2006年08月05日

本をつくる。(その1 季刊「銀花」)

02941-06-1994.jpg
季刊「銀花」1994年夏・第九十八号
1994年05月25日発売

文化出版局 刊

あるとき、自分で本を作ってみよう、という気になった。
もちろん、いきなり本格的なハードカバーに挑戦するのは無謀だけど、素人の手作りでも様になりそうな、シンプルな製法のものから試してみたくなったのだ。

あれは確か、会社の先輩に紹介されて読んだ雑誌、季刊「銀花」に触発されてのことだったと思う。
当時のわたしが勤めていたのは、小さな広告プロダクションだった。ある社内報のリニューアルをすることになったとき、「新デザインのイメージ本」として、先輩がミーティングに持ってきていたのが「銀花」だった。

「古風でシンプルな編集が、かえって新鮮に思える雑誌」と先輩は言った。いったいどんな内容だろう、と特集記事のページをぱらぱら見てみると、「本工房の主人」という不思議なタイトルが目に飛び込んできた。
本工房? つまり、印刷から装丁まで、本作りの全てを自分一人でこなしてしまうということだろうか。
本はいかにして生まれるのだろう。かつて英国の詩人にして意匠芸術家ウィリアム・モリスは、本の退廃を悲しみ、理想の書物を作らんとプライベートプレスを創設した。時代と場所を飛び越え、現代日本の各地にも本に思いをこめる人々がいる。旅の思い出を本の中に永遠に封じ込めようとする者、また心酔する著者の書物に内容に見合う装幀を施す者…そこには人と書物が密にかかわる最も幸福なありようが、言い換えれば人と書物との原初のかたちが現れてはいないだろうか。…
巻頭の記事に魅入られるように、私はページをめくっていった。見れば、「理想の書物」と銘打ってあるだけに、どれも普通の作りの本ではないらしい。

本場フランス仕込みの格調高い工芸本。
小指の爪ほどの大きさしかない可愛らしい豆本。
艶やかなタイ・シルクでアジア風の趣を出した本。
アカシアの古木をそのままに生かしたブックケースに収まった本…。

大いに興味をそそられて、帰りに古本屋に立ち寄ったわたしは、運良く「銀花」のその号を手に入れることができた。(つづく)

(この記事は、別ブログ『掘れたて本』の記事を一部改変・転載したものです)
タグ:銀花
posted by ふらら at 11:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評 旅・ひと・もの作り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月10日

本をつくる。(その2 古布の和装本)

「本工房」の特集の中でも、特に心引かれた記事があった。川柳作家であり書家である古川妙子さんが、自作の川柳を書きとめて作っているという「古布の和装本」の話だ。

Book 005.jpg
季刊「銀花」第九十八号p.35より
『古川妙子の本』

あるとき、句集の発刊を思い立った古川さんは、近所の古老から和綴じの製本を習い覚え、手元にあった古布を使って百冊の和装本を作り上げたのだという。その表紙を飾った古布の柄は、一冊ごとにみな違っていたということだ。蔵の奥から出してきた着物の布や、天神市で買い求めた布。中には、道端で拾った布や、古い蚊帳をほどいて作った布もあったという。
『子持ち縞、よろけ縞、矢絣、友禅、絞り…』
昔ながらの名前を持つ百通りの布の柄を順に眺めているうちに、それぞれの本に書きとめる句が、自然と心に浮かんできたのだそうだ。

『夢の壁を自由に出入りする桜』

この句を生んだ古布の柄は、いったいどんな色合いに染められていたのだろう。

…記事にあった句集の写真を眺めながら、いろいろと連想を広げているうちに、自分でも和装本を作ってみたくてたまらなくなった。あいにく、和綴じの製本を手ほどきしてくれそうな古老の心当たりはなかったけれど、和風雑貨の店で手に入れた和装本を手本にして、見よう見まねで作ってみることにした。
同じ雑貨店で、古布や和紙のはぎれも手に入った。古風だけれど、眺めるほどに美しいはぎれの柄に嘆息しながら、木工用ボンドで厚紙に貼り付けて表紙を作る。乾いたものから千枚通しで穴を開け、手折りにした和紙といっしょに刺繍糸で綴じていった。

古川さんのように、粋な川柳を書き綴れるわけではないけれど、乳白色の和紙に筆ペンでつれづれの日記を書いていくのは新鮮な体験だった。できのいい本は取っておいて、折々のプレゼントにすると結構喜ばれた。そのうち、贈る相手のイメージに合わせて、方々から引用した文章をプリントするようにもなった。(その3につづく)

(この記事は、別ブログ『掘れたて本』の記事を一部改変・転載したものです)
posted by ふらら at 13:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評 旅・ひと・もの作り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月12日

本をつくる。(その3 渡り鳥の伝説)

Book 007.jpg
エスキモーの民話エスキモーの民話
ハワード ノーマン Howard Norman 松田 幸雄

青土社 1995-07
売り上げランキング : 876879

Amazonで詳しく見る
by G-Tools


ある友達の誕生日に贈った和装本には、エスキモーの民話をプリントした。
インディアンの伝承についての本を愛読していた彼は、あるとき、自分の生まれ月のトーテムだという「スノー・グース(白雁)」の話をしてくれた。そこから、同じネイティブ・アメリカンであるエスキモーの「渡り鳥の伝説」を連想したのだ。
和装本に北米の民話という、考えてみればミスマッチな取り合わせだったけれど、作ってみれば、何だか明治時代の古い書物のような雰囲気が出て、それなりに様になったような気がしたものだ。

ハワード・ノーマンの『エスキモーの民話』から引用したその伝説は、渡り鳥が飛んでいく先々の世界のことをファンタジックな語り口で描いたものだった。クライマックスでは、いよいよ大海原(太平洋のことだろう)を飛びこえた先にある「この世の果て」の様子が語られる。
この海の向こうには大陸があるが、その大陸の向こうにはもう一つの海があり、その海の向こうは、鳥が飛んでいくことのできる限界である。そこでは、固い空が落ちてきて大地を打ち、跳ね返り、門の開閉は止むことがない。
 この門の向こうには鳥の国があり、鳥たちはそこへ冬に飛んでいく。だが、空がさっと落ちてくるので、多くの鳥はうまく飛び抜けることができなくて、罠にかかったときのように、門が閉まって捕らえられてしまう。この門の手前は、人間の背よりも高い潰れた鳥の厚い層によって地面が覆われていて、羽が絶えずそこいらじゅうをふわふわ飛び、風に流されている。
ナンセンスながら、どこか心に残る不思議な民話だ。本を贈った当の友達は、「何か深い意味でもあるのか」と首を傾げている様子だったけれど。

(この記事は、別ブログ『掘れたて本』の記事を一部改変・転載したものです)
posted by ふらら at 22:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評 旅・ひと・もの作り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月25日

グリーンフラッシュ(緑の閃光)〜『ワトソン博士のワンダーランド』(その1)

モンスーン―ワトソン博士のワンダーランドモンスーン―ワトソン博士のワンダーランド
ライアル ワトソン Lyall Watson 内田 美恵

筑摩書房 1996-01
売り上げランキング : 508299
おすすめ平均

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

紀行文はそれほど読んだことがない私だけど、この『モンスーン―ワトソン博士のワンダーランド』の序文に出てくる「グリーンフラッシュ」についてのエピソードは、今でも忘れられない。

著者のライアル・ワトソン博士は、旅行の達人として知られるアフリカ生まれのイギリス人科学者だ。博士によると、旅の素晴らしさは、「新しい世界」や、「再発見されるのを待っている失われた古い世界」に出会えることにあるという。

そうした「未知の世界」は、私たちの身近なところにも存在しているのだけれど、改めてそれを見つけ出すのは難しい。「ただ見えるものを見る」のではなく、「そこにあるはずのものを本当に見よう」としなければならないからだ。そうした目を養うためには、少しばかり練習が必要だ、と博士は言う。
わたしがとりあえず勧めるのは、たとえば沈む夕日の上っ縁が遠い海の水平線に消える間際にときたま見られる「グリーンフラッシュ」(緑閃光)のように、単純にして複雑なものから練習することである。空が澄み、気温もころあいで、波長の長い赤い光がすでに大気に吸収されたようなときに、はっとするほど鮮烈な緑色の閃光が光るのだ。ほんの短い一瞬の出来事で、その瞬間にたまたま瞬きすると見逃しかねない。しかし、太陽が沈む寸前まで目と心をそらせて落ち着かせ、ちょうどその瞬間に西を向いて目をかっと見開くと、科学者たちがあいまいに「すでに起こった事象の残像」と描写するものをとらえる幸運に恵まれるかもしれない。
ただの残像、と言ってしまえばそれまでだけど、赤く染まった海に夕日が沈むそのときに、一瞬あざやかな緑色の閃光が輝くなんて、なんて鮮烈なイメージだろう。

練習が足りないせいなのか、私は博士の言う「グリーンフラッシュ」をまだ見たことがない。けれど、ひょっとしたらこの人なら、夕焼けの中に走る緑の閃光をはっきりと見ることができるんじゃないか、と思わせてくれた友人がいる。伝統工芸の村で、研修所の手伝いをしていた頃に知り合ったTさんだ。(その2につづく)

(この記事は、別ブログ『掘れたて本』の記事を一部改変・転載したものです)
posted by ふらら at 15:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評 旅・ひと・もの作り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月28日

そこにあるはずの色を見る〜『ワトソン博士のワンダーランド』(その2)

幼い頃から「職人」に憧れていたというTさんは、30過ぎで都会を離れ、伝統の技を学ぶために山中の村に移り住んだという個性的な経歴の持ち主だった。何でも器用にこなす人だったけれど、中でも染色の腕前はなかなかのものだった。村に難しい染め物の注文がくると、決まってあの人に作業が一任されていたように思う。
「ちょっと渋い色やね。赤でもないし、オレンジでもないし…」
Tさんを手伝って染めの作業に加わった私は、小さな見本のはぎれから、色目を判断するのにいつも苦戦した。天然の素材を染めるときは、染料の配分が特に難しい。素材そのものが持つ色の差によって、仕上がりが微妙に左右されるからだ。けれど、Tさんはいつも事もなげに判断を下した。
「オレンジに軽く茶がまじってるんじゃないかな。それと紫」
「紫?」
「そう。最後にほんの少しだけ、紫を上がけするの」
そう言うなり、半信半疑の私の前で、見本そのままの複雑な色合いを見事に再現してみせてくれるのだった。

ちょうど光をプリズムに通したときのように、色の組成をそのまま見抜くことのできる目を、Tさんは持っていたような気がする。20代の頃には世界各地を旅して、いろんな国の工芸品を見てきたという彼女だけれど、そんな経験を通して、「色を見るための目」を少しずつ養ってきたのだろうか。

私が伝統工芸の村を去ってから、いつの間にか10年近くの時間が過ぎた。けれどTさんは、今でもあの研修館で染め物の仕事を続けている。今日も、「ただ見える色を見る」のではなくて、「そこにあるはずの色を本当に見よう」と、真摯に目を見開いているに違いない。ちょうど、ワトソン博士が「グリーンフラッシュ」の例で教えてくれた、「未知の世界」と出会うための練習をするように。

(この記事は、別ブログ『掘れたて本』の記事を一部改変・転載したものです)
posted by ふらら at 14:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評 旅・ひと・もの作り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月21日

人間図鑑の魅力〜『や・ちまた 王たちの回廊』より(その1)

や・ちまた―王たちの回廊や・ちまた―王たちの回廊
鬼海 弘雄

みすず書房 1996-01
売り上げランキング : 772437

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

『や・ちまた』は、東京の浅草寺境内で、通りがかりの人の写真を撮り続けて30年以上になるという鬼海弘雄さんの写真集。帯にあった「人間図鑑!!」という文句に興味を引かれて、軽い気持ちで手に取ったのだけれど、初めて目にする鬼海さんの作品にはかなりのショックを受けた。
1ページごとに大写しになったモノクロの人物写真には、それぞれ簡単なタイトルが添えてある。「扇子を持った人」「鳩に餌を与えに来た人」「レース帽の人」「熊の毛皮を着た大工」…。どれも、ごく普通の人たちの、何気ない表情を撮った写真ばかり。なのに、この圧倒的な存在感は何だろう。

そのうち、写真集のあちこちに、解説文らしい文章が挿入されているのを見つけた。梁石日、林望、山尾三省、中野梓といった豪華なメンバーが、鬼海さんとその作品世界に各々のオマージュをつづっているのだ。
中でも印象に残ったのは、荒川洋治さんの文章。「止まって、明らかになる」という不思議なタイトルのついたその文で、荒川さんはこう書いている。

 としをとると、顔にあらわれるが、服装にも出る。特に何を着ているかは、興味をそそる。
 一見ではいわゆる、おじさん、おばさんという名前で、ひとくくりにされそうだが、実はそれぞれに複雑な味わいとでもいうべきものがある。にじみでている。
 家の中にいるときの普段着そのままで道を歩く。ネクタイのしめ方も、背びろのほうもルールにかなっていない。寝間着のままという人もいる。
 としをとったからそうなる人ばかりではない。はじめから、服装というものを、どうでもいいと思っている人もいる。どんな服でも着る。選んだりしない。生活にゆとりがないためもあるが、そんなことは全然、気にせず、どーんと、いつもの服を着る。(一部中略)

荒川さんの表現の的確さに、私はまたびっくりする。それはまさに、『や・ちまた』のポートレートの魅力そのものを伝えている文章だったから。

 うわべはどうでもいいのかもしれない。うわべのしっかりした人が、とても悪いことをする場合もあるから、簡単に人を服装で決めることはできない。服装を見ずに、服装が見えてもそれを見ずに、いちもくさんに、この人はどういう人かを、わかることができればそれでいいのだが、そういう見方のできる人は少なくなった。何かをたよりにしてしか人間を見ることができないのだ。だから人間は、いまとてもつらいところにいる。(一部中略)
(その2につづく)
タグ:鬼海 弘雄
posted by ふらら at 11:03| Comment(0) | TrackBack(1) | 書評 旅・ひと・もの作り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月24日

日々の装いが物語るもの〜『や・ちまた 王たちの回廊』より(その2)

自然服ということばがある。合成繊維や、人工染料を使わずに作った服のことだと思っていたけれど、「それだけじゃない」という人がいた。ある和風雑貨店のご主人だ。
「肌触りっていうか、その素材の感触っていうか…着ていて、気持いいって思える服が、その人にとっての自然服やね」
確かに、その店に並んでいるしぼりや藍染の服は、どれを取っても触り心地がよかった。触って、なでて、風合いを楽しみながら選んだ服は、なぜか力を抜いて楽に着こなすことができるような気がする。肌触りで服を選ぶのは、自分の着心地のため、色柄で選ぶのは、誰かに見てもらうため…とは言い切れないだろうけど。服というのは、元々人に見られるためのものだと思うから。

新しい服を着るのは楽しい。誰かにそれを見てもらう時のことを考えているからだ。そんなふうに、人からの視線に支えられるようにして、私は毎日服を着ている。当たり前のことだけど、一日の始まりには、まず「何を着ようか」と考える。無理のない範囲で装いに気を配ることは、大切な日常の快楽だと思う。

なのに時々、鬼海さんの写真集が見たくなるのはどうしてだろう。

そこに登場する、他人の視線なんて何とも思っていなさそうな、「どーんと普段着そのまま」の人たちに、ふと会いたくなる。意表をつくような個性的な装いと、その向こうに見え隠れするその人の人生そのものが、万華鏡みたいに目の前に現れては消えていく。『や・ちまた』のページをめくっているときの、あのショッキングな驚きと、独特の解放感を味わいたくなる。

人はいろんな服装をするものだが、一人一人にあたってみると、服装や、姿勢の中に、とても多くの情報量が含まれているものだ。それをよみとることはどんな書物にもまさる勉強になるだろう。

服装は どこかで
止まって
いるものである

 なんとか仕事にありつき、ようやく家族を養えるようになった、という人もいる。そのときの安堵感で、人生がすべてからになり、自分のではなく、家族のための人生しかない、というところで、服を着ている人もいる。
 結婚した。やっと相手がいた。そこで止まった服装。子供が生まれて、自分が母親だけになって、止まった人。夫に従うだけになって止まった人。会社のために生きている。あるいは上司のために。しかも胸をはって。でも、そこで人生を埋めてしまった人の服装。 いろんな人が、止まった人生を明らかにしている。それは「人生」というものが、ぼくらをいかに犠牲にしているかの証明でもある。それはまた、自分をなくした記録でもある。自分をなくしたところに、それぞれの生き方がぼんやりと、あたたかいお化けのように立つ。
 人生は止めるためにあるものなのかもしれない。

(荒川洋治さんの文章より)

ふと、私はもう「止まって」いるのかなあ、と考える。そう思うと、なんだかどきりとして、普段の生活のことを改めて考えてしまう。
まだ、どこにも止まりたくない。自分をなくそうとは思えない、と本心がのぞく。一方では、それって人生まだまだってことか、と先を遠望するような気持ちにもなるけれど。
いっそのこと、浅草寺まで出かけて、何かの占いみたいに鬼海さんに写真を撮ってもらいたくなる。自分でも気付いていなかったような心の隅々も、何もかも、ぜんぶを捉えて凝縮したようなもう一枚のモノクロ写真が、『や・ちまた』のページに加わったところを見てみたいと思う。

ぺるそなぺるそな
鬼海 弘雄

草思社 2005-10
売り上げランキング : 155715
おすすめ平均

Amazonで詳しく見る
by G-Tools
タグ:鬼海 弘雄
posted by ふらら at 10:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評 旅・ひと・もの作り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月24日

日本最後のフロンティア〜『「島」へ。』より

「島」へ。―日本を縁取る別天地「島」へ。―日本を縁取る別天地
加藤 庸二

講談社 1996-07
売り上げランキング : 863318

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

日本海に面した故郷の町の湾内には、たくさんの島々が浮かんでいる。高台から港を見渡すと、入り組んだリアス式海岸の合間に、丸い島影が幾つもかすんでいるのが見える。小さな町のとっておきの自慢の風景だ。
もちろん、どの島も無人島だけれど、夏場だけ開島されるキャンプ島もあって、シーズン中は結構人でにぎわう。その中の一つ、野生のタヌキが棲息するポンポコ島(愛称)には何度か渡ったことがある。夕闇の中、姿をあらわしたタヌキは意外に人懐っこくて、逃げもせずに銀色の目でこっちを見返したりした。

そんな島々の風景を、日本各地から選りすぐって紹介したのがこの『「島」へ。』。残念ながら、ポンポコ島の写真は紹介されていないけれど、奇祭・鬼太鼓(おんでえこ)の音が響く佐渡島(新潟県)や、隠れキリシタンが建立したロマネスク聖堂で知られる黒島(長崎県)など、特色豊かな島々の景色がたっぷり盛り込まれている。

本書の写真と文は、島を専門に撮るというカメラマン、加藤庸二さんによる。東京育ちの加藤さんは、元々は海中写真のカメラマンだった。けれど、そのうち漁師の姿が目に入り、しだいに関心が陸に近づいて、とうとう島の写真を撮ることがライフワークになったという人だ。
たとえば、冒頭にある奄美群島の航空写真には、加藤さんのこんなメッセージがついている。

 北海道から、九州、沖縄に至る日本列島。この列島の流れを「日本」、「日本の国土」ととらえることに私たちは慣れている。
 しかし、作家の島尾敏雄さんは、奄美群島・沖縄の「琉球弧」から北へと、日本列島を望むかのように、”ヤポネシア”という詩的なことばでこの国土を呼んだ。
 するとどうだろう。行政上の都道府県に組み込まれて目立たなかった島々が、急に生き生きと海上の人と文化の流れを感じさせはしないだろうか。

巻末には、島を愛する四人の「島達人」の対談が収録されている。参加しているのは、加藤さんをはじめ、島に関連する財団法人に勤める人や、島の研究をしている大学の先生など、いずれ劣らぬ筋金入りの島マニアばかりだ。

―学生時代に、友達四人で危ない冒険をしたんです。嘉比島から阿嘉島まで潜水で、海の底をはいつくばって横断したんです。エアタンク二つを連結したのを背負ってね。四○分かかりました。そのとき、実感しましたよ! 島というのは地べたでつながっていて、そこに水が溜まって海になっているって。
―私は母島ファンなんです。小さな無人島が首飾りのように連なる光景がすごい。文字通りオーシャンアイラインドという感じで。日本にもこんなところがあるのかと。見るなり好きになったんです。小笠原は日本最後のフロンティアですよね。
―小笠原ではクジラにもイルカにも何度も会える。カメ肉も食べられる。カメステーキとかカメサシミとか。果物のグアバで作った麺があったり。東京から二十八時間半かかるのは島人には気の毒だよね。ニューヨークに行って帰って来られる時間なのに。
―そんな東京都があるんだよね。東京都は大海洋自治体なんだよ。そういう視点で見直してほしい。
―仕事ではデスクワークが多いですからね。ときどきフラストレーションがたまって、体のブレーカーがバタンと落ちちゃう。いったい仕事にピリオドを打って、無理やり島に行くんです。すると、自分の中のブレがピシッとなって、ナチュラルになって、元気に帰ってこれる。不思議ですが。(一部中略)

何年も前に買ったこの本を、どうして今頃になって思い出したかというと、前回書いた会社の先輩Oさんが、高知のとある島の出身だったからだ。実は最近、そのOさんの姿を、テレビ番組の中で見かけた…ような気がする。
あれは確か、南国の海のダイビングスポットを紹介するというドキュメンタリーものだった。何気なく見ていたその番組で、レポーターの女性を案内していた地元のインストラクターが、Oさんにそっくりだったのだ。
その後、Oさんも会社を辞めたという噂は聞いていたけれど…。「まさか!」と画面に見入っているうちに、当のダイビングスポットのある島の名前が紹介された。それは確かに、Oさんの生まれ故郷の島の名前だった。
タグ:加藤 庸二
posted by ふらら at 10:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評 旅・ひと・もの作り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月13日

地球を焼くということ〜入澤美時『考える人びと』より

考える人びと―この10人の激しさが、思想だ。考える人びと―この10人の激しさが、思想だ。
入沢 美時

双葉社 2001-09-13
売り上げランキング : 544429
おすすめ平均

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

ある工芸村で一時期働いていたせいか、「伝統」という言葉にはとても重みを感じる。時代を超えて長く残ってきたものには、それだけの意味がある。自分の代で絶やすことなく、後世に伝えていかなければならない財産、それが「伝統」なんだと、年配の職人さんからはそんな風に教わった。村での数年間の思い出と一緒に、今でも心に残っている貴重な教えだ。

けれども、「伝統というのは主体性があんまりなくて、学習のくり返しによってでき上がっていくもの。鳥類レベルの思考だ」と、どきりとするような考えを語っている人もいる。小学校で絵の教師をしながら、自由奔放な「やきもの」を作り続けてきた芳村俊一さんだ。

「やきもの」に関心を持ち始めた頃、小学校に窯を作って楽焼を焼いていたという芳村さんは、あるとき子どもたちから「水彩絵の具を上薬にしたら?」と言われ、はっとする。「いままでの概念的なことを考えると、水彩絵の具は上薬ではないことになる。でもちょっとまてよ」。独学の自分は、「上薬はこういうふうではいといけない」と誰かから習ったわけではない。それなのに、実験もしないで子どもたちのアイデアを否定するのはおかしい。そう考えて、実際に絵の具を上薬に使ってみたところ、意外な収穫が得られた。「水彩絵の具の黄色を使って、これで焼くと面白い」。それ以来、芳村さんは、身近にある素材を生かしてやきものを作るようになった。新しい土や石を探し求めて、全国を行脚するようにもなったという。

地底深くから押し出された石、オフィオライトというんだけれども、それに属するものがなかなかいいんです。京都府の大江山などには、岩石が風化した土があるでしょう。そういう土は焼くと熔けてしまうけれども、そこまで焼かないで止めておくと、地底の色が全部出てくる。それが面白くってね。

「もともと、地球自体がやきものなんだ。土っていうのは、そのやきものが風化してできた。その風化した土を、またやきものにするんだ。だから戻していくことなんだ。これらの循環がやきものなんだ」…そんな芳村さんは、やきものを作り続けながらも、「作品」を創ることににはまったく興味がなかったという。ただ面白いから、次から次へと焼いてみた。それが自分のやきものなのだという。

それで、えらい話が飛びますけれども、鳥類は頭がいいんですよ。イギリスで一羽のヤマガラがあるとき、牛乳瓶の蓋を嘴でつついて取る方法を発見した。そうすると何年か後、イギリス中のヤマガラがすべて牛乳瓶の蓋を取れるようになっちゃってね。鳥類は人類に比べてずいぶん脳は小さいけれども、学習能力が大変高いんだ。
ところが哺乳類はそうではなくて、脳は大きい。そのなかでも、特に人類の特徴である手で握るということが、大きな位置を占めている。

じつは手が器用だっていうのは、手先じゃあない、大脳なんです。その証拠に、手が不自由な人でも、口に筆を咥えたり足に筆を挟んだりして、上手に絵を描くわけです。手先は関係ない、大脳が関係ある。手先だけの単なる訓練じゃあないっていうところに、主体性でもって文化をつくっていくことの基本がある。

そこで、いわゆる伝統っていうのは、主体性があんまりなくって、学習のくり返しによってでき上がっていくもの。伝統っていうのは、鳥類のものなんです。
大事なのは伝統の一番最初の、牛乳瓶をつついたヤマガラなわけでしょう。「土はこうでなくちゃいけない」「釉はこうでなくちゃいけない」「焼きはこうでなくちゃいけない」、それはみんな伝統ですな。でもそれは伝統だから従わないといけないのではない。一番最初、これをやったらこうなるんじゃあないかと予測する、考えることができたから結果が生まれた。後世の人は、「ああして、ああしたから、こうなる」という結果がある。だからその通りにするというだけであって、それは技術ではない。鳥やサルみたいに踏襲しているにすぎない。そうではなしに、それもやってみよう、あれもやってみようということを、ずっともち続けるのが本来ではなかろうか。(一部中略)

そうか。芳沢さんは、決して伝統を否定しているわけじゃない。あの工芸村で、「時代を超えて長く残ってきたものには、それだけの意味がある」と話してくれた職人さんも、本当は芳沢さんと同じことを言おうとしていたんじゃないだろうか。
お客の注文通りにものを仕上げるという喜びがあれば、芳沢さんのように、とにかく作るのがおもしろい、だから作る、という喜びもある。でも、どちらにせよ必要なことは、主体的に考えて、自分の力で工夫するということだ。それを忘れると、伝統を守るどころか、逆に「伝統」というブランドに守ってもらわなければならない弱い立場になってしまう。

一九六○年、芳村さんは陶芸グループ「へんど」を作り、各地から集まってくる人たちにやきものの楽しさを伝え始めた。

芳村 一般的な陶芸教室的な面もありました。ただし違うのは、「上薬は何を塗りましょう」とかいわれると、「ああ、そこの石ころでも叩け」とか、「そこのブロック砕け」とか、「土を採ってこい」とか、そういう方向でしたね。だから外人が好んでね、すいぶん工房に出入りしていました。
―― それは日本にやきものを習いに来ている人たち?
芳村 ううん、ヒッピーみたいなやつら。
―― そのときも、土採りなんかを連れだってやっていたんですか。
芳村 そりゃあやりましたよ、よく連れて。九州一周とか、ヨーロッパへ出かけるとか。イタリアのフィレンツェ、ベネチア、フランスのリモージュをめぐり…。

「へんど」の活動は、四十年が過ぎた今も続いているという。そのうち、機会があれば伊豆まで出かけて、生き残りのヒッピーの人たちに混じって「そんじょそこらの土」を使ったやきもの作りに挑戦してみたいものだ。


★今回の関連ページです。

月刊やきものネット
人に陶あり 芳村俊一さん
posted by ふらら at 10:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評 旅・ひと・もの作り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月09日

中古のバンが、我が家になった〜原田純夫『パパは動物カメラマン』より

パパは動物カメラマン―北米大陸ファミリー・キャンプ旅行記パパは動物カメラマン―北米大陸ファミリー・キャンプ旅行記
原田 純夫

地球丸 1996-09
売り上げランキング : 904051

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

『ナショナル・ジオグラフィック』という雑誌がある。アメリカの有名な写真誌で、主なテーマは自然や地球環境、そして探検だ。
この『ナショナル・ジオグラフィック』に作品が載った日本人の写真家は、これまで三人しかいないという。故星野道夫さんと、岩合光昭さん、そして原田純夫さんだ。

二人のビッグネームに肩を並べる原田さんとは、どんな人なんだろう。一体どんな風にしてアメリカ在住の写真家になり、野生動物を追って北米大陸を旅するようになったのか…その一部始終を、原田さん自身がユーモラスに語った一冊が、この『パパは動物カメラマン』だ。

ニホンカモシカの近縁種といわれるマウンテンゴート(シロイワヤギ)。全身真っ白な長毛に覆われた、この野生のカモシカを追って、初めてロッキー山麓を訪れた原田さんは、その生きざまにすっかり惚れ込んでしまった。

僕はアマチュア・カメラマンだが、ゴートの写真集は最高のものを作りたい。ゴートの魅力を100パーセント伝えられるものを作りたい。単に美しいとか、かわいらしいというだけではなく、彼らの生きざまのすべてを人々にぶつけたい。どこまで妥協せずに写真を撮り続けられるか、それが僕のゴートに対する気持ちだと思う。

当時、原田さんは結婚したばかりで、娘の萌さんはまだ1歳だった。東京で日々の暮らしに追われていたけれど、そのうち『ゴートの病気がおさまらなくなってきた』。妻の公美さんに再度のアメリカ行きを相談すると、家族全員で行くなら、という条件付きでゴーサインが。こうして原田さん一家は、ゴートを追ってアメリカ、カナダ、アラスカを横断する、8カ月の子連れキャンプ・ツアーに出発することになった。

現地についた原田さんは、まず中古のバンを買い、簡単な改造をして三人の「家」を作った。8カ月の滞在の総予算は100万円、1カ月あたりの生活費はわずか6万円。近くの渓流でトラウトを釣ったり、現地の人があまり食べないイクラを譲ってもらったり、時には交通事故死したシカを拾って解体したりと、サバイバルな日々が続いたという。

そんな暮らしのなかでの最大のぜいたくは、「時間はすべて僕たち三人のもの」ということだと思う。つまり家庭外から時間に追われることがないのだ。その日の天候、ゴートの状況、食料事情、夫婦ゲンカの程度などによって、撮影、家族ハイク、買い出し、白昼ビール大会などが決定されるのである。

一方で、野生動物の気配を少しでも感じると、原田さんはもう自分を抑えられなくなる。凍えるような突風の中でも、防寒着を着せた萌さんをキャリーで背負い、危険な山道を越えて彼らを追わずにいられない。

ジャコウウシの群れが入っていった小沢を、台地の上から先回りして上流で待つ。
萌はようやくキャリーから開放され、コケの絨毯の上でぎこちなく歩いている。僕たちはジャコウウシの進路が変わらぬことを祈りつつ、ベリーを摘みながら待ちつづけた。
最初の一頭が小沢のカーブから出現した後、彼らは次々と姿を現した。流れに沿って生えている小さなヤナギを採食しながら、ゆっくりとこちらに向かってくる。
大きな顔に、曲がった白い角。背中から地面近くまで伸びた長い毛。全体が毛の塊のようで動きが鈍く見える。そして不気味な力強さを感じる。
ジャコウウシは、マンモスがいた時代から、この不毛の地で生きながらえているのだ。
彼らは採食を続けながら、なおも近づいてくる。ちらりちらりと、こちらを気にしている。公美は万が一の突進を心配しはじめているが、萌は「モウモー、モウモー」と興味深げだ。
近すぎる。先頭の大きな雌ウシがこちらを凝視している。
まずい、もう退こう、と僕が思ったとき、その雌ウシはブルルルと低い息の抜けたような声を発した。それと同時にほかの九頭のジャコウウシたちと走り去った。長い毛をなびかせ、ツンドラの上を舞う姿は、さながら、しし舞いのようだった。(一部中略)

このツアーを契機に、動物写真家として生きていくことを決意した原田さんは、公美さんと萌さんを連れてアメリカのモンタナ州に移住。本格的にゴートを追う毎日を送り始めた…という報告で、『パパは動物カメラマン』は終わっている。

本書の初版発行は1996年だから、すでに10年が経っている。あれから、原田さん一家はどうなっただろう。今も北米で暮らしているんだろうか。そうして、夢のゴート写真集は?…どきどきしながらネットで調べてみると、原田さん運営のオフィシャル・サイトに行き当たった。

その後、原田さんはモンタナに家を建て、家族と一緒に野生動物の写真を取り続けているということだ。ゴートの生態はもちろん、モンタナの雄大な自然や、現地の暮らしぶりを伝えた本を、さらに数冊出版されている。
公式サイトには、原田さんの現在の写真が掲載されていた。『パパは動物カメラマン』当時のあごひげは無くなっているけれど、ロッキー山麓の雪原の中で、今も変わらない夢を追い続けている原田さんの姿がそこにあった。

モンタナの風モンタナの風
原田 純夫

新潮社 2002-04
売り上げランキング : 562175

Amazonで詳しく見る
by G-Tools
posted by ふらら at 10:39| Comment(3) | TrackBack(0) | 書評 旅・ひと・もの作り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
ご訪問ありがとうございます。 よろしければワンクリックお願いしますm(_ _)m にほんブログ村 本ブログへ