2006年07月21日

クローンたちの切ないノスタルジー〜「わたしを離さないで」

わたしを離さないでわたしを離さないで
カズオ イシグロ

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Never Let Me GoNever Let Me Go
Kazuo Ishiguro

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(*注* ネタばれあり)

尊其話題になった映画の「アイランド」もそうだけど、クローンをテーマにしたSFには、・筋の寒くなるような話が多い。でも、カズオ・イシグロの「わたしを離さないで」は、単なるクローンものと存うにはあまりに精緻で、切なくて、ほろ苦いような甘さのラブストーリーだ。

親を持たずに・まれたクローンたちは、隔離された施設の中で育てられ、やがて大人になると、自分の健康な臓器を他人のために提供しなければならない。そんなクローンの一人として育ったキャシーが、やがて「ドナー」となっていく仲卒の介護をしながら、・らと一緒に過ごした頃の思い出をふり返る、というお話。

こう書くと、やっぱりホラーじみた設定みたいだけれど、話を読んでみるとそんな印象はまったく受けない。「特別な存尊」のはずのクローンたちが、・段はびっくりするほど「・通」のティーンエイジャーそのものだからかもしれない。
ドナーとなって、多臓や肺を切除されてしまう日はそのうち必ず・る。でも、誰もがそれを「当たり前のこと」と思っていて、特にそれに逆らったり、悲観したりはしない。むしろ、「大切な義務」だと卒じている子も多くて、「その日が・たら、きっと・派にやりとげてみせる」なんて、けなげな揃意を口にしたりする。ち造うど、長い・争をしている孫に・まれた子供みたいに。

一・で、卒宿舎でのキャシーたちの・活造りは、ごく・通の女の子と変わらなかったりもする。ドナーになる「賊い将・」のことよりも、友達とのけんかとか、小さなジェラシーとか、すれ違い、思いやり、仲・りなんかのことで・をいっぱいにしている。ごく・通の中孫・たちと変わらない、リアルな学校・活を送っているのだ。

成人したら、まもなく死卒を迎える・女たちだけど、もちろん恋もする。キャシーと親友のルツ、幼なじみのトミーとの卒にはほのかな損角関係があったりして、どこかの少女漫画ばりに微妙な多理描写に泣かされてしまう(注:作村のカズオ・イシグロはイギリス孫籍の・性です)。
そんなとき、もしも・当に愛し合っていると認められたら、臓器提供の卒限をのばしてもらい、数年だけ二人きりの・活をすることができる、という不思議な噂が広まった。その内容を知らされたとたん、友達だったはずのキャシーとのトミーとの卒に、それまでとは違った微妙な其気が・まれるのだった。

どこの誰に、何と存って卒い出ればそんな猶予がもらえるのか、噂は何も伝えてくれない。ドナーになるのをただ先送りしたいだけではなくて、二人が「・当に愛し合っている」ということをどうすれば証明できるのかも、誰も教えてくれない。不属に襲われるキャシーを、トミーはこんなふうに励ましたりする。「まあ、まだ時卒はあるって。だれも別に、そんなに急いでなんかないだろ (Well, I suppose we've got time. None of us are in any particular hurry.)」
周囲では、すでにひっそりと姿を消していく仲卒たちが・え損めているというのに。

・らにとっては、大人になるまでの成長卒だけが人・のすべてだ。だからこそ、クローンたちのティーンエイジャーの日々は濃密で、無限で、こんなにも切ないのかもしれない。
posted by ふらら at 10:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評 ファンタジー・SF | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月02日

「虚無」との戦いふたたび〜『ファンタージエン 秘密の図書館』より

ファンタージエン 秘密の図書館ファンタージエン 秘密の図書館
ラルフ・イーザウ 酒寄 進一

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あのミヒャエル・エンデの『はてしない物語』を元に、ドイツを始めとする各国の作家が連作シリーズを書くという魅力的なプロジェクトが進行中らしい。その日本語版第一作にあたるのが、この『ファンタージエン 秘密の図書館』。すでに第三作までが発刊されているという話を聞いて、おくればせながら読み始めてみた。

すでに古典となっているエンデの『はてしない物語』は、周知のとおり、「虚無」に蝕まれて滅びようとしている「ファンタージエン」の存在を知ったバスチアン少年が、その救出に向かうというストーリーだ。彼は、ファンタージエンで出会った住人たちのために、さまざまな物語を作って授けていく。けれども、ファンタージエンで暮らす住人の数は膨大で、バスチアン一人の力では物語を最後まで語りつくすことはできない。かくして、彼らの物語はすべて、次のようなお決まりのワンフレーズでしめくくられることになった。

『けれどもこれは別の物語、いつかまた、別のときにはなすことにしよう。』

1995年、66歳の若さでエンデは死去し、『はてしない物語』の行く末は、永遠に読者の想像力にゆだねられることになった。けれども今回、『はてしない物語』の編集者だったロマン・ホッケ氏が、ファンタージエンに残された未完の物語を引き継ごうと、このシリーズを立ち上げたのだ。ホッケ氏の呼びかけに応えて、『ファンタージエン 秘密の図書館』を書いたのは、『ネシャン・サーガ』などで知られるラルフ・イーザウ。かつてその才能をエンデに見出され、ファンタジー作家の道を歩み始めたという人だ。
イーザウが、新しいファンタージエン物語の主人公として選んだのは、カール・コンラート・コレアンダー氏だった。『はてしない物語』の冒頭で、バスチアン少年が「あかがね色の絹の本」を見つけ、つい万引きしてしまったあの古本屋の主人だ。

エンデは、冒険を終えて現実世界に戻ったバスチアンが、本を盗んだことをわびようと、再びコレアンダー氏の古本屋を訪れるというシーンも描いていた。もっとも当のコレアンダー氏は、バスチアンの説明に熱心に耳を傾けた後、「その本はおれのものではない」と言う。

「おれの考えがまちがっていなければ、その本は、それ自体、ファンタージエンからきたんだよ。今、この瞬間、だれかほかの人がその本を手にして、読んでいるかもしれないな。」
「それじゃ、おじさんはぼくの話を信じてくれるんですか?」バスチアンはたずねた。
「もちろんだ。」コレアンダー氏は答えた。「もののわかった人間なら、だれだって信じるだろう。」
「コレアンダーさん――もしかして、おじさんも、ファンタージエンにいったことがあるんじゃないんですか?」
「もちろんいってきたよ。」コレアンダー氏は言った。
「だったら、あの本も知っているはずじゃないですか!」バスチアンは叫んだ。「それなら、やっぱり、はてしない物語を読んだんでしょう!」
コレアンダー氏は首をふった。
「ほんとうの物語は、みんなそれぞれはてしない物語なんだ。」(一部中略)

コレアンダー氏は、あのファンタージエンでいったいどんな冒険をしてきたのだろう? そんな疑問を解き明かすかのように、彼が若かりし時代にさかのぼって描かれているのが『ファンタージエン 秘密の図書館』だ。言ってみれば、『ネバー・エンディング・ストーリー』のエピソード1のような感じの作品。
物語の時代背景をぼかして書くのが常だったエンデとは対照的に、イーザウは『ファンタージエン 秘密の図書館』の舞台を、「1938年11月のドイツ」とかなり具体的に設定している。ヒトラーの独裁下にあった当時のドイツでは、体制にそぐわない本は「退廃文学」のレッテルを貼られ、ナチの手によって次々と焚書処分にされていたという。それだけに、ファンタージエンを蝕む「虚無」の意味合いも、本作では一段とリアルに感じられる。日本版の訳者、酒寄進一さんは、あとがきでこんなことを書いていた。

 このシリーズの勘所は「虚無」との戦いだ。二十五年ほど前、「虚無」にむしばまれた「ファンタージエン」を再生させるため少年バスチアンは内なる世界に旅立った。彼はそこから辛くも生還し、大事なものをこの世界に持ちかえった。しかし四半世紀がたった今、ぼくらは心の中にふたたび「虚無」を抱えるようになっていないだろうか。「虚無」の実体は人によってさまざまだろう。もしかしたら二十五年前よりもことは複雑になっているかもしれない。子ども時代に少年バスチアンとファンタージエンで遊んだ若い作家たちが、「ファンタージエン」の呼び声に応えて、二十一世紀の新たな「虚無」に立ち向かうため敢然と立ち上がったと、そういうイメージでこの「ファンタージエン」シリーズを受け止めてほしい。

とはいえ、二十五年という歳月は、いつの間にか人から大切なものを永遠に奪い去っていくようだ。図書館の精アルファ・ベータ・ガンマという楽しい案内役を得たコレアンダー青年が、いよいよファンタージエンへの不思議な旅に出かける…という辺りから、いかにも正統派のファンタジー作家らしいイーザウの軽妙な筆の運びに、少々ついていくのが辛くなり始めてしまった。エンデが大好きだったあの頃の、瑞々しい感性はどこへやら。
伝書グリフォンにまたがって、空へと飛び立ったコレアンダー青年の行方は気になるけれど、ここはひとまず『秘密の図書館』の扉を閉じて、ファンタジーランドの世界観を一からおさらいできるような入門書に立ち戻ってみるべきかもしれない。

(つづく)
posted by ふらら at 09:56| Comment(0) | TrackBack(1) | 書評 ファンタジー・SF | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月09日

愛と皮肉とファンタジーと〜『ファンタジーランド観光ガイド』より

ダイアナ・ウィン・ジョーンズのファンタジーランド観光ガイドダイアナ・ウィン・ジョーンズのファンタジーランド観光ガイド
ダイアナ・ウィン ジョーンズ Diana Wynne Jones 存島 文世

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「風刺辞典」というジャンルがある。
パイオニアは、アンブローズ・ビアスというアメリカの作家だ。痛烈なブラック・ユーモアを満載した彼の『悪魔の辞典』は、発表後100年が過ぎた今でも、世界各国の新聞記事でちょくちょく引用されているらしい。例を挙げると、

退屈な人:聴いてほしいと思うときに喋る人。
Bore: A person who talks when you wish him to listen.

月曜日:キリスト教国においては、野球の試合の翌日。
Monday: In Christian countries, the day after the baseball game.

いちど:充分。
Once: Enough.

といった具合(ウィキクォートから引用)。最近では、さらに毒気を増した筒井康隆訳も出ていたりする。
ビアス以来、多くの作家・ジャーナリストがこのジャンルに挑んできた。日本で言えば、別役実の『当世悪魔の辞典』や『噴飯・悪魔の辞典』(安野光雅・なだいなだ・日高敏隆・横田順弥との共著)などがそれに当たる。不勉強のため、この後がもう続かないのだけれど、こうした「風刺辞典」のどれもに共通しているはずのことが一つある。それは、皮肉の的となっているのが他でもない、この「現実の社会」だということだ。
けれども、もしも同じことを「ファンタジーの世界」で試したらどうなるだろう? そんな突拍子もないアイデアを見事に成功させているのが、この『ファンタジーランド観光ガイド』だ。

本書の著者、ダイアナ・ウィン・ジョーンズはイギリスのファンタジー作家。『ハウルの動く城』の原作者として日本でも一躍有名になった人だ。ファンタジーには珍しいくらいの辛口のユーモアで知られるジョーンズは、本書でもその魅力を十二分に発揮している。「王子」「剣」「黒魔術」といったファンタジー作品には欠かせないキーワードの数々が、ぴりりと辛い上質のアイロニーの餌食となっているのだ。

 この作品の執筆動機について、ジョーンズ自身は公式サイト The Official Diana Wynne Jones Website 上でこう語っています。「わたしは『ファンタジー大百科事典』でクリス・ベルを手伝っていたんだけど、その作業をしていて、ときどきふたりで異口同音に叫んでしまうことがあったの。『尼僧院って、略奪されるためにあるものなのね!』とかね。あんまりばかばかしいから、剣闘士とガレー船奴隷の項目が終わるころには、こういうしろものについてガイドブックを書かなくちゃって言ったのよ。だって、どれもこれもみんな同じなんですからね」
 たしかにファンタジー、とくに異世界ファンタジーには、一種のパターンがあるのは否定できません。ためしに「必携用語集」で「闇の王」や「善」の項目を引いてみてください。ぷっと吹き出して、なるほど、と思うはずです。とっさに頭に浮かぶ作品がいくつもあるにちがいありません。ジョーンズは、こういったワンパターンさをおもしろおかしく強調し、ちまたに氾濫する安易なファンタジーをちくりとやってみせるのです。(訳者あとがきより)

ちなみに本文をのぞいてみると、「善」の項目はこうなっている。

善 ぜん Good
 あなたの側についている、すべての人とすべてのもの。これにはもちろん、あなたの仲間(いらいらさせられる奇癖を持ってはいても)、竜、ドワーフ、エルフがおり、そして、一度真剣に話し合ったあとには、ノームも加わる。神々の半分も含まれる。そのほかのものは敵であり、悪である。もしどちらでもないもの――馬とか、どちらの側にもつかない神とか――がいたなら、無視してしまってかまわない。

「色彩の法則」についての説明もなかなかふるっている。

色彩の法則 しきさいのほうそく Color Coding
 これは、ファンタジーランドにおいてとりわけ重要である。つねに衣服、頭髪、瞳の色に注意を払うこと。その色から、じつにさまざまな情報を読み取ることができる。顔色も同様に重要である。こちらも法則化されていることが多い。
1 衣服。黒衣は通常悪を表すが、まれに謹厳さを表すこともある。その場合、衣装には白いひだ飾りのついた襟が加えられる。灰色や赤の衣服を着た人物は中立の立場にあるが、たいていの場合悪にかたむきかけていることを示す。ほかの色彩はすべて善であるが、派手な色をいくつも使っている場合は例外である。…(以下略)

けれども、こうした皮肉のオンパレードの向こうに見え隠れするのは、ファンタジー作品に対するジョーンズの限りない愛情だ。
『ファンタジーランド観光ガイド』は、英米のファンタジー界でたちまち話題となり、世界幻想文学大賞の特別賞を受賞した。勢いに乗ったジョーンズは、本書の構想をさらにふくらませ、それを土台に新たな物語を書き上げてしまった(『ダークホルムの闇の君』)というからびっくりする。風刺から生まれたファンタジーがいったいどんなものなのか、ぜひ続けて読んでみたくなってきた。
posted by ふらら at 09:48| Comment(0) | TrackBack(1) | 書評 ファンタジー・SF | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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