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自転車に乗るのが楽しくて仕方がなかった時期があった。
そのころ会社勤めをしていたわたしは、ビール好きの上司の元から転属になったのを契機に、ライフスタイルを改めようと考えた。ちょうど、軽くて扱いやすい自転車を買ったばかりだったので、会社まで約8キロの道のりをそれに乗って通うことにした。
国道の最短ルートは車が多くて走りづらかったけれど、川沿いにサイクリングコースがあるのを発見してからは、朝のひとときを楽しむ余裕も出てきた。到着後、汗びっしょりのウェアを着替えるたびに、面白いように身軽になっていく自分を感じた。そのうち、通勤の行き帰りだけでは物足りなくなって、数十キロ離れた知らない街まで、地図を頼りに足を伸ばすようになった。
あるとき、地図を眺めているうちに、小学校の社会科で習ったことのある、有名な古墳の名前が目にとまった。以前から知ってはいたけれど、実際に見たことはないその古墳の麓を目指して自転車で走る。そんなプランが不思議と気に入って、天気のいい日を選んで自宅を出発した。
目的の街には昼過ぎに着いた。古墳公園の位置を地図で確かめているとき、ふと、山のようにこんもりと茂った緑が、さっきから横手に見えていたことに気が付いた。
初めて目にする日本最大級の古墳の姿は、地図上のイメージをはるかに上回る大きさだった。えんえんと切れ目なく続く緑を見上げるうちに、「これってお墓なんだな」と思わず考えた。自分でも意外なことに、そのとたん背筋がぞっとした。街の真ん中に、ぽっかり開いたブラックホールを見つけたような、そんな独特の違和感があった。
あの日、漠然と味わった感覚の正体を、より確かな形でフィードバックしてくれる本に出会ったのは、それから何年も経ってからのことだった。中沢新一さんの『アースダイバー』だ。
おもしろいと言う人もいれば、素人向けのほら話と言う人もいて、賛否両論のある同書だけれど、個人的には、その冒頭で紹介されている「縄文地図」の発想にとても惹かれる。中沢さんの説明によれば、縄文海進期の頃、まるでフィヨルドのように入り組んでいた東京湾の地形図を、現在の東京の地図に重ね合わせて製作したのが「縄文地図」だという。この地図を片手に散歩をしていると、それまで気が付かなかった街の一面が浮かび上がってくる、と中沢さんは書いている。
どんなに都市開発が進んでも、ちゃんとした神社やお寺のある場所には、めったなことでは手を加えることができない。そのために、都市空間の中に散在している神社や寺院は、開発や進歩などという時間の侵食を受けにくい、「無の場所」のままとどまっている。猛烈なスピードで変化していく経済の動きに決定づけられている都市空間の中に、時間の作用を受けない小さなスポットが、飛び地のように散在しながら、東京という都市の時間進行に影響を及ぼし続けている。
そして、そういう時間の進行の異様に遅い「無の場所」のあるところは、きまって縄文地図における、海に突き出た岬ないしは半島の突端部なのである。縄文時代の人たちは、岬のような地形に、強い霊性を感じていた。そのためにそこには墓地をつくったり、石棒などを立てて神様を祀る聖地を設けた。
そういう記憶が失われた後の時代になっても、まったく同じ場所に、神社や寺がつくられたから、埋め立てが進んで、海が深く入り込んでいた入り江がそこにあったことが見えなくなってしまっても、ほぼ縄文地図に記載されている聖地の場所にそって、「無の場所」が並んでいくことになる。
東京を歩いていて、ふとあたりの様子が変だなと感じたら、この縄文地図を開いてみるのである。そういうところはたいてい、沖積期の台地が海に突き出していた岬で、たくさん古墳がつくられ、古墳のあった場所には後にお寺などが建てられたり、広大な墓地ができたりしている。つまりそういう場所からは、死の香りがただよってくるのだ。(一部中略)
この本には飛躍が多いので、まともに読むには難がある、フィクションだと思って読んだ方がいいよ、と言う人もいた。けれども、それならそれでいいんじゃないか。少なくともこの本は、あのピクニックの日、古墳を見上げながら感じた違和感に、うまく名前を付けてくれた一冊なのだ。
ひょっとしたら、町中でふっと妙な違和感――「無の場所」の気配――を感じて辺りを見回したことがある人は、案外大勢いるのかもしれない。その気になって探しさえすれば、日本中のどの街にも、古墳や遺跡、古びた神社仏閣が、必ずひっそりと佇んでいるはずだ。都市開発の波を逃れて、昔の姿をとどめているそうした「無の場所」は、街それぞれの「縄文地図」が、時を越えてそこに確かに存在していることの証なのかもしれない。
(この記事は、別ブログ『掘れたて本』の記事を一部改変・転載したものです)
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