『ナショナル・ジオグラフィック』という雑誌がある。アメリカの有名な写真誌で、主なテーマは自然や地球環境、そして探検だ。
この『ナショナル・ジオグラフィック』に作品が載った日本人の写真家は、これまで三人しかいないという。故星野道夫さんと、岩合光昭さん、そして原田純夫さんだ。
二人のビッグネームに肩を並べる原田さんとは、どんな人なんだろう。一体どんな風にしてアメリカ在住の写真家になり、野生動物を追って北米大陸を旅するようになったのか…その一部始終を、原田さん自身がユーモラスに語った一冊が、この『パパは動物カメラマン』だ。
ニホンカモシカの近縁種といわれるマウンテンゴート(シロイワヤギ)。全身真っ白な長毛に覆われた、この野生のカモシカを追って、初めてロッキー山麓を訪れた原田さんは、その生きざまにすっかり惚れ込んでしまった。
僕はアマチュア・カメラマンだが、ゴートの写真集は最高のものを作りたい。ゴートの魅力を100パーセント伝えられるものを作りたい。単に美しいとか、かわいらしいというだけではなく、彼らの生きざまのすべてを人々にぶつけたい。どこまで妥協せずに写真を撮り続けられるか、それが僕のゴートに対する気持ちだと思う。
当時、原田さんは結婚したばかりで、娘の萌さんはまだ1歳だった。東京で日々の暮らしに追われていたけれど、そのうち『ゴートの病気がおさまらなくなってきた』。妻の公美さんに再度のアメリカ行きを相談すると、家族全員で行くなら、という条件付きでゴーサインが。こうして原田さん一家は、ゴートを追ってアメリカ、カナダ、アラスカを横断する、8カ月の子連れキャンプ・ツアーに出発することになった。
現地についた原田さんは、まず中古のバンを買い、簡単な改造をして三人の「家」を作った。8カ月の滞在の総予算は100万円、1カ月あたりの生活費はわずか6万円。近くの渓流でトラウトを釣ったり、現地の人があまり食べないイクラを譲ってもらったり、時には交通事故死したシカを拾って解体したりと、サバイバルな日々が続いたという。
そんな暮らしのなかでの最大のぜいたくは、「時間はすべて僕たち三人のもの」ということだと思う。つまり家庭外から時間に追われることがないのだ。その日の天候、ゴートの状況、食料事情、夫婦ゲンカの程度などによって、撮影、家族ハイク、買い出し、白昼ビール大会などが決定されるのである。
一方で、野生動物の気配を少しでも感じると、原田さんはもう自分を抑えられなくなる。凍えるような突風の中でも、防寒着を着せた萌さんをキャリーで背負い、危険な山道を越えて彼らを追わずにいられない。
ジャコウウシの群れが入っていった小沢を、台地の上から先回りして上流で待つ。
萌はようやくキャリーから開放され、コケの絨毯の上でぎこちなく歩いている。僕たちはジャコウウシの進路が変わらぬことを祈りつつ、ベリーを摘みながら待ちつづけた。
最初の一頭が小沢のカーブから出現した後、彼らは次々と姿を現した。流れに沿って生えている小さなヤナギを採食しながら、ゆっくりとこちらに向かってくる。
大きな顔に、曲がった白い角。背中から地面近くまで伸びた長い毛。全体が毛の塊のようで動きが鈍く見える。そして不気味な力強さを感じる。
ジャコウウシは、マンモスがいた時代から、この不毛の地で生きながらえているのだ。
彼らは採食を続けながら、なおも近づいてくる。ちらりちらりと、こちらを気にしている。公美は万が一の突進を心配しはじめているが、萌は「モウモー、モウモー」と興味深げだ。
近すぎる。先頭の大きな雌ウシがこちらを凝視している。
まずい、もう退こう、と僕が思ったとき、その雌ウシはブルルルと低い息の抜けたような声を発した。それと同時にほかの九頭のジャコウウシたちと走り去った。長い毛をなびかせ、ツンドラの上を舞う姿は、さながら、しし舞いのようだった。(一部中略)
このツアーを契機に、動物写真家として生きていくことを決意した原田さんは、公美さんと萌さんを連れてアメリカのモンタナ州に移住。本格的にゴートを追う毎日を送り始めた…という報告で、『パパは動物カメラマン』は終わっている。
本書の初版発行は1996年だから、すでに10年が経っている。あれから、原田さん一家はどうなっただろう。今も北米で暮らしているんだろうか。そうして、夢のゴート写真集は?…どきどきしながらネットで調べてみると、原田さん運営の
オフィシャル・サイトに行き当たった。
その後、原田さんはモンタナに家を建て、家族と一緒に野生動物の写真を取り続けているということだ。ゴートの生態はもちろん、モンタナの雄大な自然や、現地の暮らしぶりを伝えた本を、さらに数冊出版されている。
公式サイトには、原田さんの現在の写真が掲載されていた。『パパは動物カメラマン』当時のあごひげは無くなっているけれど、ロッキー山麓の雪原の中で、今も変わらない夢を追い続けている原田さんの姿がそこにあった。