![]() | 満ち足りた人生 別役 実 白水社 1997-08 売り上げランキング : 432003 おすすめ平均 ![]() Amazonで詳しく見る by G-Tools |
「人はその生涯に、一本の樹を植え、一軒の家を建て、一人の息子を持たなければならない」
かつての英国には、こんな人生観があった。少なくとも、『満ち足りた人生』の冒頭で、別役実さんはそう書いている。「…つまりこれが、人が生きるに当たってしなければならない基本的なことであり、その他のことは、ほぼ余分なことと考えられていたのであろう。きこりで、借家に住み、娘ばかりしか持ってないものというのは、余分なことばかりしてきた人間ということになる」。
きこりが人生のアウトローかどうかはさておき、こうした古き良き英国の「人生の基本」を、今の日本で実現するのはなかなか難しい、というのが別役さんの考えだ。
植木市でそれらしい木を一本買ってきて、アパートの物干台に置いたとしても、我々が毎日使う紙のことを考え、そのために費やされるパルプ材のことを考えれば、「一本の木を植え」ることの、むしろ虚しさの方を感じとってしまうに違いない。まともな職業につき、まともに稼いでいるものが、「一軒の家を建て」ることが出来ないのは、万人の知るところである。「一人の息子を持つ」ことは何とか出来そうに思われるが、なかなかそうではない。男の子は育ちにくいし、育ってもすぐにグレるし、グレないで何とか成人したと思ったら、オカマになってしまったりする。
***
そういえば、一本の木を見て、その立ち姿から人生に思いを馳せる人は多いようだ。『巨樹を見に行く』の中で、梅原猛さんは、屋久杉を見たときの感動をこんな風に言い表していた。
七千の齢に耐えし屋久杉は天に連なり身じろぎもせず
巨樹は七千年の齢に耐えて、神のいる天に連なって身じろぎもしない。人間におもねることなく厳然と長い時間耐えて、そこに存在している。縄文杉と対面した私の口から、いつになくこんな歌が出てきました。こういう屋久杉のような人間になれたら素晴らしい。百分の一しか生きていないけれど、私もそういう人間になりたいと思ったのです。
千年杉はあまりに崇高すぎるとしても、木のようにじっくりと、人生の年輪を重ねるような生き方をしたい…そう思うことがある。諸事情あって、毎日そのように泰然とした気分ばかりではいられないのが現実だけれど。そもそも脈絡もなく「木のような人になりたい」と口走ってばかりいたら、周囲からドン引きされてしまうのがオチだろう。
けれども、そうした現実は現実なりに、「満ち足りた人生」を送ることはできる、と別役さんは書いている。
…というわけで今日我々は、かつて英国にあった人生の基本を、ひとまずあきらめなければならない。きこりがそうであったように、余分なことばかりをし続けなければならないのだが、それでは我々に「満ち足りた人生」というものが約束されていないのかというと、そうではない。「余分なこと」を「余分なこと」と知りつつ、正確に、厳粛に、しかも感動的に行うことによって、「基本的なこと」を行ったと同じことになる、という考え方があるからである。
年を経た樹は、切り倒すとそこに年輪が現れる。人はそれを見て、その樹が経てきた歳月を思いやるのである。しかしそれは、切り倒さない限り目にすることは出来ないのであるから、樹自身は決してそれを知ることが出来ない。そして樹は、そのことを必ずしも、「残念だ」とは思っていない。
「残念だ」と思うのは人間である。だからこそ樹よりみっともないのであり、樹ほど悠然と構えていられないのだが、それが人間だからしょうがない。人間は、日ごとに、月ごとに、我が身の年輪を確かめたがり、日記につけたがり、反省したがる。
樹は、いながらにして「満ち足りた人生」そのものであるが、人間は、「果たして私の人生は満ち足りていたのだろうか」という、とめどもない袖いの中で、もしかしたら「満ち足りる」のかもしれないからである。(一部中略)
この『満ち足りた人生』という本は、「入学」「免許」「喫煙」といった、現代社会での「人生の基本」と思われる事柄に、別役流の解釈を加えたエッセー集になっている。「売名」や「殺人」についての文章があれば、「叙勲」の話もあり、あるいは「排便」なんていうのもあり、もちろん最後は「葬式」でしめくくられている。
来ないときには来ない、来るときには一気に来る仕事の波間で、ふとこの本を読む。笑いが出る。しみじみとする。さあ、もうひとがんばりしようという気にしてくれる、そんな妙な味わいのある一冊。




