2006年12月12日

見えない敵とパチンコ台〜畑正憲『命に恋して』より

命に恋して―さよなら「ムツゴロウとゆかいな仲間たち」命に恋して―さよなら「ムツゴロウとゆかいな仲間たち」
畑 正憲

フジテレビ出版 2001-03
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北海道から東京へと思いがけない引越しをして、話題になっていた「ムツゴロウ動物王国」が、先月末に破産したらしい。やっぱり東京での王国経営はきつかったのか、動物たちは元気かなあ、と思っていると、映画『名犬ラッシー』の特別試写会に、ムツゴロウさんが犬連れで登場、というニュースが流れた。丸々とした子犬を膝の上に乗せて、「動物を飢えさせない『アニマルファースト』が私の哲学。自分が食べられなくても動物は食べさせる」と語ったムツゴロウさん。さすがだなあ、と思った。

この『命に恋して』は、今から5年前、長年続いたテレビ番組「ムツゴロウとゆかいな仲間たち」が終了すると同時に出版された。もともとは、分子レベルの生物学が専門だったという畑さんが、どのようにして生身の動物たちと出会い、あのテレビシリーズに携わるようになったのかが詳しく語られている。
「語られている」というのは、この本の場合、比喩ではなくて文字通りの意味だ。シリーズ終了直前のロケで、ライオンに指先を噛み切られてしまった畑さんは、痛みのために筆記用具を握ることができなくなってしまった。やむなく音声入力のソフトを使い始め、最初に仕上がったのがこの本だったそうだ。
命に関わるような危険に遭遇したのは、このライオン事件の時だけではなかったという畑さん。『命に恋して』の冒頭で描かれているのも、サンパウロのレストランで突然倒れ、病院に担ぎ込まれたときの臨死体験らしい。

 もういいな、ごくろうさまでしたと、自分の中から声がした。このままさよならをして、どこかへ消えていきたい。消えたって、不満は全くなかった。何もかも十分にやり尽くしたという感じがあった。空中に浮かんでいる私が私を見ている。その顔には飛鳥時代の仏像に見られるような静かな微笑があった。
 動物王国を持って以来、私は熱く熱せられたフライパンの上にいるネズミだった。ほっとできる時は、全くなかった。次から次に、いろいろな苦難が押し寄せてきた。そのたびに、普通の生活をしていたら、こんなことは味わわなくてよかったのにと思った。けれども、放り出してしまう気には一度だってならなかった。このやろうと気を張って、常に闘ってきた。それは、目に見えない敵だった。相手が目の前にいるのだったら、武者振りついて押し倒すことだってできる。でも、全く見えない敵と戦うのは、もどかしく、闘志が萎えそうになることもしばしばだった。

原因は、心配していた心筋梗塞ではなかった。それでも発作は繰り返され、世界各地の旅先で畑さんは意識を失い続けた。興味を持った現地の医者が、ありとあらゆる検査を駆使して調べたところ、意外な結果が出たという。

「あなたは、若い頃、無理を重ねていますね」
「はい。徹夜が趣味みたいに大好きでした」
「そうでしょう。ひとつでは間に合わなくなり、ペースメーカーがもうひとつ、心臓の中にできてしまっています」
「へーえ、そんなことがあるのですか」
 ペースメーカーの新生なんて、初めて耳にすることだった。よく知られているように、ペースメーカーは心臓の筋肉に電気的信号を送り続けている。それが二つあると、信号がバッティングして不整脈や頻脈の原因になるのだという。

ほかにも、得体の知れない現地の酒をあおって急性アルコール中毒になったり、過剰なストレスがたたって胃を切除したりと、常に満身創痍だったという畑さん。顔をくしゃくしゃにして動物と戯れている、優しげな「ムツゴロウさん」の姿からは想像もできない、強烈な舞台裏のエピソードだ。
しかも、そこで全くひるまないのがこの人のすごいところだと思う。心臓発作が度重なっても、体を休めるどころか、「このままでは薬に負けてしまう」と、命綱のピルケースをゴミ箱に放り込んで、地の果てのアラスカへと旅立ってしまう。

 半年ぶりのアラスカだった。清冽な大気。温かい家族。私の心は全開し有頂天になっていた。こうなると体のことなど忘れてしまうのが、私の突拍子もないところである。つまりはアホだ。細心の注意を払わなければならないのに、ジョージに合わせて飲みそして食べた。そして倒れた。
 頻脈、そして不整脈。
(中略)
 人には、元気な時には感じられないものがたくさんある。乗馬を三十年続けていると、しみじみそう思う。馬とのやりとりとか、馬と折り合いをつけるとか、人馬一体とかいうけれど、馬の背にまたがっていて馬と心の交流を持つのは、やさしいことではない。若い頃はほとんどそうだったのだが、こちらが元気旺盛で、まるで夏の太陽みたいな精神状態の時は、自分本位で突っ走る。つまり、イケイケという感じであり、馬には乗っているのだけれど、馬という生き物の千変万化する心の有り様を感知していないのである。
 ところが、風邪をひいていたり、骨折の痛みを抱えていたり、心に鬱屈があったりすると、乗り始めた時にかすかな違和感が生じ、馬と折り合いをつけるのに多少時間がかかる。おいおい、どうしたのだと、馬が語りかけてくる。それは、ごくごく微小な心の波動であり、元気いっぱいの人には受け取れないものである。健康状態が思わしくないというのは、その人にとっては弱点であろう。その弱点を通してこそ、水が浸入してくる。命のすごさは、実はここにあると私は思う。つながり合い、絡み合い、もみくちゃになって存在している中で、お互いの存在をより光らせるために極小の電波を発信している。馬が、こちらの不調に対して問いかけるのは、人間が使っている辞書には載っていない原始的な"やさしさ"なのだろうと私は確信している。強がりを言うわけではないが、いろんな事件に体と心をぶっつけ、絶えず傷だらけであったことを、動物や自然の交流ということに関してだったら、恵まれた、よかったなと私は自分の運命に感謝している。

そんな畑さんの闘いは今でも続いている。「東京動物王国」を破綻させた運営会社には怒り心頭で、「はらわたが煮えくり返るね。運営はオレがやるしかない」と息巻いているそうだ。71歳の畑さんが新たに抱え込んだのは、従業員への給料未払いなど、王国をめぐる数々の疑惑、そして約8億円の負債…。
先日は、なんと「ムツゴロウのパチンコ台が出た」というニュースが流れた。「あの人やったら、8億ぐらいすぐに稼げそうやな」と主人が言う。「でもなあ、8億やで」と答えた私も、『命に恋して』を読んだ後は、ひょっとしたらその通りかもしれない、と思い始めている。どんな苦境も、持ち前の運と体当たりで乗り越えてきた、不撓不屈のムツゴロウ・パワーが詰まった一冊。
タグ:畑 正憲
posted by ふらら at 09:54| Comment(2) | TrackBack(1) | 書評 いきもの・植物・空 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
TBありがとうございました。
つたないブログですが、またお出でください。
私も訪問させていただきます。

この本は、ムツゴロウさんの心の叫びがわかりますね。

他の本の紹介も素晴らしいものばかりで、文学に縁遠い
私には、とても参考になりました。
Posted by タンケ at 2006年12月13日 21:57
こんにちは。ごあいさつありがとうございます。
本の紹介(というか、ただの引用?)をしているだけのブログですが、
よかったらまたお越しください。
タンケさんの記事も、いろいろ参考にさせていただいています。
「月探査機セレーネ」の話があれば、呼吸器取り外しについての
詳しい議論もあって、とても読み応えがありますね。
またお邪魔させていただきます。
Posted by ふらら at 2006年12月15日 10:04
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