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あの「不気味の谷」の概念を考えたロボット博士、森政弘さんには、「非まじめ」シリーズという名著があるらしい。
人間「まじめ」もいいけれど、それだけでは固定観念にとらわれてしまう。もちろん、「不まじめ」ではいけないので、いっそ、そのどちらでもない「非まじめ」になってしまおう…というのが森さんの提案だ。
たとえば、ロボットの研究を始めたばかりの頃、森さんは「人の手」の研究をしていた。そんな誰でも知っているようなことより、もっと新しい研究するように、と諭されたけれども、『しかし手のようなものがまだ機械では作れないではないかと思って、手の研究を始めた』のだそうだ。
手の研究をはじめると、それは大学へ行かなくてもできる仕事であった。自分の体についているのだから、自分の手を見ていれば、朝から晩まで研究になる。とにかく手の機能というのはすごいものである。
手は物を持つものだとふつう思われるが、そうではない。手の原点に立ち返ると手は前足である。前足だから自分の体を支えたり、自分の体のバランスをとったりすることが第一の役目なのである。
お風呂がわいたかなといって手を湯船に突っ込むときは温度計になる。指を折って数えればコンピュータになるし、あっちですよ、こっちですよと指示すれば信号である。(一部中略)
手が実は前足だったなんて、思ってもみなかった。確かにおもしろい見方だけれど、一体それのどこがロボットに結びつくんだろう…と考えるのは「まじめ人間」の発想で、まずは思いつくままにアイデアを広げていった方が、むしろ結果が出やすいものだ、と森さんは言っている。
手の動きとなると、もっと巧妙である。シャープペンシルを二本の指で持つと、親指と人差指とが当然相対している。それを中指を使って三本の指で持って、指どうしの関係を見ると、人差指と中指のまん中に親指がきて、親指が半ピッチずれ落ちているが、これは無意識にやっていることである。
三本の指で持つから親指はまん中に持っていかないとまずいぞ、などと意識して持つ人は一人もいない。もし、そういう人がいたら研究の対象によいからぜひ紹介してほしいのだが、いない。
これをロボットにやらせてみる。二本で持たせて、三本というときに、あらかじめそれなりに組んでおかないと、ロボットは指をずらさないで持つ。これは二本で持つよりぐあいが悪い。こうして、ほう、おれたちは三本でもつとき無意識にこうやっているのかということが意識にのぼるわけだが、人間のやっていることは本当に一つひとつ、すごい。(一部中略)「非まじめ」の
すすめ
p.145より
こんな風に、無心でおおらかな研究を「非まじめ」に続けるうちに、手に腕がつき、胴体がつき、やがては脳がついて、だんだんロボットらしくなっていったのだそうだ。
どちらかといえば、「まじめ人間」の部類に入ってしまいそうな私だけに、森さんの「非まじめ」な発想は、どれを取ってもすごく新鮮だった。
中でも印象に残ったのは、まじめな人が陥りやすい「固定観念」の例ということで、森さんが紹介していたこんな詩。忙しすぎて、自分で工夫することを忘れてしまったようなときには、この子牛のことを思い出したい。
野原があった。そこへ一匹の子牛がやってきた。子牛は気まぐれに、くねくね曲がりながらその野原を通って行った。
その翌日、狩人に追われた鹿がやってきた。鹿は子牛の通った、草がねているあとを逃げて行った。――緊急の時は、創造しているひまはない。ひとの通ったあとを通るものだ。狩人もそこを通って行った。草はますますふみつけられ、はっきりと曲がった道ができた。
その次の日は羊が来た。羊は、その曲がりくねった小道を、曲がりくねっていると不満を言いながら通っていった。
しばらくたって、こんどは旅人が来た。旅人もその曲がった道を通っていった。
こうして、草はとれ、土面が顔を出し、曲がりくねった小道ができ上がった。こうなると、村人も、旅人も、馬車も、犬も、そこを通る。
月日は矢のように過ぎ、その曲がりくねった小道は大通りになった。村の家々は、その大通りに沿って曲がりくねって建てられていった。またたくうちに、そこは大都会の中心街になった。
鉄道が敷かれたが、その線路も道に沿って曲がっていった。
何十万人もの人々が、今もなお、
三百年前も昔に通った、あの子牛に導かれて、くねくね曲がりながら通っていく。
確固たる前例なるものは、
こんなにまでも尊ばれるのだ。サム・ウォルター・フォス「子牛の通った小道」より
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「非まじめ」の
野原があった。そこへ一匹の子牛がやってきた。子牛は気まぐれに、くねくね曲がりながらその野原を通って行った。


「非まじめのすすめ」私も読みました。
私は「非まじめをきわめる」のことを書いたのですが、まじめとはいい難い子どもを持った私は、すごくうれしくなりました。
子供のおかげで、私もすっかりやわらかいアタマになれたかも♪
私のまわりに、
「え〜どうしてそういう発想になるの?」
っていうような事を言ったりしたりする人が数人います。
B型の血液型の人に多いような気が・・・。(笑)
きっと頭がとっても柔軟なんだと思います。
まねしなさいと言われても、なかなか出来る事ではありませんね。
子牛の話、とっても面白かったです。
ご訪問ありがとうございます。
子育てには、きっとやわらかアタマが
すごく大切なんでしょうね。
タキママさんのブログ、読みながら、
何だか感動してしまいました。
すてきなご家族ですね。
西原理恵子さんの本をちょっと思い出しました。
柔軟な発想、心がけても
なかなかできるもんじゃないですが
それができる人って、強いですよね。
tamiさんの「がばいばあちゃん」の記事を読んで、
そう思ったりしました。
そんな人がもし周りにいたら、楽しいでしょうね。
tamiさんがちょっとうらやましい(笑)
私は、大変間抜けな人間です。
人一倍失敗の多い人生を過ごしています。
結局「失敗したら謝ってしまえ」という、妙な処世術で、この失敗だらけの人生を乗り切ることにしました。
「ミスをすぐに認める」ということは、意外に難しいですが、ミスを隠したりすると、さらに取り返しのつかない事態を招きます。
それにしても、この子牛の話、何やら含蓄がありますね。
ご訪問ありがとうございます。
「ミスをすぐに認めて謝る」、
すごく難しいことだと思います。
以前、職場でとんでもない失敗をしたときに、
「ミスは誰でもする。大切なのは、それをどうカバーするかだ」
とボスに励まされたことがあります。
もう十数年前のことなのに、今でもはっきりと覚えている、
そんなひとことってあるんですね。
子牛の話、確かに深いです。
絵本か何かにしたら、面白い一冊になるんだろうなあ、と思います。