2006年12月18日

「無の場所」へのピクニック〜中沢新一『アースダイバー』より

アースダイバーアースダイバー
中沢 新一

講談社 2005-06-01
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自転車に乗るのが楽しくて仕方がなかった時期があった。
そのころ会社勤めをしていたわたしは、ビール好きの上司の元から転属になったのを契機に、ライフスタイルを改めようと考えた。ちょうど、軽くて扱いやすい自転車を買ったばかりだったので、会社まで約8キロの道のりをそれに乗って通うことにした。
国道の最短ルートは車が多くて走りづらかったけれど、川沿いにサイクリングコースがあるのを発見してからは、朝のひとときを楽しむ余裕も出てきた。到着後、汗びっしょりのウェアを着替えるたびに、面白いように身軽になっていく自分を感じた。そのうち、通勤の行き帰りだけでは物足りなくなって、数十キロ離れた知らない街まで、地図を頼りに足を伸ばすようになった。

あるとき、地図を眺めているうちに、小学校の社会科で習ったことのある、有名な古墳の名前が目にとまった。以前から知ってはいたけれど、実際に見たことはないその古墳の麓を目指して自転車で走る。そんなプランが不思議と気に入って、天気のいい日を選んで自宅を出発した。

目的の街には昼過ぎに着いた。古墳公園の位置を地図で確かめているとき、ふと、山のようにこんもりと茂った緑が、さっきから横手に見えていたことに気が付いた。
初めて目にする日本最大級の古墳の姿は、地図上のイメージをはるかに上回る大きさだった。えんえんと切れ目なく続く緑を見上げるうちに、「これってお墓なんだな」と思わず考えた。自分でも意外なことに、そのとたん背筋がぞっとした。街の真ん中に、ぽっかり開いたブラックホールを見つけたような、そんな独特の違和感があった。

あの日、漠然と味わった感覚の正体を、より確かな形でフィードバックしてくれる本に出会ったのは、それから何年も経ってからのことだった。中沢新一さんの『アースダイバー』だ。

おもしろいと言う人もいれば、素人向けのほら話と言う人もいて、賛否両論のある同書だけれど、個人的には、その冒頭で紹介されている「縄文地図」の発想にとても惹かれる。中沢さんの説明によれば、縄文海進期の頃、まるでフィヨルドのように入り組んでいた東京湾の地形図を、現在の東京の地図に重ね合わせて製作したのが「縄文地図」だという。この地図を片手に散歩をしていると、それまで気が付かなかった街の一面が浮かび上がってくる、と中沢さんは書いている。

 どんなに都市開発が進んでも、ちゃんとした神社やお寺のある場所には、めったなことでは手を加えることができない。そのために、都市空間の中に散在している神社や寺院は、開発や進歩などという時間の侵食を受けにくい、「無の場所」のままとどまっている。猛烈なスピードで変化していく経済の動きに決定づけられている都市空間の中に、時間の作用を受けない小さなスポットが、飛び地のように散在しながら、東京という都市の時間進行に影響を及ぼし続けている。
 そして、そういう時間の進行の異様に遅い「無の場所」のあるところは、きまって縄文地図における、海に突き出た岬ないしは半島の突端部なのである。縄文時代の人たちは、岬のような地形に、強い霊性を感じていた。そのためにそこには墓地をつくったり、石棒などを立てて神様を祀る聖地を設けた。
 そういう記憶が失われた後の時代になっても、まったく同じ場所に、神社や寺がつくられたから、埋め立てが進んで、海が深く入り込んでいた入り江がそこにあったことが見えなくなってしまっても、ほぼ縄文地図に記載されている聖地の場所にそって、「無の場所」が並んでいくことになる。
 東京を歩いていて、ふとあたりの様子が変だなと感じたら、この縄文地図を開いてみるのである。そういうところはたいてい、沖積期の台地が海に突き出していた岬で、たくさん古墳がつくられ、古墳のあった場所には後にお寺などが建てられたり、広大な墓地ができたりしている。つまりそういう場所からは、死の香りがただよってくるのだ。(一部中略)

この本には飛躍が多いので、まともに読むには難がある、フィクションだと思って読んだ方がいいよ、と言う人もいた。けれども、それならそれでいいんじゃないか。少なくともこの本は、あのピクニックの日、古墳を見上げながら感じた違和感に、うまく名前を付けてくれた一冊なのだ。
ひょっとしたら、町中でふっと妙な違和感――「無の場所」の気配――を感じて辺りを見回したことがある人は、案外大勢いるのかもしれない。その気になって探しさえすれば、日本中のどの街にも、古墳や遺跡、古びた神社仏閣が、必ずひっそりと佇んでいるはずだ。都市開発の波を逃れて、昔の姿をとどめているそうした「無の場所」は、街それぞれの「縄文地図」が、時を越えてそこに確かに存在していることの証なのかもしれない。

(この記事は、別ブログ『掘れたて本』の記事を一部改変・転載したものです)
タグ:中沢 新一
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2006年12月12日

見えない敵とパチンコ台〜畑正憲『命に恋して』より

命に恋して―さよなら「ムツゴロウとゆかいな仲間たち」命に恋して―さよなら「ムツゴロウとゆかいな仲間たち」
畑 正憲

フジテレビ出版 2001-03
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北海道から東京へと思いがけない引越しをして、話題になっていた「ムツゴロウ動物王国」が、先月末に破産したらしい。やっぱり東京での王国経営はきつかったのか、動物たちは元気かなあ、と思っていると、映画『名犬ラッシー』の特別試写会に、ムツゴロウさんが犬連れで登場、というニュースが流れた。丸々とした子犬を膝の上に乗せて、「動物を飢えさせない『アニマルファースト』が私の哲学。自分が食べられなくても動物は食べさせる」と語ったムツゴロウさん。さすがだなあ、と思った。

この『命に恋して』は、今から5年前、長年続いたテレビ番組「ムツゴロウとゆかいな仲間たち」が終了すると同時に出版された。もともとは、分子レベルの生物学が専門だったという畑さんが、どのようにして生身の動物たちと出会い、あのテレビシリーズに携わるようになったのかが詳しく語られている。
「語られている」というのは、この本の場合、比喩ではなくて文字通りの意味だ。シリーズ終了直前のロケで、ライオンに指先を噛み切られてしまった畑さんは、痛みのために筆記用具を握ることができなくなってしまった。やむなく音声入力のソフトを使い始め、最初に仕上がったのがこの本だったそうだ。
命に関わるような危険に遭遇したのは、このライオン事件の時だけではなかったという畑さん。『命に恋して』の冒頭で描かれているのも、サンパウロのレストランで突然倒れ、病院に担ぎ込まれたときの臨死体験らしい。

 もういいな、ごくろうさまでしたと、自分の中から声がした。このままさよならをして、どこかへ消えていきたい。消えたって、不満は全くなかった。何もかも十分にやり尽くしたという感じがあった。空中に浮かんでいる私が私を見ている。その顔には飛鳥時代の仏像に見られるような静かな微笑があった。
 動物王国を持って以来、私は熱く熱せられたフライパンの上にいるネズミだった。ほっとできる時は、全くなかった。次から次に、いろいろな苦難が押し寄せてきた。そのたびに、普通の生活をしていたら、こんなことは味わわなくてよかったのにと思った。けれども、放り出してしまう気には一度だってならなかった。このやろうと気を張って、常に闘ってきた。それは、目に見えない敵だった。相手が目の前にいるのだったら、武者振りついて押し倒すことだってできる。でも、全く見えない敵と戦うのは、もどかしく、闘志が萎えそうになることもしばしばだった。

原因は、心配していた心筋梗塞ではなかった。それでも発作は繰り返され、世界各地の旅先で畑さんは意識を失い続けた。興味を持った現地の医者が、ありとあらゆる検査を駆使して調べたところ、意外な結果が出たという。

「あなたは、若い頃、無理を重ねていますね」
「はい。徹夜が趣味みたいに大好きでした」
「そうでしょう。ひとつでは間に合わなくなり、ペースメーカーがもうひとつ、心臓の中にできてしまっています」
「へーえ、そんなことがあるのですか」
 ペースメーカーの新生なんて、初めて耳にすることだった。よく知られているように、ペースメーカーは心臓の筋肉に電気的信号を送り続けている。それが二つあると、信号がバッティングして不整脈や頻脈の原因になるのだという。

ほかにも、得体の知れない現地の酒をあおって急性アルコール中毒になったり、過剰なストレスがたたって胃を切除したりと、常に満身創痍だったという畑さん。顔をくしゃくしゃにして動物と戯れている、優しげな「ムツゴロウさん」の姿からは想像もできない、強烈な舞台裏のエピソードだ。
しかも、そこで全くひるまないのがこの人のすごいところだと思う。心臓発作が度重なっても、体を休めるどころか、「このままでは薬に負けてしまう」と、命綱のピルケースをゴミ箱に放り込んで、地の果てのアラスカへと旅立ってしまう。

 半年ぶりのアラスカだった。清冽な大気。温かい家族。私の心は全開し有頂天になっていた。こうなると体のことなど忘れてしまうのが、私の突拍子もないところである。つまりはアホだ。細心の注意を払わなければならないのに、ジョージに合わせて飲みそして食べた。そして倒れた。
 頻脈、そして不整脈。
(中略)
 人には、元気な時には感じられないものがたくさんある。乗馬を三十年続けていると、しみじみそう思う。馬とのやりとりとか、馬と折り合いをつけるとか、人馬一体とかいうけれど、馬の背にまたがっていて馬と心の交流を持つのは、やさしいことではない。若い頃はほとんどそうだったのだが、こちらが元気旺盛で、まるで夏の太陽みたいな精神状態の時は、自分本位で突っ走る。つまり、イケイケという感じであり、馬には乗っているのだけれど、馬という生き物の千変万化する心の有り様を感知していないのである。
 ところが、風邪をひいていたり、骨折の痛みを抱えていたり、心に鬱屈があったりすると、乗り始めた時にかすかな違和感が生じ、馬と折り合いをつけるのに多少時間がかかる。おいおい、どうしたのだと、馬が語りかけてくる。それは、ごくごく微小な心の波動であり、元気いっぱいの人には受け取れないものである。健康状態が思わしくないというのは、その人にとっては弱点であろう。その弱点を通してこそ、水が浸入してくる。命のすごさは、実はここにあると私は思う。つながり合い、絡み合い、もみくちゃになって存在している中で、お互いの存在をより光らせるために極小の電波を発信している。馬が、こちらの不調に対して問いかけるのは、人間が使っている辞書には載っていない原始的な"やさしさ"なのだろうと私は確信している。強がりを言うわけではないが、いろんな事件に体と心をぶっつけ、絶えず傷だらけであったことを、動物や自然の交流ということに関してだったら、恵まれた、よかったなと私は自分の運命に感謝している。

そんな畑さんの闘いは今でも続いている。「東京動物王国」を破綻させた運営会社には怒り心頭で、「はらわたが煮えくり返るね。運営はオレがやるしかない」と息巻いているそうだ。71歳の畑さんが新たに抱え込んだのは、従業員への給料未払いなど、王国をめぐる数々の疑惑、そして約8億円の負債…。
先日は、なんと「ムツゴロウのパチンコ台が出た」というニュースが流れた。「あの人やったら、8億ぐらいすぐに稼げそうやな」と主人が言う。「でもなあ、8億やで」と答えた私も、『命に恋して』を読んだ後は、ひょっとしたらその通りかもしれない、と思い始めている。どんな苦境も、持ち前の運と体当たりで乗り越えてきた、不撓不屈のムツゴロウ・パワーが詰まった一冊。
タグ:畑 正憲
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2006年12月09日

次元の旅、揺らめく「宇宙のソト」〜アニリール・セルカン『宇宙エレベーター』より

宇宙エレベーター宇宙エレベーター
アニリール・セルカン

大和書房 2006-06-22
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子どもの頃、近所に工作好きのお兄さんがいて、みんなの尊敬を集めていた。身近な材料で器用にボートの模型を作り、モーターを取り付けて、池で操縦してみせてくれたりするのだ。
学研の「科学」の付録で手ごわいのがあると、よくこのお兄さんに頼んで組み立ててもらっていた。ある日、作りかけの「電動クワガタ」を持って行ったら、「わあ、これはもうどうしようもないわ。配線が無茶苦茶になっとる」と言い渡され、ショックを受けた。出来上がれば足が動くはずの優れものだったのだけれど、それだけ組み立てるのは難しくて、悪戦苦闘したあげくのことだったのだ。
それでも、時間をかけて修理に取り組んでくれたお兄さんのおかげで、クワガタは無事に動くようになった。ちょっと口の悪いところはあったけれど、腕が良くて(?)、とても頼もしいお兄さんだった。

この『宇宙エレベーター』を読んでいて、そんなお兄さんのことをふと思い出した。著者のアニリール・セルカンさんも、同じように工作好きな科学少年で、スクラップ工場に転がっている廃材を持ち出しては、いろんな実験や発明を試みていたという。中でも思い出に残っているのは、15歳のときに作った「タイムマシン」のことらしい。

NASAを始め、各国の宇宙開発に参加してきた物理学者で、トルコ人初の宇宙飛行士候補でもあるセルカンさんは、9歳のとき、小学生科学コンテストで優勝したのをきっかけに、科学者への道を歩み始める。ところが、スイスに留学したセルカン少年を待っていたのは思わぬ挫折だった。寮での悪ふざけが過ぎて、ボヤ騒ぎを起こしてしまった彼は、仲間ともども退学処分を受けてしまったのだ。

ちょうど高校を卒業する1年半前とタイミングも悪く、学期が変わる関係で転校すらできない僕は、半年間することがない。しょうがないので両親の元に帰って、母の美味しいご飯を食べながら毎日ふらふらしていた。
せっかく親元から離れて、自由気ままな寮暮らしだったのに、またキチンと部屋を片づけ、洋服を整理し、朝ご飯の時間を守らなければならない生活に逆戻りなんて!! 何より最悪だったのは、夜遅くなる前に帰宅しなければならないことだ。
結局、何をするでもなく、ボーッとただテレビを見ているだけの毎日を過ごしていた。

ところが、そんなテレビ番組に、セルカン少年の心を引き付ける一人のヒーローが登場する。タイムマシンを駆使して、悪いタイムトラベラーから歴史を守る「タイムコップ」という警官だった。
「俺、タイムマシン造るけど、来る?」
そんなセルカン少年の誘いは、仲間内に口コミで広がっていき、一緒に学校を辞めた子のほとんどが集まってきた。
タイムマシンを造るには、乗組員を光速で運ぶための「電子加速装置」を設計する必要がある。セルカンたちは、近所に住んでいた物理学者にアドバイスをもらい、「ソジウム22」という物質を使ってエネルギーを作り出す計画を立てた。ところが、そのためには「40kmもの長い銅線で造った巨大な電気コイル」を作らなければならない。そんな超特大サイズの電気コイルを、いったいどうやって作ればいいんだろう?

 その悩みを聞いて、この大実験を応援してくれていた両親が近所のサッカー場の管理人に話をつけ、グラウンド自体にコイルを巻いて大きな磁石にできるよう取りはからってくれた。33kmものワイヤーをサッカー場の回りに巻きつけるという前代未聞の作業には、2週間を要した。
 完成した電子加速装置ベタトロンの重さは150kg、力は230万V(ボルト)。話を聞きつけた新聞社なども含め、実験当日にはなんと総勢600人もの人がサッカー場に集まっていた。
 タイムマシンの乗組員は弟だ。
「すごく頑張ったからだよ」と本人には言ってあったが、本当は別の危険な理由があったからだ(その理由は、前項*を読んでいたら、もうわかるよね)。
 装置が稼動し、地球の磁界の2万倍にも当たる、ものすごいエネルギーが放出された。

けれども残念ながら、この「タイムトラベル」は失敗に終わった。期待が大きかった分、セルカン少年たちはすっかり意気消沈するのだけれども、その時、フィンランドからわざわざ実験を見に来てくれた友達のお父さんが、こんな言葉をかけてくれたという。

「なんで悲しむ必要があるんだい? タイムマシンは完成していたじゃないか」
「見てください、完成なんてしていないじゃないですか。実験は失敗です」
「そうじゃないよ。このタイムマシンを造った時、『過去』に戻って、学校で習ったことをしっかり思い出し、『今』という時間に精一杯準備をして、『未来』に向かって何をしていかなければならないか、考えたんだろう?
 つまり君たち一人ひとりが『過去』から『現在』、『未来』へと時を越えたタイムマシンになった、っていうことさ。大人にはできない旅だったね」

「そのコトバは、僕の胸に永遠に刻み込まれた」と、セルカンさんは書いている。やがて成人したセルカンさんは、タイムマシンを製作したのと同じ仲間たちと一緒に、「11次元宇宙理論」という論文を書き上げた。それは、「宇宙は10次元でできている」という現在科学の考え方に、さらにもう一つ上の11次元、つまりは「宇宙のまた一つ外側の、宇宙のソト」という概念をプラスしたものだった…

子どもの頃のタイムトラベルの夢から出発して、宇宙のソトに揺らめく別の宇宙、という発想にたどりつくまでの物語は、「原子より小さな世界」「伸び縮みする宇宙」など、魅力的なイメージに満ちていてすごくおもしろい。帯に『創造力で見つめた宇宙…21世紀のガリバー旅行記』とあるのも、なるほどなあ、とうなずける楽しい一冊。


*セルカン少年たちが、「電子加速装置」を作るために利用しようとした、「対消滅」というエネルギーのこと。その規模は桁違いだけれど、それだけ危険も大きかった。
『…時空を超えるほどのエネルギーを出すには、反物質をうまく利用する必要があるらしい。反物質とは、物質がもともと持っている質量や、エネルギーの回転はまったく同じなのにもかかわらず、それを構成している素粒子や電荷はまったく反対の性質を持つものを指す。プラスとマイナスを足すと0になるように、物質と反物質がくっつくと「対消滅」という現象を起こし、その瞬間、物質の質量がエネルギーに変化して、物質自体は消えてなくなってしまうのだ。
この「対消滅」で出るエネルギーたるや相当なもので、例えば1kgの物質と反物質をぶつけるだけで、1台の車を10万年もの間動かし続けられるし、対消滅させると大都市の一日分のエネルギーが発生することとなる。』
posted by ふらら at 10:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評 いきもの・植物・空 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月05日

アニムスを解き放つ日〜ゴッデン『ねずみ女房』より

ねずみ女房ねずみ女房
ルーマー・ゴッデン 石井 桃子 ウィリアムペン デュボア

福音館書店 1977-01
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あるところに、ねずみ一家の女房がいた。ねずみだから、毎日代わり映えのしない暮らしが続いていて、家族の姿もみんなそっくりだった。「もしねずみが、ひいひいお祖父さんや、ひいお祖父さんの肖像を描いてもらうとしたら、それは今のネズミさんの肖像と違わないでしょう」。そんなねずみたちは、外の世界のことをまったく知らなかった。巣穴のあるウィルキンソンさんの家の中だけが、彼らの世界そのものなのだった。
ところが、このねずみ女房だけは、他のねずみとは違っていた。「いま、もっていない何かがほしい」と思う。まだ自分が知らない、何か大事なことがあるはずだ、と。
そんな女房のことを夫は不審に思うけれど、毎日チーズのことばかり考えて暮らしているネズミ父さんには、彼女の気持ちが理解できない。そんなとき、ウィルキンソンさんの家に、捕らえられた一羽のキジバトが運び込まれてくる。生まれて初めて鳥を見たねずみ女房は、恐怖に震えながらも、吸い寄せられるように鳥かごへと近づいていくのだった…

この『ねずみ女房』は、『心の扉を開く』の後半、「III 内なる異性」の章で、アニムスを描いた本として紹介されている一冊だ。
アニムス、それからアニマというのは、「魂」という意味のラテン語で、「内なる異性」を意味する語としてユングが使ったことで有名だ。自分の持っている「内なる異性」を、外界にいる誰かに投影したとき、人はたまらなくその相手のことを好きになる。何しろその人は、自分自身の「魂」のイメージを、そのまま体現してくれている人なのだから。「ユングの考えの面白いところは、恋愛という途方もないことを説明するのに、すごく納得がいくことです」と河合さんは語っている。
そんなわけで、古来アニマとアニムスは、数え切れないほどの文学作品のテーマになってきた。シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』などはその典型だけれども、一見恋愛とは無縁のように思える作品の中でも、そうしたイメージが隠れたテーマになっていることがある。ゴッデンの『ねずみ女房』もその一つで、正統派の児童文学でありながら、「アニムス」が見事に描かれている傑作だ、と河合さんは言う。

行くと、ハトが何も食べないんですね。ねずみ女房が「これを食べたらどうや」と言うけど、ぜんぜん食べない。喉が渇いているからと水をやっても、水も飲まない。どうしたのかといったら、「露がほしい」と言うんですね、ハトが。ねずみ女房は、露などぜんぜん知らない。どういうことかといったら、外の世界に行ったら、森に露があると、そういう話をしてくれるわけですね。
ねずみ女房は、自分の知らない不思議な世界がほかにあって、しかも、そこをハトが飛んでいたというんですから驚きます、「飛ぶというようなことがあるんだろうか」と思います。このへんはほんとうに、異性と会って胸をときめかせて話を聞いたときとか、異性のことを思ったときの感じがよく出てますね。ぜんぜん自分の知らない世界にいて、手の届かないところにいて、どうも危ない、危ないけど行かざるを得ないという感じで行きます。行くんだけれど、夫は怒るんですね。
「なぜ、お前はそんなに窓のところばかり行ってるんだね。俺は気に食わん。ねずみの女房のおるべき場所は巣の中だ。さもなくば、パンくずを探しに行くか、俺と遊ぶかするべきだ」と言う(笑)。男が「〜するべきである」と言ってるわけです。けれども、女房はそんな"べきでないこと"を知っている。つまり、違う世界がある、絶対に違う世界に心をひかれ、そこに行くのです。(一部中略)

そのうち、家のことが忙しくなってきたねずみ女房だったけれど、暇を見つけては鳥かごに通い続けるので、夫の方もだんだん怒りが収まらなくなる。「雌ねずみが家に帰ると、こんな話をするのは残念なことですが、雄ねずみは雌ねずみの耳に噛みつきました」。思い悩むあまり、ねずみ女房は、とうとうこんな発想に至る。「ハトがあのかごの中にいるのは、やっぱりおかしいんだ。絶対にあれは外に出るべきだ」。そこで、かごの留め金に食らいついて力任せに引っ張ってみると、扉がすっと開いた。

…扉が自然に開いて、ハトがサッと出て行くわけです。それはもう、「あっ! あれが飛ぶということなんだ」と目の前でわかるのです。ここのところ、ほんとうに素晴らしいと思うのは「あれが飛ぶことなんだ! わかった!」というのと、「ハトがいなくなる」というのとが一緒なんですね。
ハトを一緒にずっとかごの中に閉じ込めていたら、うれしいような気がするけれど、飛ぶということはわからない。人間ていうのは、ほんとうに大事なことがわかるときは、絶対に大事なものを失わないと獲得できないのではないかなと僕は思います。何かを得るために何かを失わねばならない。失うのが惜しかったら、やっぱり獲得できない。しかし、その失うものが命だったり、幸福だったりするから、大変難しいんですが、彼女は飛ぶということがはっきりわかって、ハトが出て行くということになります。
 そのあとが面白いんですね。そういうことをして、あとにねずみには、孫もできるし、ひいひい孫もできるし。住んでいるんですが、このねずみ女房は、「見かけはひいひい孫たちと同じでした。でも、どこかちょっと変わっていました。他のネズミたちの知らないことを知っているからだと私は思います」。

アニマ・アニムスのイメージにも、実はいくつかの段階があって、人が成熟すると共にその意味合いがだんだん変化していくのだという。『ロミオとジュリエット』のテーマになっているのが、愛しい異性を求めてやまない思春期のアニマ・アニムスなら、この『ねずみ女房』に描かれているのは、「異性と結婚するというのではなく、むしろ異性を自由の世界に放つことによって叡智を獲得する」という、一つ突き抜けた段階のアニムスなのだ、と河合さんは結んでいる。
今後、ねずみ女房のようなアニムス・イメージを自分で経験するのは難しいかなあ、と思うけれど、そういえば「あの人は、何だかちょっと違う」という、ねずみ女房的な雰囲気を持ったおばあさんには、現に何人か会ったことがあるような気がする。
彼女たちは、それぞれの心の異性像・アニムスを通して、過去にどんな体験をしてきたのだろう。いったいどんな「魂の世界」を見、どんな「叡智」を得てきたのだろう…。ねずみ女房と、知人の顔をかわるがわるに思い浮かべながら、ふと有らぬ想像をめぐらせてしまいそうになる、そんな不思議な児童文学の一冊。
posted by ふらら at 09:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評 こころ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月01日

熱中する気持ち、うつくしい横顔〜灰谷健次郎『せんせいけらいになれ』より

せんせいけらいになれせんせいけらいになれ
灰谷 健次郎

角川書店 1999-03
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いま、個人的に感謝状を贈りたいと思っている人がいる。先日食道がんで亡くなった、児童文学作家の灰谷健次郎さんだ。
灰谷さんは、小学生の頃、初めて好きになった作家の一人だった。中でも『せんせいけらいになれ』は大のお気に入りで、飽きもせずにくり返し読んでいたような記憶がある。
この本は、小学校の教師をしていたころの灰谷さんの体験を元に書かれている。灰谷さんが現場で行っていた詩の授業と、子どもたちが実際に書いた詩が紹介されているのだけれど、その内容は子供心にもショッキングで、強烈なメッセージにあふれたものだった。
「ギャングのテスト」「ざんこくさいばん」「おとな観察記録」など、灰谷先生が出してくるテーマはどれも型破りだ。それに答えて書かれた詩も、同じ年頃の子の作品とは思えないほど生き生きとして、力強いように思えた。当時のハードカバー版(理論社)に描かれていた、坪谷玲子さんの愛らしいイラストのことも忘れられない。児童向けにひらがな表記されていることもあって、つい吸い込まれるように読みふけってしまう、そんな一冊だった。

「おならのこうぎ」

 わたしはおならです。わたしがでてくると、みんな、はなをつまみます。わらう子もあります。わたしのことを口にすると、たいていのおとなは、いやらしいといいます。おぎょうぎがわるいともいいます。
 おならというのは、そんなに悪者なのでしょうか。

   ■おかあちゃん*1年 くりやま・ともこ

   おおきいおしりが
   おもしろい
   おおきいおならを
   こきました

 なんとどうどうとしたかきっぷりでしょう。すこしもものごとにこだわっていません。人間が大きくなり、ねうちのあるしごとをするためには、くりやまさんのように、ゆうゆうとした心、海のようなひろい心をもっていなくてはなりません。

   ■おなら*2年 しいの・けいこ

   ぷすん
   ぱすんと
   おならをこきました
   それから
   わたしは
   おくさんごっこをしました

 この文には、おもしろはんぶんなところはすこしもありません。
 子どものせいかつが、ぶあつい本をよんでいるような力で、しかも、きりりとひきしまった文しょうでなげだされているのです。おならのわたしはこれをよんで、にっこりわらったものでした。
「おならは生活だぞ」
 と、さけんだものでした。
(一部中略)

小さい子どもはみんな下ネタが大好きだ。『せんせいけらいになれ』で紹介されている詩の中でも、低学年の子の作品はどれもシンプルで、とにかく笑えるものが多かった。気に入った詩を大きな声で音読しては、よく友達と一緒に笑い転げていたのを思い出す。
けれど、同じ「おなら」がテーマでも、3年生くらいの子になると、「えっ」と驚くほど凄みのある作品を書いていたりした。灰谷先生からの感想やメッセージも、それにつられるようにますます深みを増していくのだ。

   ■おなら*3年 光山 良子

   わたしが おとなだったら
   かんごふさんになって
   おなら ばっかり こきます
   びょうにんを しんさつしているときも
   おならをこきます
   かんじゃさんが がまんしてたら
   もっと もっと
   おならをこきます
   けっこんしても おならをこきます
   わたしのうんだ子どもにも
   おならを こかします
   うれしいときも
   おならをこきます
   おめでたいときも
   おならをこいて おいわいします
   わたしがいいことをして しぬと
   みんな おはかにきて
   ほめてくれるでしょう
   そのときも
   おならをこいて
   みんなをおどろかします
   かみさまにおこられても
   ぷーぷーとおならをこいて
   ごまかしておきます

 おどろきました。おならの詩はたくさんよみましたが、こんな詩は、はじめてお目にかかります。ここまでおならにのめりこんだら、おならもりっぱなもんだと思います。
 子どもの詩に、おならをざいりょうにしたものは多いです。おならというと、だれでもわらうし、なんといっても身ぢかだから、詩にするのにつごうがいいのでしょう。しかし、そういうざいりょうは、よくよくしっかりした心でかかないと、いいかげんな詩になってしまいます。
 光山さんの詩が、ずいぶんいいかげんなことをかいているようだのに、よむ人にすこしもいいかげんな気持をおこさせないのは、光山さんの心のなかに、人をわらわせてやろうという、いやしい心がすこしもないからなのです。
 へんないいかたですが、光山さんはおならとかくとうしているのです。おならのなかにのめりこんでしまっているのです。おならに熱中しきってしまっているのです。
 熱中する心というのを、もうすこしくだいていうと、すきですきでたまらなくなる心、むちゅうになってしまう心といえるでしょう。
 すきですきでたまらなくなって、じぶんでもこまるくらいになってしまった、というけいけんをもっている人はありませんか。すきになるものはなんでもよろしい。バナナをたべているときでも、絵をかいているときでも、もけいひこうきをつくっているときでも、いたずらをしているときでも、なかのよいともだちとあそんでいるときでも、なんでもいいのです。
 人間はなにかに熱中すると、うつくしくなるといいます。たとえばしごとにうちこんでいる人の横顔は、おそろしいほどうつくしいといいます。詩も、そんな顔とおなじです。むちゅうになっていればいるほどうつくしい作品がうまれるのです。うつくしいかがやきがにじみでてくるのです。(一部中略)

学校の国語の授業が退屈でたまらなくて、よく転寝をしていた私なのに、この本だけは妙に夢中になって読むことができた。あんな読書体験をしたのは、多分生まれて初めてのことだったんじゃないかと思う。詩の楽しさ、うつくしさのことを、私に教えてくれたのは灰谷さんだった。おかげで、うまい詩を自分で書くことはできないけれど、人のいい詩を読むのは今でも嫌いじゃない。
長い間、私にとってスーパースターの筆頭だった灰谷さん。本当にありがとう。どうか安らかに眠ってください。

★今回、トラックバックをさせていただいたブログのページです。

みたいもん
『灰谷健次郎さん死去に、児童問題が華やかであった頃を思い出す。』
posted by ふらら at 09:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評 子ども・絵本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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