2007年01月04日

街の「ゆるみ」と粋な偶然〜『「ふと…」の芸術工学』より

「ふと…(セレンディピティ)」の芸術工学「ふと…(セレンディピティ)」の芸術工学
赤瀬川 原平 佐々木 正人 宮本 隆司

工作舎 1999-09
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このブログには、『とっとこロード』という名前の姉妹ブログがある。近所を「とっとこ」散歩しながら、見かけた風景を写真に「撮っとこ」…というお気楽な趣旨の日記なのだけど、開設当初には、それなりにお手本にしようとしていたモデルがあった。1980年代に大流行した、あの赤瀬川原平さんの「路上観察学会」と、そこから生まれた「超芸術トマソン」だ。
ご存知の人も多いと思うけれど、この「路上観察学会」の主な目的は、建物の一部なのにどうにも使い道のなさそうな「無用の長物」を探し、写真を撮ってコレクションすることだ。あるとき、赤瀬川さんらが、四谷のある家に「どこにもつながっていないコンクリート階段」があるのを発見したのが、この路上観察を始める契機になったらしい。

階段というのは上ればそこに何かの目的がある。この階段では登ったところに窓しかないので、ここにある窓を覗くのが目的ということになりますが、そのためだけにこれほど立派な階段を作るだろうか。
よくよく考えると、この世の中にいらないものなんて作られてはいないのだと気づきました。あえて無用な階段を作ることはありえないわけで、常識的に考えれば以前はこの階段の上に入口があった。ところがその入口が不用になって窓になってしまった。本来は壊すべき階段だけど、この家の敷地内ですから、壊すよりもとっておいてもかまわないだろうと残っていた。(一部中略)

無用なのに、やたらと立派なまま保存されているこの「四谷の純粋階段」に、すっかり魅了された赤瀬川さんたちは、こうした無用の長物の数々を「トマソン」と名付け※、鑑賞の対象にするようになったのだという。

「トマソン」というものを発見したのは、もともと絵が好きで、見ることが好きだったからではないかと分析しています。いつか描くのに幻滅してしまったので、もっとおもしろいものを見ようとした。単純な動機です。ぼくらの住んでいる街は人間が作ったものではあるのですが、その全部を完全につくったわけではなくて、家でも道路でも「ゆるみ」がそなわっているものです。しかもその「ゆるみ」は自然にできたものです。それを見ていくと頭では考えられない発見があって、実におもしろい。しだいにやみつきになりました。

長年の研究を通して、「フェイス・ハンティング」「原爆タイプ」「路上植物園」など、さまざまなジャンルが開拓されていったというトマソンだけれど、中でも主要なポジションを占めているのが、貼紙や看板の類のようだ。美しく整備されているように見える街角にも、実は上質なトマソンがいくつも存在していることを、赤瀬川さんは教えてくれている。

じつに深い作品があります。町内の表示板に「夜の中からゴミを出さないでください」の貼紙。当然「夜のうちから…」という意味なんでしょうが、普通こういう場合「中」という字は使わない。まるで夜という物体がそこにあって、その中に手をつっこんでゴミを出していくヤツがいるので困る、というような不思議なイメージがわいてきてしまいます。一種のブラック・ホールのような、塊としての夜があったらひじょうに便利と思う。「夜」を道路のわきに置いておいて、その中にゴミを放りこめば、どんどんゴミが入っていく。時間の空間化といいますか。
 芸術家というのは、通常こういうことを一生懸命考えているんです。詩人なんてのは、こういうことをなんとかひねりだそうとしながら、なかなかできずに苦労しているんです。それを町内会の人が無意識にやってしまった。本人は気づいていないので作ったことにはならないけど、無意識に作ったものをぼくらの意識が見つけてしまった。そしてついに金がゴミとなる! 山の手の高級住宅地で見つけた貼紙、いや貼板です(下図)。

「東京・広尾で見つけた、燃やせないゴミについて」(同書p.37より)

この『「ふと…」の芸術工学』は、神戸芸術工科大学レクチャーシリーズの一冊で、「ふと、思いがけない形で浮かんでくるアイデア」について、真面目に考えることをテーマにした連続講義が収録されている。その第1回目の講師として登場するのが赤瀬川さんで、「ふと…」の好例として「トマソン」を解説しているというのだから、何ともうらやましい限りだ。『老人力』を読んだ、という人にもお勧めの一冊。

※「トマソン」命名の由来は、助っ人外人として巨人に入団したものの、三振の山を築いて「扇風機」の異名をとったゲーリー・トマソン選手らしい。
posted by ふらら at 10:38| Comment(6) | TrackBack(0) | 書評 セレンディピティ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月15日

現代のアトムと「不気味の谷」〜『人間型ロボット ヒューマノイドの挑戦』より

Atom photo03.gif土曜日の夜、何となくNHKの「サイエンスZERO」を見ていた。最新の恐竜学説が紹介されていたりして、古生物ファンの主人もお気に入りの番組なのだけど、その日の特集は「ヒューマノイド(人間型ロボット)」だった。
20年前、私が子供だった頃のヒューマノイドのイメージといえば、リバイバルで放映されていたアニメの『鉄腕アトム』そのものだった。もちろん、実際の人型ロボットの研究は、当時まだ黎明期で、二本足で歩くことさえできないプロトタイプの映像を、ニュースなどでよく見かけたものだ。
それが、あのアシモの劇的な登場以来、「歩くロボット」はすでに当たり前。最近のヒューマノイドはますます進化していて、人間そっくりの外見を持ったロボットや、相手に合わせて会話をするロボットも開発されているらしい。どうすればより人間らしくなるのか、人にとって親しみやすいロボットを作るにはどうすればいいか…それが、今のロボット工学の関心の的なのだという。
「サイエンスZERO」で紹介されていたのも、そんなロボットの「親しみやすさ」についての実験だった。登場したのは、相手に反応して身動きしたり、首をかしげたりするロボット。外見もマスコットみたいにかわいらしくて、確かに「親しみやすい」。
ところが、実際にコミュニケーションしてみると、「どこか不自然さを感じる」と言った人がいた。「こちらの動きに100%追従されると、かえって機械的な感じがする」。
そこで、反応の度合いを80%に下げてみると、「こっちの方が自然。ちょっと気まぐれな所もあった方が、生き物らしい感じがする」と、逆に好評だったという。
ああ、これって「不気味の谷」の話だな、と思った。最近読んだ『「ふと…」の芸術工学』という本で、森政弘さんというロボット工学の博士が、よく似た話をしていたのだ。

(人間型)ロボットでは「親愛感」とか「親和感」というものが重要です。それで、かたちの上で、人間に近づけていく努力をしたわけです。私たちは単純に、外見を人間に近づければ近づけるほど親和感が増すとばかり思っていたところ、その途中でたいへんなことに出くわしたのです。
人間に似せよう、人間に似せようと、努めていったところ、ある程度似てくると、気味悪さが生じることに気がつきました。機械みたいなロボットだったら気味悪くもないが、人間型のロボットは気味が悪い。たとえば、蝋人形というのは、気味が悪いでしょ。目がすわっていて、死人を見ているような気分になります。
ある程度似てくると、にわかに気味悪くなる。外見についてだけでなく、声についてもそうです。かなり人間の声に似てきているのに、それがちょっとずれるだけでも変に感じるということに気づきました。
このことをグラフで表すべく、横軸に類似度を、縦軸に親和感を取りますと、図※のようになります。曲線は一様に右上がりで上がっていくのではなく、100%の類似度、つまり完全に似る点の手前で曲線は深い谷を作ってしまうのです。私はこの谷を称して「不気味の谷」と呼ぶことにしました。この谷底は深く、ゼロを越えてマイナスのところにまで達しているのです。マイナスの親和感とは不気味ということです。

※参照 「不気味の谷現象」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

確かに、リアルに作りこまれた最新型のヒューマノイドには、文楽人形に似た「不気味さ」があるような気がする。それなら、いっそ「不気味の谷」を突き抜けて、100%リアルなヒューマノイドを追求しよう…という研究もあるみたいだけれど、それはどうなのかなあ、と思う。
「サイエンスZERO」には、まだ開発途上のロボットもたくさん登場していた。中の機械がむき出しだったりして、いかにも「プロトタイプ」という姿なのだけれど、そこへ研究室の人たちが、とりあえずピンポン玉の目玉をつけてみたり、口紅をぬったりして「擬人化」している。
見た目のおかしさはともあれ、現場の人たちの愛着がにじみ出ているような、そうした手作りの「親和感」の方が、何だかほほえましくて好感が持てる…と思ってしまうのだから、人の感覚って不思議なものだ。

NHKサイエンスZERONHKサイエンスZERO
NHK科学環境番組部

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posted by ふらら at 10:33| Comment(6) | TrackBack(0) | 書評 セレンディピティ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月27日

「非まじめ」ロボット博士の発想

「非まじめ」のすすめ (〔正〕)「非まじめ」のすすめ (〔正〕)
森 政弘

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あの「不気味の谷」の概念を考えたロボット博士、森政弘さんには、「非まじめ」シリーズという名著があるらしい。
人間「まじめ」もいいけれど、それだけでは固定観念にとらわれてしまう。もちろん、「不まじめ」ではいけないので、いっそ、そのどちらでもない「非まじめ」になってしまおう…というのが森さんの提案だ。

たとえば、ロボットの研究を始めたばかりの頃、森さんは「人の手」の研究をしていた。そんな誰でも知っているようなことより、もっと新しい研究するように、と諭されたけれども、『しかし手のようなものがまだ機械では作れないではないかと思って、手の研究を始めた』のだそうだ。

手の研究をはじめると、それは大学へ行かなくてもできる仕事であった。自分の体についているのだから、自分の手を見ていれば、朝から晩まで研究になる。とにかく手の機能というのはすごいものである。
手は物を持つものだとふつう思われるが、そうではない。手の原点に立ち返ると手は前足である。前足だから自分の体を支えたり、自分の体のバランスをとったりすることが第一の役目なのである。
お風呂がわいたかなといって手を湯船に突っ込むときは温度計になる。指を折って数えればコンピュータになるし、あっちですよ、こっちですよと指示すれば信号である。(一部中略)

手が実は前足だったなんて、思ってもみなかった。確かにおもしろい見方だけれど、一体それのどこがロボットに結びつくんだろう…と考えるのは「まじめ人間」の発想で、まずは思いつくままにアイデアを広げていった方が、むしろ結果が出やすいものだ、と森さんは言っている。

手の動きとなると、もっと巧妙である。シャープペンシルを二本の指で持つと、親指と人差指とが当然相対している。それを中指を使って三本の指で持って、指どうしの関係を見ると、人差指と中指のまん中に親指がきて、親指が半ピッチずれ落ちているが、これは無意識にやっていることである。
三本の指で持つから親指はまん中に持っていかないとまずいぞ、などと意識して持つ人は一人もいない。もし、そういう人がいたら研究の対象によいからぜひ紹介してほしいのだが、いない。
これをロボットにやらせてみる。二本で持たせて、三本というときに、あらかじめそれなりに組んでおかないと、ロボットは指をずらさないで持つ。これは二本で持つよりぐあいが悪い。こうして、ほう、おれたちは三本でもつとき無意識にこうやっているのかということが意識にのぼるわけだが、人間のやっていることは本当に一つひとつ、すごい。(一部中略)

N02-Book 018.jpg「非まじめ」の
すすめ
p.145より


こんな風に、無心でおおらかな研究を「非まじめ」に続けるうちに、手に腕がつき、胴体がつき、やがては脳がついて、だんだんロボットらしくなっていったのだそうだ。

どちらかといえば、「まじめ人間」の部類に入ってしまいそうな私だけに、森さんの「非まじめ」な発想は、どれを取ってもすごく新鮮だった。
中でも印象に残ったのは、まじめな人が陥りやすい「固定観念」の例ということで、森さんが紹介していたこんな詩。忙しすぎて、自分で工夫することを忘れてしまったようなときには、この子牛のことを思い出したい。

02-01130.jpg野原があった。そこへ一匹の子牛がやってきた。子牛は気まぐれに、くねくね曲がりながらその野原を通って行った。

その翌日、狩人に追われた鹿がやってきた。鹿は子牛の通った、草がねているあとを逃げて行った。――緊急の時は、創造しているひまはない。ひとの通ったあとを通るものだ。狩人もそこを通って行った。草はますますふみつけられ、はっきりと曲がった道ができた。
その次の日は羊が来た。羊は、その曲がりくねった小道を、曲がりくねっていると不満を言いながら通っていった。

しばらくたって、こんどは旅人が来た。旅人もその曲がった道を通っていった。
こうして、草はとれ、土面が顔を出し、曲がりくねった小道ができ上がった。こうなると、村人も、旅人も、馬車も、犬も、そこを通る。

月日は矢のように過ぎ、その曲がりくねった小道は大通りになった。村の家々は、その大通りに沿って曲がりくねって建てられていった。またたくうちに、そこは大都会の中心街になった。

鉄道が敷かれたが、その線路も道に沿って曲がっていった。

何十万人もの人々が、今もなお、
三百年前も昔に通った、あの子牛に導かれて、くねくね曲がりながら通っていく。

確固たる前例なるものは、
こんなにまでも尊ばれるのだ。

サム・ウォルター・フォス「子牛の通った小道」より
タグ:森 政弘
posted by ふらら at 13:41| Comment(6) | TrackBack(1) | 書評 セレンディピティ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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