私の口から、いつになくこんな歌が出てきました。こういう屋久杉のような人間になれたら素晴らしい。百分の一しか生きていないけれど、私もそういう人間になりたいと思ったのです。

千年杉はあまりに崇高すぎるとしても、木のようにじっくりと、人生の年輪を重ねるような生き方をしたい…そう思うことがある。諸事情あって、毎日そのように泰然とした気分ばかりではいられないのが現実だけれど。そもそも脈絡もなく「木のような人になりたい」と口走ってばかりいたら、周囲からドン引きされてしまうのがオチだろう。
けれども、そうした現実は現実なりに、「満ち足りた人生」を送ることはできる、と別役さんは書いている。

…というわけで今日我々は、かつて英国にあった人生の基本を、ひとまずあきらめなければならない。きこりがそうであったように、余分なことばかりをし続けなければならないのだが、それでは我々に「満ち足りた人生」というものが約束されていないのかというと、そうではない。「余分なこと」を「余分なこと」と知りつつ、正確に、厳粛に、しかも感動的に行うことによって、「基本的なこと」を行ったと同じことになる、という考え方があるからである。

 年を経た樹は、切り倒すとそこに年輪が現れる。人はそれを見て、その樹が経てきた歳月を思いやるのである。しかしそれは、切り倒さない限り目にすることは出来ないのであるから、樹自身は決してそれを知ることが出来ない。そして樹は、そのことを必ずしも、「残念だ」とは思っていない。
 「残念だ」と思うのは人間である。だからこそ樹よりみっともないのであり、樹ほど悠然と構えていられないのだが、それが人間だからしょうがない。人間は、日ごとに、月ごとに、我が身の年輪を確かめたがり、日記につけたがり、反省したがる。
 樹は、いながらにして「満ち足りた人生」そのものであるが、人間は、「果たして私の人生は満ち足りていたのだろうか」という、とめどもない袖いの中で、もしかしたら「満ち足りる」のかもしれないからである。(一部中略)

この『満ち足りた人生』という本は、「入学」「免許」「喫煙」といった、現代社会での「人生の基本」と思われる事柄に、別役流の解釈を加えたエッセー集になっている。「売名」や「殺人」についての文章があれば、「叙勲」の話もあり、あるいは「排便」なんていうのもあり、もちろん最後は「葬式」でしめくくられている。
来ないときには来ない、来るときには一気に来る仕事の波間で、ふとこの本を読む。笑いが出る。しみじみとする。さあ、もうひとがんばりしようという気にしてくれる、そんな妙な味わいのある一冊。
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2006年11月13日

地球を焼くということ〜入澤美時『考える人びと』より

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ある工芸村で一時期働いていたせいか、「伝統」という言葉にはとても重みを感じる。時代を超えて長く残ってきたものには、それだけの意味がある。自分の代で絶やすことなく、後世に伝えていかなければならない財産、それが「伝統」なんだと、年配の職人さんからはそんな風に教わった。村での数年間の思い出と一緒に、今でも心に残っている貴重な教えだ。

けれども、「伝統というのは主体性があんまりなくて、学習のくり返しによってでき上がっていくもの。鳥類レベルの思考だ」と、どきりとするような考えを語っている人もいる。小学校で絵の教師をしながら、自由奔放な「やきもの」を作り続けてきた芳村俊一さんだ。

「やきもの」に関心を持ち始めた頃、小学校に窯を作って楽焼を焼いていたという芳村さんは、あるとき子どもたちから「水彩絵の具を上薬にしたら?」と言われ、はっとする。「いままでの概念的なことを考えると、水彩絵の具は上薬ではないことになる。でもちょっとまてよ」。独学の自分は、「上薬はこういうふうではいといけない」と誰かから習ったわけではない。それなのに、実験もしないで子どもたちのアイデアを否定するのはおかしい。そう考えて、実際に絵の具を上薬に使ってみたところ、意外な収穫が得られた。「水彩絵の具の黄色を使って、これで焼くと面白い」。それ以来、芳村さんは、身近にある素材を生かしてやきものを作るようになった。新しい土や石を探し求めて、全国を行脚するようにもなったという。

地底深くから押し出された石、オフィオライトというんだけれども、それに属するものがなかなかいいんです。京都府の大江山などには、岩石が風化した土があるでしょう。そういう土は焼くと熔けてしまうけれども、そこまで焼かないで止めておくと、地底の色が全部出てくる。それが面白くってね。

「もともと、地球自体がやきものなんだ。土っていうのは、そのやきものが風化してできた。その風化した土を、またやきものにするんだ。だから戻していくことなんだ。これらの循環がやきものなんだ」…そんな芳村さんは、やきものを作り続けながらも、「作品」を創ることににはまったく興味がなかったという。ただ面白いから、次から次へと焼いてみた。それが自分のやきものなのだという。

それで、えらい話が飛びますけれども、鳥類は頭がいいんですよ。イギリスで一羽のヤマガラがあるとき、牛乳瓶の蓋を嘴でつついて取る方法を発見した。そうすると何年か後、イギリス中のヤマガラがすべて牛乳瓶の蓋を取れるようになっちゃってね。鳥類は人類に比べてずいぶん脳は小さいけれども、学習能力が大変高いんだ。
ところが哺乳類はそうではなくて、脳は大きい。そのなかでも、特に人類の特徴である手で握るということが、大きな位置を占めている。

じつは手が器用だっていうのは、手先じゃあない、大脳なんです。その証拠に、手が不自由な人でも、口に筆を咥えたり足に筆を挟んだりして、上手に絵を描くわけです。手先は関係ない、大脳が関係ある。手先だけの単なる訓練じゃあないっていうところに、主体性でもって文化をつくっていくことの基本がある。

そこで、いわゆる伝統っていうのは、主体性があんまりなくって、学習のくり返しによってでき上がっていくもの。伝統っていうのは、鳥類のものなんです。
大事なのは伝統の一番最初の、牛乳瓶をつついたヤマガラなわけでしょう。「土はこうでなくちゃいけない」「釉はこうでなくちゃいけない」「焼きはこうでなくちゃいけない」、それはみんな伝統ですな。でもそれは伝統だから従わないといけないのではない。一番最初、これをやったらこうなるんじゃあないかと予測する、考えることができたから結果が生まれた。後世の人は、「ああして、ああしたから、こうなる」という結果がある。だからその通りにするというだけであって、それは技術ではない。鳥やサルみたいに踏襲しているにすぎない。そうではなしに、それもやってみよう、あれもやってみようということを、ずっともち続けるのが本来ではなかろうか。(一部中略)

そうか。芳沢さんは、決して伝統を否定しているわけじゃない。あの工芸村で、「時代を超えて長く残ってきたものには、それだけの意味がある」と話してくれた職人さんも、本当は芳沢さんと同じことを言おうとしていたんじゃないだろうか。
お客の注文通りにものを仕上げるという喜びがあれば、芳沢さんのように、とにかく作るのがおもしろい、だから作る、という喜びもある。でも、どちらにせよ必要なことは、主体的に考えて、自分の力で工夫するということだ。それを忘れると、伝統を守るどころか、逆に「伝統」というブランドに守ってもらわなければならない弱い立場になってしまう。

一九六○年、芳村さんは陶芸グループ「へんど」を作り、各地から集まってくる人たちにやきものの楽しさを伝え始めた。

芳村 一般的な陶芸教室的な面もありました。ただし違うのは、「上薬は何を塗りましょう」とかいわれると、「ああ、そこの石ころでも叩け」とか、「そこのブロック砕け」とか、「土を採ってこい」とか、そういう方向でしたね。だから外人が好んでね、すいぶん工房に出入りしていました。
―― それは日本にやきものを習いに来ている人たち?
芳村 ううん、ヒッピーみたいなやつら。
―― そのときも、土採りなんかを連れだってやっていたんですか。
芳村 そりゃあやりましたよ、よく連れて。九州一周とか、ヨーロッパへ出かけるとか。イタリアのフィレンツェ、ベネチア、フランスのリモージュをめぐり…。

「へんど」の活動は、四十年が過ぎた今も続いているという。そのうち、機会があれば伊豆まで出かけて、生き残りのヒッピーの人たちに混じって「そんじょそこらの土」を使ったやきもの作りに挑戦してみたいものだ。


★今回の関連ページです。

月刊やきものネット
人に陶あり 芳村俊一さん
posted by ふらら at 10:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評 旅・ひと・もの作り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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