2007年01月04日

街の「ゆるみ」と粋な偶然〜『「ふと…」の芸術工学』より

「ふと…(セレンディピティ)」の芸術工学「ふと…(セレンディピティ)」の芸術工学
赤瀬川 原平 佐々木 正人 宮本 隆司

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このブログには、『とっとこロード』という名前の姉妹ブログがある。近所を「とっとこ」散歩しながら、見かけた風景を写真に「撮っとこ」…というお気楽な趣旨の日記なのだけど、開設当初には、それなりにお手本にしようとしていたモデルがあった。1980年代に大流行した、あの赤瀬川原平さんの「路上観察学会」と、そこから生まれた「超芸術トマソン」だ。
ご存知の人も多いと思うけれど、この「路上観察学会」の主な目的は、建物の一部なのにどうにも使い道のなさそうな「無用の長物」を探し、写真を撮ってコレクションすることだ。あるとき、赤瀬川さんらが、四谷のある家に「どこにもつながっていないコンクリート階段」があるのを発見したのが、この路上観察を始める契機になったらしい。

階段というのは上ればそこに何かの目的がある。この階段では登ったところに窓しかないので、ここにある窓を覗くのが目的ということになりますが、そのためだけにこれほど立派な階段を作るだろうか。
よくよく考えると、この世の中にいらないものなんて作られてはいないのだと気づきました。あえて無用な階段を作ることはありえないわけで、常識的に考えれば以前はこの階段の上に入口があった。ところがその入口が不用になって窓になってしまった。本来は壊すべき階段だけど、この家の敷地内ですから、壊すよりもとっておいてもかまわないだろうと残っていた。(一部中略)

無用なのに、やたらと立派なまま保存されているこの「四谷の純粋階段」に、すっかり魅了された赤瀬川さんたちは、こうした無用の長物の数々を「トマソン」と名付け※、鑑賞の対象にするようになったのだという。

「トマソン」というものを発見したのは、もともと絵が好きで、見ることが好きだったからではないかと分析しています。いつか描くのに幻滅してしまったので、もっとおもしろいものを見ようとした。単純な動機です。ぼくらの住んでいる街は人間が作ったものではあるのですが、その全部を完全につくったわけではなくて、家でも道路でも「ゆるみ」がそなわっているものです。しかもその「ゆるみ」は自然にできたものです。それを見ていくと頭では考えられない発見があって、実におもしろい。しだいにやみつきになりました。

長年の研究を通して、「フェイス・ハンティング」「原爆タイプ」「路上植物園」など、さまざまなジャンルが開拓されていったというトマソンだけれど、中でも主要なポジションを占めているのが、貼紙や看板の類のようだ。美しく整備されているように見える街角にも、実は上質なトマソンがいくつも存在していることを、赤瀬川さんは教えてくれている。

じつに深い作品があります。町内の表示板に「夜の中からゴミを出さないでください」の貼紙。当然「夜のうちから…」という意味なんでしょうが、普通こういう場合「中」という字は使わない。まるで夜という物体がそこにあって、その中に手をつっこんでゴミを出していくヤツがいるので困る、というような不思議なイメージがわいてきてしまいます。一種のブラック・ホールのような、塊としての夜があったらひじょうに便利と思う。「夜」を道路のわきに置いておいて、その中にゴミを放りこめば、どんどんゴミが入っていく。時間の空間化といいますか。
 芸術家というのは、通常こういうことを一生懸命考えているんです。詩人なんてのは、こういうことをなんとかひねりだそうとしながら、なかなかできずに苦労しているんです。それを町内会の人が無意識にやってしまった。本人は気づいていないので作ったことにはならないけど、無意識に作ったものをぼくらの意識が見つけてしまった。そしてついに金がゴミとなる! 山の手の高級住宅地で見つけた貼紙、いや貼板です(下図)。

「東京・広尾で見つけた、燃やせないゴミについて」(同書p.37より)

この『「ふと…」の芸術工学』は、神戸芸術工科大学レクチャーシリーズの一冊で、「ふと、思いがけない形で浮かんでくるアイデア」について、真面目に考えることをテーマにした連続講義が収録されている。その第1回目の講師として登場するのが赤瀬川さんで、「ふと…」の好例として「トマソン」を解説しているというのだから、何ともうらやましい限りだ。『老人力』を読んだ、という人にもお勧めの一冊。

※「トマソン」命名の由来は、助っ人外人として巨人に入団したものの、三振の山を築いて「扇風機」の異名をとったゲーリー・トマソン選手らしい。
posted by ふらら at 10:38| Comment(6) | TrackBack(0) | 書評 セレンディピティ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月02日

新年のごあいさつ

本ブログをご覧の皆さま、明けましておめでとうございます。
お正月はいかがお過ごしでしょうか。

ふらら家は里帰りをして、のんびりと2007年のスタートを切りました。ご馳走三昧のおかげで、それぞれ1キロほど太った状態で帰宅。特に私は冷え性なので、手足の血行改善のためにも、この調子でもっと肉付きを良くしようと企てています(笑)
お世話になったK川とM倉のみなさま、楽しいひと時をどうもありがとうございました。m(_ _)m

この1年も、また相変わらずの乱読を続けていくことになりそうです。やや不定期な更新になるかもしれませんが、週に数回のアップは続けたいと思っています。気の向いた折にでも、そっとページを開いてやってくださいませ。

どうぞよろしくお願いします。
posted by ふらら at 21:14| Comment(4) | TrackBack(0) | お知らせなど | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月26日

元気をだして死んでください!〜大江健三郎『二百年の子供』より

二百年の子供二百年の子供
大江 健三郎

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『さようなら、私の本よ!』以降、もう小説は書かないと言っていたはずの大江さんが、再び新作の準備を始めているそうだ。近いうちに私家版で、初の詩集(『形見の歌』)も出版されるという。今度こそ、引退話は本当だろうと思っていただけに、これは意外な朗報だった。今から新作が待ちきれない思いで、久しぶりに大江作品を手に取ってみた。先月文庫版が出た『二百年の子供』だ。

知的障害のある真木は、普通の人のように「夢」を見ることができない。ところが、その真木が、昨年亡くなったはずのおばあちゃんに会った、と夢のようなことを言い出す…というシーンからこの物語は始まる。
おばあちゃんが長年暮らした谷間の村には、ある言い伝えがあった。「千年スダジイ」の根元のうろに入って眠ると、心から会いたいと思っている人や、見たいものの所へ行くことができるのだという。どうやら真木は、その言い伝えを実行して、亡くなる前のおばあちゃんに会いに行ったらしい。
「夢を見ない兄が言うことだから、本当の話かもしれない」と、弟・妹の朔とあかりは思う。二人は、真木と一緒に「夢見る人のタイムマシン」に乗り込むために、「千年スダジイ」のうろで一晩を過ごす計画を立てるのだった。…

大江さんは、同じテーマを繰り返し何度も語り直す、というタイプの作家だ。だから、この人の作品を読んでいると、「ああ、またこのエピソードに出会った」と、デジャヴのような感覚を味わうことがよくある。
中でもよく「再話」されるのが、先天性の脳障害を持つ長男・光さんをモデルにしたエピソードと、出身地である四国の村を舞台にした伝承だ。「あれ、どこかで読んだことのある話だな」と思いながらも、そのたびに少しずつ移り変わっていく設定につられて、気持ちを新たにして読まずにはいられない。そうした独特の「語りの力」が、年を追うごとに大江作品を一層味わい深いものにしていると思う。
『二百年の子供』に登場する真木も、光さんをモデルにしたキャラクターの一人だ。これまで何度も取り上げられてきた、代表的なエピソードの数々が、大江さん初の「ファンタジー」として、新たに語り直されていくのがおもしろい。たとえば真木には、時間をさかのぼってまで、生前のおばあちゃんに伝えたいと思う言葉があった。

 真木は積極的な気持ちになるといつもそうだが、足に故障があるのに、「三人組」の先に立って大股にしっかり歩いた。後に続きながら、
 ――真木さんが、おばあちゃんにいおうとしてる言葉は、わかると思う、とあかりはいった。
 ――ぼくもわかったよ、と朔はいった。
 去年の秋の真木との滞在でどういうことがあったかを、旅行から帰ってすぐ、父は母にくわしく報告していた。「森の家」で暮らす一週間がたって、タクシーで松山の空港に出発する朝、真木はおばあちゃんに、心をこめてこうあいさつしたそうだ。
 ――元気をだして死んでください!
 母は、おばあちゃんが、口癖のように、死ぬまで元気をだしていたい、といわれるものだから、それが頭にあったんでしょう、といった。
 しかし、その愉快そうな言い方に、朔が反撥した。
 ――ぼくはあいさつとして正しくないと思う。
 それでもおばあちゃんは、これは私の好きな言葉だ、といわれていたそうだ。
 冬のはじめ、入院することになっての「三人組」へのお別れの電話でも、真木にあれをもう一度いってもらいたい、といわれたが、真木は黙っていた。それは朔の強い反撥を覚えていたからのはず。
 ――いま、サクちゃんは、真木さんが「夢を見る人」のタイムマシンでおばあちゃんに会えて、あの言葉をいってあげられればいい、と思うのね?
 ――真木さんの言葉は、いいあいさつなんだよ。あれは良くない、といった時、ぼくは若かったんだ。(一部中略)

三人は、計画通りに「千年スダジイ」の言い伝えを実行した。知的障害のために、夢を見ることはできないと思われていた真木だけれど、意外なことに、ウロの中で見た夢のことを、翌朝一番はっきりと覚えていたのは真木だった。

 あかりは、こう思った。
 真木に夢ということがわからないと聞いてから、いつもそれが気になってきた。考えたことは、もう整理されている。
 1、真木さんも夢は見ると思う。
 2、しかし、実際の生活での出来事と、夢のなかでのことが区別できない。
 3、そこで、「夢を見た?」とたずねられると困るのだろう。
 あかりはいま、シイの木のうろで眠っていた昨夜の間に、こことは違う場所、違っている時間のなかで経験したことを思いだしているのだった。真木、朔も一緒だった。アサ叔母さんまで、自分の話を認めてくれた。
 「夢を見る人」のタイムマシンに乗って行ってのことなのだから、確かに夢なのだろう。「三人組」でおなじ夢を見た。そして、このひとつの夢についてなら、あかりと朔が、真木さんもちゃんと夢を見たと、証言してあげることができる。
 ――サクちゃん、私はね、現実の世界で生きるのと夢の世界で生きるのと、その大切さが99対1くらいかも知れないと思う。そうだとしても、真木さんの心が、百分の一だけ広がったんだわ。(一部中略)

この間、大江さんのファンサイトで、『二百年の子供』がおもしろかった、うまく説明できないけれど、この作品は好きだ、と中学生くらいの子が掲示板に書き込んでいるのを見かけて、うれしかった。こうしてまた次の世代に、大江作品が読み継がれていくのなら、この一冊には大きな意味があるのかも…と、何だかババくさい感慨にふけってしまった今日この頃。

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大江 健三郎

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posted by ふらら at 10:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評 ことば・詩・物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月21日

名酒をかもす菌のはなし〜石川雅之『もやしもん』より

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石川 雅之

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うちの晩酌は泡盛が定番だ。近頃のブームのおかげで、近所のスーパーでもいろんな銘柄の泡盛が並ぶようになった。晩ごはんのおかずと一緒に、久米仙や菊之露あたりを気軽に入手することができるので、とても便利だ。結婚するまでは、泡盛と焼酎の違いも分かっていなかった私だけれど、最近では、銘柄ごとの味の違いもだんだん分かるようになってきた。知人からの頂き物が、たまたま5年ものの古酒だったりすると大喜びだ。
この『もやしもん』にも、設定上、おいしそうなお酒の話がたくさん出てくる。主人公の沢木くんは、代々続くもやし屋の息子で、なぜか「菌が肉眼で見える」という特殊能力の持ち主だ。とある農大に入学してからは、ますますいろんな菌との出会いがあって大騒ぎ…というまったりしたストーリーなのだけど、登場する麹菌や乳酸菌がやたらとかわいくて、「農大細菌漫画」というくくりで結構売れているらしい。

PC180005.JPG菌がこんなにかわいいなんて! A.オリゼー、P.クリソゲヌム、E.コリその他の面々。

3巻の沖縄篇では、なんと「1000年古酒の泡盛」という話が出てくる。沢木くんの先生、樹教授は発酵学の権威で、菌のことなら何でも知っているというえらい人だ。あるとき、沖縄の海中調査をしていた樹教授は、200年前の沈没船と、その積荷らしい泡盛のカメを発見した。お酒は、長い時間貯蔵しているうちに角が取れ、口当たりがよくなっていく。いわゆる「古酒」というのは、3年以上熟成させた泡盛のことだというから、200年前の古酒というだけで大発見だ。しかも、樹教授いわく、「かつて実験で、海中の酒は陸上の5倍の速さで熟成が進んだという結果が得られた」。ということは、200×5で、1000年分の熟成が進んだ幻の古酒?…「飲んでみたい!」と、思わずため息の出そうな筋書きだ。
菌の中にも、こんな風においしい泡盛をかもしたり、納豆を作ったり、大腸の健康を保ってくれたりしている「善玉菌」がある。そう思うと、菌というだけで毛嫌いして、やたらと除菌スプレーを振り回すのは「何だかなあ」という気分になってきた。

「何が除菌ブームや、何が清潔なくらしや。人間一人がどれだけの菌持ってると思ってんだ! 100兆だぞ! まっすぐ並べると地球5周だ。便所の菌なんてメじゃねぇ。菌ってだけで悪だってんなら、人は菌袋だ。お前もだー!」
「無茶なこじつけしないでよ! それにあたしは清潔だもん」
「冗談じゃねえ、人間の顔には1平方センチに3千万から1億の菌がいるんだ。頭皮にはカビだっているんだぞ」
「あ、あたしはいないわよ!」
「オマケに人間の顔には寄生虫がいるんだ。お前のまつげの根元にも、尻尾突きさして棲んでんだ!」

このセリフは、ある特殊な菌を培養して、ひと儲けしようとたくらんでいた沢木くんの先輩たちが、肝心の菌をスプレーで殺されてしまったときの絶叫なのだけど、近頃の安易な「除菌ブーム」に疑念を投げかける、真摯な訴えとしても読めそうだ(?)。
事実、人の表皮には、いたるところに菌がいる。ところが、そうした常在菌は人には無害だし、外部から有害な菌が侵入するのを防いでくれてもいるらしい。『もやしもん』の巻末付録では、そんな表在常在菌からのメッセージも紹介されていたりする。

世には「キレい好き」と称して、手洗いだ、シャンプーだとやたら体を洗う人がいますね。体を清潔に保ちたい、それゆえに頻繁に体を洗う。これが実は体がクサくなる原因なのです。
確かに、石鹸やシャンプーでしっかり体を洗えば汚れも落ちるし、菌やカビもいなくなるけど、それと同時に、我々表在常在菌もいなくなっているという事なのです。
表皮を守る我々の減った皮膚には、我々が再び勢力を取り戻すまでの間、雑菌達に対するスキが出来てしまいます。そこに外部の菌、水虫菌やワキガ菌、その他疾患をもたらす菌が棲みついてしまったら、我々ももうお手上げ。
あなたが病気になるだけでなく、そういう菌というのはワキガ菌に限らず、あなたの体から悪臭を発します。
棲みつかれる前に防ぐ力を我々は持っています。大便後の肛門付近にいる大腸菌だって、我々がほんの短時間で完全に駆逐しているんです。
我々表在常在菌は、あなたと共に生きています。清潔な暮らしもよく分かりますが、何事もホドホドがいいって事なんです。
大事なのは、我々と組んで健康で丈夫な体をつくる事だと提案いたします。

菌が人体にとってこんなにも身近で、無くてはならない存在だったとは知らなかった。ヒトってやっぱり生きた動物なんだなあ、と何だか妙な感心をしてしまう一冊。明日、最新巻(4巻)発売らしい。
タグ:石川 雅之
posted by ふらら at 09:43| Comment(2) | TrackBack(0) | 書評 コミック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月18日

お知らせ

seesaaブログの大型メンテが始まります。
19日午前2時から20日午前2時まで、丸一日、seesaaサービスへのアクセスが全面停止になりますが、本ブログが不意に消え去ったわけではありませんのでご了承ください。
以上、お知らせでした。m(_ _)m
posted by ふらら at 22:59| Comment(0) | TrackBack(0) | お知らせなど | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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