2006年08月23日

読み替えられる民話たち〜『大きなかぶはなぜ抜けた?』

「大きなかぶ」はなぜ抜けた?「大きなかぶ」はなぜ抜けた?
小長谷 有紀

講談社 2006-07-19
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誰もが知っている「大きなかぶ」や「ヘンゼルとグレーテル」、「取り替え子(チェンジリング)」など、世界の民話の中に隠されているひみつを解き明かした一冊。

むかし、小学校の国語の授業で「大きなかぶ」を読んだときは、こんなふうに教わったような記憶がある。

「おじいさん一人ではびくともしなかったかぶも、大勢で引っ張ればちゃんと抜くことができたんだ」
「みんなで力を合わせれば、どんな難しいことでもきっとやり遂げられるんだよ」

ある『指導の手引き』によると、この作品を「授業で読むねらい」は、「おじいさんの労働を前提に集団的労働を学ばせ、団結をこどもたち自身の問題として考えさせる」ことなんだそうだ。

でも、「大きなかぶ」のテーマは本当に「みんなで力を合わせる」ことなんだろうか? そんな疑問を解き明かすために、著者の斉藤君子さんは、ロシアに伝わる「大きなかぶ」の原話の一つを紹介している。
じっちゃと、ばっちゃがかぶのたねを一つぶ、にわにうえた。
「おーきくなあれ、おーきくなあれ。かぶよ、おおきくなって、あまいかぶになあれ!」じっちゃはかぶをぬきにいった。じっちゃはかぶをつかんで、ひっぱった。ひーても、ひーても、びくともしない!
ばっちゃがでてきて、ばっちゃがじっちゃを、じっちゃがかぶをつかんで、ひっぱった。ひーても、ひーても、びくともしない!

このあと孫息子、孫娘を呼び、一列につながって四人でかぶをひっぱるが、それでもかぶはぬけない。そして意外な結末を迎える。

そこへネズミがひょっこりあらわれて、かぶをたべてしまい、ひっこぬいた!

教育的意味を重視してきた人には拍子抜けするような、あっけらかんとした結末である。昔話絵本でこの話に親しんできた日本の子どもたちからも、「そんなの、ないよ!」と抗議されそうだ。(一部中略)
斉藤さんによれば、「大きなかぶ」の読み聞かせで一番に楽しいところは、新しい登場人物が現れるたびに、行列を最後尾から順にたどって、先頭のかぶまで戻る部分だという。「鼠が猫をひっぱって、猫が犬をひっぱって、犬が孫娘をひっぱって、孫娘がおばあさんをひっぱって、おばあさんがおじいさんをひっぱって、おじいさんがかぶをひっぱって…」
こうして新しい登場人物が加わるたびに長くなっていった鎖が、かぶが抜けたことによってぷっつりと切れ、話は終わる。鎖が切れて初期状態に戻ることがたいせつなのであって、かぶが抜ける理由は問題ではない。みんなで力を合わせた結果であろうと、鼠がかじった結果であろうと、かまわないのだ。
民話は人から人へと語り継がれていくものだから、後からいろんな味付けが加えられて、いつの間にか立派な教訓話ができあがっていくこともある。
「大きなかぶ」が教科書に加えられた当時には、たまたまロシアの民話であったことに注目が集まって、政治がらみのこんな批判まで飛び出したというからおもしろい。「『団結』も『集団的労働』も悪くはないが、それを教えたければ日本の民話にも同じようなものが無数にあるではないか。にもかかわらず、小学1年生から何故ソ連の民話を学ばせなければならないのか…」

昔話をどう読むかは自由だけれど、時には斉藤さんの言うように、「幼い子どものように素直にあるがままを受け入れて」、「大きなかぶ」本来の物語のチカラを楽しんでみるのもおもしろいかもしれない。

★今回の関連ページです。

「一致協力がテーマ」ではなかった
 藤森照信・評〜毎日新聞より
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2006年10月12日

「読みもの」として神話を楽しむ〜『日本神話とアンパンマン』(その1)

日本神話とアンパンマン日本神話とアンパンマン
山田 永

集英社 2006-07
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日本神話、と聞くと何だか身構えてしまう。なんと言っても宗教のテキストなのだし、戦前の事情などを考えるといいイメージが持てなくて、ほとんど食わず嫌いのような感覚で遠ざけてきたような気がする。
ところが、本書の著者であり、古事記の専門家である山田永さんはこう言う。「(日本神話の)本当の魅力は、思想以外のところにあるのです。『読みもの』としての魅力です」。そんな日本神話は、私たちの身近な暮らしの中にも、意外に深い根を下ろしているらしい。たとえば山田さんは、息子さんと一緒にアンパンマンのアニメを繰り返し見ているうちに、その世界観があまりに日本神話に似ていることを発見して驚いたのだという。

―なぜ、『それいけ! アンパンマン』が神話と関係あるんですか?
 はい。誰でもそんな疑問を抱くと思います。作者やなせ先生ご本人も、日本の神話に影響を受けたとはおそらくおっしゃらないでしょう。しかし、神話を勉強している私には、どうしても『それいけ! アンパンマン』は神話的手法で成り立っていると思えるのです。これは実は、『それいけ! アンパンマン』に限ったことではありません。『水戸黄門』にせよ『ウルトラマン』にせよ、バラエティー番組『どっちの料理ショー』にしても、神話的手法が駆使されているのです。作者あるいはプロデューサーが意識していなくても、そこには神話がいかされています。

いかにも太陽を思わせる、まんまるい顔のアンパンマンは「アマテラス」。彼が住んでいるパン工場は「高天原」。一方、ライバルのばいきんまんは「スサノヲ」で、バイキン島が「黄泉の国」…と考えていけば、全てきれいに説明が付いてしまう。「宿命のライバル」であるアンパンマンとばいきんまんが、光と影のように切っても切り離せない関係にあるところも、姉弟だった「アマテラス」と「スサノヲ」の関係によく似ている、と山田さんは言う。

本書の後半では、いよいよあのホラーマンが登場する。謎めいたスケルトン姿なのに、なぜか子供たちに人気のあるあの怪人は、日本神話ではいったい何の神さまに相当するのだろう?
山田さんによると、元々やなせ氏は、視聴者をこわがらせるつもりでホラーマンを登場させたのだという。ところが、何度か回を重ねるうちに、まるで正反対のキャラクターへとホラーマンは変貌を遂げてしまった。

二〜三回しか登場しないのなら、相手をこわがらせることはできます。でも、幽霊の正体が枯れ尾花だとわかってしまうと、もう「キャー」とはいってもらえません。そこでホラーマンは悩んだのでしょう。三回までで出るのをやめるか、こわがらせることをやめてでも、出続けるか。彼は後者を選びました。なぜなら、人気が出ちゃったからです。こわがらせるのをやめるといっても、なんのことはない。もともと備わっていたお調子者の性格を前面に出せばよかったのです。(一部中略)

この苦渋の選択(?)のために、ホラーマンにはますます謎が増えていった。「アンパンマンの味方なのか、ばいきんまんの仲間なのかもわかりません。自分の都合によって、こっちと組んだりあっちと一緒になったりします。でも、彼の魅力は、このどっちつかずにありそうです」。
そんな彼は、神話学でいうトリックスターにあたるのだ、と山田さんは説明している。「策略をめぐらし、いたずらをして、それまであった秩序を一時的に破壊するという役割を担って神話や伝承に登場する人物や動物」。つまりは、ばいきんまんと同じ「スサノヲ」族の一人ということらしい。
(その2につづく)
posted by ふらら at 11:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評 フォークロア・あの世 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月15日

古事記にひそむ心の元型〜『日本神話とアンパンマン』(その2)

この本を読んでいるうちに、ふと、学生の頃、『あんぱんまん』の絵本を紹介してくれた先生がいたのを思い出した。大学の講義にアンパンマン? と私たちが首をかしげていると、
「これは、ただのアンパンマンじゃありません」
と先生は言った。
「作者のやなせたかしさんが、初めてアンパンマンを構想したときの絵本なんですよ」
なるほど、その古びた絵本に描かれていたのは、アニメで見慣れたあの愛らしいヒーローの姿ではなかった。ひょろ長い体にみすぼらしいマントをまとった、何ともさえない「初代あんぱんまん」がそこにいた。
それでも、いよいよクライマックスになると、彼は本領を発揮した。お腹をすかせたかわいそうな子供のために、自分の顔=アンパンをちぎって与えるのだ。
「このとき、あんぱんまんは、生まれて初めて自分の顔を子供に与えたんです。名シーン誕生の瞬間ですね」
ところが、「顔」を差し出したときの初代あんぱんまんの様子は、アニメで見慣れた現役アンパンマンのそれとは少し違った。薄汚れたマントや、やせた体つきのせいだろうか。それとも、その古い絵本のイラストの、どことなく哀愁漂うタッチのせいだろうか。
「何となく、神々しささえ感じませんか」
と先生は言った。
「私は、この初代あんぱんまんの姿に、キリストのイメージを感じるんですよ」

この先生の言葉をどう受け取るかは、きっと人それぞれだろうと思うけれど、『日本神話とアンパンマン』の最終章で、山田さんはこんなことを書いている。

やなせ先生は先の自伝の中で、次のように語っています。正義の味方だったらまずすべきなのは、ひもじい思いをさせないこと、餓死しかかっている人を救うことだと身にしみて痛感していた、と。戦中・戦後の食糧難が、アンパンマンを誕生させたのです。
このことは、もっと知られてよい事実です。とくにこの飽食の時代、できれば『それいけ! アンパンマン』が大好きな子供たちにも。
主人公が自分の顔の一部を与えるといった前代未聞のキャラクターが誕生したのは、こんな暗いけれど忘れてはいけない原作者の体験・日本の歴史があったからなのです。(一部中略)

当時は日本のいたるところにいた、お腹をすかせた子供たちにとって、きっと初代あんぱんまんは歩く「お菓子の家」のようなものだったのだ。

アンパンがとっくに時代遅れのおやつになっても、作者のやなせさんがこの物語に込めたシンプルで強烈なメッセージは変わらない。アンパンマンがさまざまな神話の主人公をほうふつとさせるのも、ごく当然のことなのかもしれない。
その後、ばいきんまんを一撃でやっつける「アンパーンチ!」の必殺技も身につけて、「アンパン」でありながら「アンパン」を超えた、不思議なヒーローとして彼は活躍を続けているのだ。山田さんの説によれば、こうしたアンパンマンの成功の秘密は、やなせ氏が(たぶん、無意識のうちに)アニメ版のアンパンマンに取り入れた、神話的手法だったということになるのだけれど。

…神話を勉強している私には、どうしても『それいけ! アンパンマン』は神話的手法で成り立っていると思えるのです。これは実は、『それいけ! アンパンマン』に限ったことではありません。かなり多くのテレビ番組・映画・小説などにいえると私は考えています。
 中でも、『それいけ! アンパンマン』は、神話的手法が顕著です。私は心理学者ではありませんから、「意識」「無意識」のことはわかりません。でも、心理学者(たとえば、林道義氏や河合隼雄氏)が神話を研究して、さかんに日本人の(あるいは世界の人の)心の元型をさぐろうとしていることと、知らないうちに作者やプロデューサーが神話的手法を使っていることとは無関係とは思われません。(一部中略)

日本最古の書物、『古事記』に描かれた日本神話の中に、後の世に登場するフィクション(物語)の核のようなものが、すでに凝縮されていたのだとしたらすごいと思う。
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2006年11月06日

ヒトはなぜ埋葬するのか〜『脳と墓 I』より

脳と墓〈1〉ヒトはなぜ埋葬するのか脳と墓〈1〉ヒトはなぜ埋葬するのか
養老 孟司 斎藤 磐根

弘文堂 1992-03
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養老孟司さんと言えば、ベストセラーになった『バカの壁』で有名だけれど、本来の専門分野である解剖学のテーマを、独特の切り口で掘り下げた本も数多い。

『脳と墓 I』のテーマは、その名の通り「埋葬」だ。地球上の動物の中でも、埋葬という行為をするのは人だけだという。古今東西の社会を見ても、そこには必ず文化に根ざした死体の取り扱い方があり、埋葬法があった。古代エジプトやペルーのミイラ、パリのカタコンベの死蝋、イタリアの教会に山と積み上げられた頭蓋骨、日本の即身仏など、そのあり方は多様だけれど、「ネアンデルタール人以来、全てのヒトが埋葬を行ってきた(174ページ)」。

一方で、「放置死体の行く末」の章では、埋葬されずに野ざらしになった人体がたどる「死後変化」の実態が、具体的な絵や写真をもとに再現されている。たとえば、鎌倉時代の『九相詩絵巻』。この絵巻は、浮世への執着心に対する戒めとして、修行僧のために描かれたものだったという。養老氏らは、そこに描かれている「新死相、肪張相、血塗相、方乱相、食相、青相、白骨相、骨散相、古墳相」の九段階を、現代医学で見る「死後変化」の様子と比較しながら、順を追って詳しく解説している。

死体は不潔でおぞましい、というのは人として当然の感覚だ。けれど、「だから埋葬するんだろう」といった常識は現代人のもので、「死体への嫌悪感、不潔感、および恐怖心が初めヒトに埋葬をさせたわけではない(本文58ページ)」。また、「死者に対する悲しみの情に駆られて行うわけでもない(170ページ)」らしい。では、いったいなぜ?

養老氏らの出している一つの答えは、「死んだヒトの代わりに、新しいヒトを得るため」、というものだ。「死者を『あちら側』の世界に送り出すことで、新しい生命、すなわち赤ん坊を『あちら側』から送ってもらうのである。彼岸の彼方と、ヒトを交換することになるわけである(176ページ)」。そこから、彼岸の彼方で「死者を受け取る存在」への意識が生じ、やがて、彼らに向けてさまざまな儀礼を執り行うようになったのではないか。つまり、ヒトは「埋葬を行ったと同時に、宗教をもったわけである(177ページ)」。

養老氏らのこの説をどう受け取るかは人それぞれかもしれない。けれど、「埋葬とは何か」を淡々と語った本書を読み、これでもか、というほどに続々と紹介される頭蓋骨やミイラの写真を眺めているうちに、「死を語ることはタブーであり、不浄感なこと」といった常識的な感覚が、いつの間にか麻痺してきてしまうのは間違いない。
そこにあるのは、解剖学の現場に身を置いてきた人ならではの視点であり、びっくりするほど即物的でリアルな「死」だ。そのうち、とっくの昔に問うのを忘れてしまっていたあの疑問、「死っていったい何なんだろう」という素朴な疑問が、今更のようにふっと心に浮かんできてしまう。さすがは本職ならではの一冊だと思う。

(この記事は、別ブログ『掘れたて本』の記事を一部改変・転載したものです)

★今回、トラックバックをさせていただいたブログのページです。

Ensayo(エセー)
『脳と墓と宗教と、いまごろ知った私と』
タグ:養老 孟司
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2006年11月24日

悪魔と癒し合う〜上田紀行『スリランカの悪魔祓い』(その1)

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スリランカの悪魔祓い―イメージと癒しのコスモロジースリランカの悪魔祓い―イメージと癒しのコスモロジー
上田 紀行

徳間書店 1990-03
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最近、このブログも少しずつ更新日がずれ込み始めている。元来飽きっぽい上に、スケジュール管理が甘いときているから当然の成り行きかもしれない。長期にわたって書き込みが続いているあちこちのブログを見るにつけ、すごいなあ、と感心することしきりの今日この頃だ。
ともあれ、ずれ込みついでに部屋の整理などをしていて、何年か前に古本市で買ったきり忘れていた本を本棚の奥から発掘した。文化人類学者である上田紀行さんの『スリランカの悪魔祓い』だ。

1948年にイギリスから独立して以来、急速に近代化してきたスリランカだけれども、農村部では今なお民俗仏教が息づいていて、『悪魔祓い』の儀式が頻繁に行われている…そんな事実を知った上田さんは、知人の紹介を頼りに南方の村々を訪れ、呪術師たちに取材を申し込んだ。聞けば、村々は折りしも旱魃に襲われていて、連日のように悪魔祓いの儀式が行われているという。こうして念願の「悪魔」との出会いを果たした上田さんは、うだるような猛暑の中、夜を徹して行われる儀式の数々を、何ヶ月にも渡って調査し続けた。そのフィールドワークの詳細と、そこから上田さんが導き出した「悪魔観」――悪魔とは何か、それを祓う儀式とはいったい何を意味するのか――が記録されているのがこの一冊だ。

国立の病院が多く、医療費も無料だというスリランカでは、ほとんどの患者はまず町の病院へ行く。けれども、薬を飲んでも良くならなかったり、検査でどこにも異常が見つからなかったりすると、人々は呪術師の元を訪れ、悪魔祓いを受けるのだそうだ。
儀式が始まると、力強いドラムの演奏に合わせて、鮮やかな衣装をまとった呪術師たちが登場し、「悪魔とブッダの戦い」を表現したダンスを踊る。そのパフォーマンスは見事なもので、中には「スリランカ舞踊団」の一員として、日本公演に参加したことのある呪術師もいるほどだという。
一方、村人も心得たもので、ドラムの音が辺りに響き始めると、誰からともなく集まってきて、見物客をもてなす「宴会」に参加する。患者を治療するための儀式でありながら、多くの村人が集う社交の場でもあり、華麗なダンスに彩られた祭りでもある「悪魔祓い」は、村人にとって無くてはならない大切なリフレッシュの一時なのらしい。
儀式がクライマックスを迎えると、「悪魔」と一体化した患者たちも、自らドラムの音に合わせて踊り狂う。やがて、ダンスが終了すると共に、「悪魔」も無事どこかへ去っていき、ストレスを発散しつくした人々は、皆すっきりした顔になって元の平穏な生活に戻っていくのだという。その結果、「治療」の成功率は相当なもので、『悪魔祓いの三か月後に訪ねると、二十四人の患者のうち四分の三の十八人は心身の不調が治り、問題は解決したと答えた』。

かくして「悪魔祓い」の詳細を知った上田さんは、その成り立ちが、医療の現場で行われている「イメージ療法」にあまりに似ていることに驚いたという。不調の原因である悪魔を、ブッダの力で追い払う「悪魔祓い」。一方、イメージ療法として知られる「サイモントン療法」では、自分の体内の病巣を具体的にイメージして、それが薬物などによって撲滅されるところを思い描くのだそうだ。
幼いころから仏教に親しんでいる村人にとって、ブッダは悪魔を追いやるスーパースターの役割を果たしている。一方、現代人の場合は、科学に対する信頼感が同じような役割を果たしていて、最新の治療法に対する期待が高ければ高いほど、その奏功率は高まるのだという。
けれども、この両者には明らかに異なる点が一つある、と上田さんは言う。

…それは、サイモントン療法の病巣と悪魔祓いの悪魔の性格だ。どちらも患者の体から出ていくべき存在だけれども、その二つに対する見方は根本のところでまったく異なっている。サイモントン療法における病巣は明らかに敵である。その敵は徹底的に攻撃し、殺戮し、滅ぼされなければならない。しかし、悪魔祓いの悪魔はそうではない。儀礼の最後で患者は悪魔と笑い合う。そして悪魔は殺されるのではなく、笑いながら去っていくのだ。
 悪魔は悪そのものだ、だから殺せ、という考え方は悪魔を物と考えてその存在そのものを否定しようとするものである。しかし、もう一方の考え方で問われているのは、悪魔の存在ではなくて、悪魔との関係のあり方なのだ。悪魔といえどもこの世界に生きている限りはその存在を抹殺することはできない。それならばいい関係を築けばいいじゃないか。敵ではなく、悪魔も味方にしてしまえばいいじゃないかという考え方なのである。
 スリランカの悪魔祓い、それは悪魔の排除ではなく、悪魔との和解である。だから悪魔「祓い」というのは正しくないのかもしれない。それは悪魔祓いというよりは「悪魔遊び」とも言うべきものなのだ。敵と見えていた悪魔を味方にして、その悪魔と一緒に遊んでしまう。それは、悪魔の抹殺ではなく悪魔の心変わりを促す悪魔とのパーティなのだ。
 そして、その心変わりは悪魔の側にだけ起きているのではない。患者の側もそうなのだ。なぜなら、本当は一緒に笑い合える友達にもなれる悪魔を敵として見ていたのは、半ば患者の側にも責任があったからである。…(一部中略)

そういえば、長い間忘れていたこの本を、今になってとても面白く読めたのは、最近自分でも「悪魔祓い」を受ける患者に似た経験をしていたせいかもしれない。

(その2に続く)
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2006年11月27日

イメージの力〜上田紀行『スリランカの悪魔祓い』(その2)

ちょっとした事情で、うちの家にはまだ子どもがいない。作ろうという努力をしていないので、「不妊」というよりは「未妊」に近い状態かもしれない。
自分自身のことなのだから、当の「事情」を頭で理解することはできる。自分と主人が、その責任を半々に負っていることも分かっている。けれども、「あともう少し、時を待とう」と言っている間に、容赦なくどんどん過ぎ去ってしまうのが時間というもので、これはひょっとしてアレかも、迷っている間に、その「時」を決定的に逃してしまうのがオチなのかも、という思いが、私の中で危険なほどネガティブに膨らんでしまった時期があった。

あれは悪魔が憑いていたかもなあ、と我ながら思うような最悪の状況だったのだけれど、そんなこんなで数年が過ぎるうちに、逆に心の整理がついてきたから不思議なものだ。35歳からが「高齢出産」というのは、実のところ一つの指標にすぎない。人がいつ死ぬのかは誰にも分からないように、「産む」「生まれる」ということも、自分ひとりの力でコントロールできることではない。もしも時が来れば、自然にそうなるものだし、時がこないと決まったら、その先どうするかをまたゆっくり考えればいい。そのための時間なら、まだまだ十分に残されているじゃないか…なんて考えているうちに、徐々に失われていく「可能性」を思うたびに悩まされていた、あの何ともいえない気持悪さが、少しずつ薄らいできたような気がする。

やや大げさな表現だと思うし、もしかすると不快に感じる人もいるかもしれないけど、こうした心境の変化は、リハビリテーションの分野で言う「障害の受容 (Acceptance of Disability)」のプロセスになぞらえることができるかもしれないと思う。重大な病気や事故を受けた患者は、その直後は「ショック期」にあり、自分の置かれた状況に意外に無関心なのだそうだ。やがて、障害が簡単には治らないことが薄々分かってくると、心理的な防衛反応が生じて、障害を無視しようとする「否認期」が訪れる。けれども、圧倒的な現実を否認し切ることは不可能なので、そのうち内外への怒りが爆発したり、抑うつに満たされたりする「混乱期」に入る。そこから、自立へのニーズが優位に立つ「解決への努力期」へと向かい、一進一退の努力を経て「受容期」へと達したときに、初めて「ふっきれた」と感じるのだという(上田敏『目でみるリハビリテーション医学』より)。

私の場合、事はやっと「解決への努力期」にさしかかったばかりという気がするけれど、そこで大きく役立ってくれているのが、上田紀行さんが書いていた「イメージの力」であるように思うのだ。
イメージが持つ力はとても強い。それは、心と体の間の強いつながりを物語るもので、人間だけではなく、動物や植物にも大きな影響をおよぼす、と上田さんは書いている。

 このことを劇的に示すひとつの実験がある。オハイオ州立大学で行われたウサギを使った実験である。
 それはコレステロールと動脈硬化の関連についての実験だった。ウサギに脂肪分の多い食物を一定期間与え、その後解剖して動脈硬化の様子が調べられた。ところがそこに説明できない結果が現われた。あるグループのウサギだけがグループ全体より60%も動脈硬化の発生率が少ないのだ。
 同じえさを食べているのになぜ60%もの違いが出るのか。その原因を調べていくうちに、そのグループはあるひとりの研究者によってえさを与えられ世話をされていたことがわかった。この研究者はウサギ好きで、実験中にウサギたちに話しかけたり、撫でたりしていたのだった。
 この結果は単なる偶然なのだろうか? それを確かめるために今度は組織的に実験が行われた。二つのグループに同じえさを与え、一方のグループのウサギだけ、一日に数回同一の人がかわいがり、話しかけるようにした。そしてその結果は、前と同じくかわいがられたウサギの方が発生率が60%低かったのである。
 動脈硬化は食物の中のコレステロール分が動脈に沈着して起こる純粋に「身体」的な病気である。しかし、メカニズム自体は身体的なものであっても、その全体は「心」的な要因によって左右されるのだ。同じコレステロールの量を取っていながら、「孤独」なウサギは動脈硬化になっても愛されているウサギは病気にならないのだ。しかも、この実験の対象はウサギである。ウサギの心に起こったことならば、複雑に心を発達させた人間にはもっと多くのことが起こってもおかしくないと考える方が普通だろう。
 1973年、マサチューセッツ州の特別対策委員会がひとつの報告書を提出した。動脈硬化症患者が生き残る可能性についての調査結果だった。その決定要因は何だろうか。驚いたことに、それは喫煙でも、高血圧でも、血中コレステロールのレベルでもなく、「仕事への満足度」だった。そしてそれに次ぐ要因は「総体的な幸福感」だった。(一部中略)

最近、ふとした拍子に、主人が「つるり」と私のお腹を撫でてくれることがある。それは気のせいか、その中にアレが、子宮が眠っているということを改めて意識させてくれるような撫で方で、そのたびに私は、コレステロールにも負けずに長生きするウサギになったみたいな、不思議な気持ちになってしまうのだ。
一時期は、交通事故で片足でも失ったかのように、大層な悲嘆にくれていた私だけれど、考えてみれば、その「失われた足」というのは、何かの拍子にまたひょっと生えてくるかもしれない足なのだ。可能性がどんなに低くても、そうした「まさかの場合」のために、心の準備くらいはしておかなくてはならない。少しずつ、できることから、他ならない自分自身の成長のためにも。

まだ子どもを持たない私にとって、ベビーのイメージは、この世で最もストレートな「再生」のイメージでもある。まさに悪魔祓い、病退散のための「ポジティブなイメージ力」となって、今も私たち一家を支えてくれているのだと思う。
posted by ふらら at 09:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評 フォークロア・あの世 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月18日

「無の場所」へのピクニック〜中沢新一『アースダイバー』より

アースダイバーアースダイバー
中沢 新一

講談社 2005-06-01
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自転車に乗るのが楽しくて仕方がなかった時期があった。
そのころ会社勤めをしていたわたしは、ビール好きの上司の元から転属になったのを契機に、ライフスタイルを改めようと考えた。ちょうど、軽くて扱いやすい自転車を買ったばかりだったので、会社まで約8キロの道のりをそれに乗って通うことにした。
国道の最短ルートは車が多くて走りづらかったけれど、川沿いにサイクリングコースがあるのを発見してからは、朝のひとときを楽しむ余裕も出てきた。到着後、汗びっしょりのウェアを着替えるたびに、面白いように身軽になっていく自分を感じた。そのうち、通勤の行き帰りだけでは物足りなくなって、数十キロ離れた知らない街まで、地図を頼りに足を伸ばすようになった。

あるとき、地図を眺めているうちに、小学校の社会科で習ったことのある、有名な古墳の名前が目にとまった。以前から知ってはいたけれど、実際に見たことはないその古墳の麓を目指して自転車で走る。そんなプランが不思議と気に入って、天気のいい日を選んで自宅を出発した。

目的の街には昼過ぎに着いた。古墳公園の位置を地図で確かめているとき、ふと、山のようにこんもりと茂った緑が、さっきから横手に見えていたことに気が付いた。
初めて目にする日本最大級の古墳の姿は、地図上のイメージをはるかに上回る大きさだった。えんえんと切れ目なく続く緑を見上げるうちに、「これってお墓なんだな」と思わず考えた。自分でも意外なことに、そのとたん背筋がぞっとした。街の真ん中に、ぽっかり開いたブラックホールを見つけたような、そんな独特の違和感があった。

あの日、漠然と味わった感覚の正体を、より確かな形でフィードバックしてくれる本に出会ったのは、それから何年も経ってからのことだった。中沢新一さんの『アースダイバー』だ。

おもしろいと言う人もいれば、素人向けのほら話と言う人もいて、賛否両論のある同書だけれど、個人的には、その冒頭で紹介されている「縄文地図」の発想にとても惹かれる。中沢さんの説明によれば、縄文海進期の頃、まるでフィヨルドのように入り組んでいた東京湾の地形図を、現在の東京の地図に重ね合わせて製作したのが「縄文地図」だという。この地図を片手に散歩をしていると、それまで気が付かなかった街の一面が浮かび上がってくる、と中沢さんは書いている。

 どんなに都市開発が進んでも、ちゃんとした神社やお寺のある場所には、めったなことでは手を加えることができない。そのために、都市空間の中に散在している神社や寺院は、開発や進歩などという時間の侵食を受けにくい、「無の場所」のままとどまっている。猛烈なスピードで変化していく経済の動きに決定づけられている都市空間の中に、時間の作用を受けない小さなスポットが、飛び地のように散在しながら、東京という都市の時間進行に影響を及ぼし続けている。
 そして、そういう時間の進行の異様に遅い「無の場所」のあるところは、きまって縄文地図における、海に突き出た岬ないしは半島の突端部なのである。縄文時代の人たちは、岬のような地形に、強い霊性を感じていた。そのためにそこには墓地をつくったり、石棒などを立てて神様を祀る聖地を設けた。
 そういう記憶が失われた後の時代になっても、まったく同じ場所に、神社や寺がつくられたから、埋め立てが進んで、海が深く入り込んでいた入り江がそこにあったことが見えなくなってしまっても、ほぼ縄文地図に記載されている聖地の場所にそって、「無の場所」が並んでいくことになる。
 東京を歩いていて、ふとあたりの様子が変だなと感じたら、この縄文地図を開いてみるのである。そういうところはたいてい、沖積期の台地が海に突き出していた岬で、たくさん古墳がつくられ、古墳のあった場所には後にお寺などが建てられたり、広大な墓地ができたりしている。つまりそういう場所からは、死の香りがただよってくるのだ。(一部中略)

この本には飛躍が多いので、まともに読むには難がある、フィクションだと思って読んだ方がいいよ、と言う人もいた。けれども、それならそれでいいんじゃないか。少なくともこの本は、あのピクニックの日、古墳を見上げながら感じた違和感に、うまく名前を付けてくれた一冊なのだ。
ひょっとしたら、町中でふっと妙な違和感――「無の場所」の気配――を感じて辺りを見回したことがある人は、案外大勢いるのかもしれない。その気になって探しさえすれば、日本中のどの街にも、古墳や遺跡、古びた神社仏閣が、必ずひっそりと佇んでいるはずだ。都市開発の波を逃れて、昔の姿をとどめているそうした「無の場所」は、街それぞれの「縄文地図」が、時を越えてそこに確かに存在していることの証なのかもしれない。

(この記事は、別ブログ『掘れたて本』の記事を一部改変・転載したものです)
タグ:中沢 新一
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