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いま、個人的に感謝状を贈りたいと思っている人がいる。先日食道がんで亡くなった、児童文学作家の灰谷健次郎さんだ。
灰谷さんは、小学生の頃、初めて好きになった作家の一人だった。中でも『せんせいけらいになれ』は大のお気に入りで、飽きもせずにくり返し読んでいたような記憶がある。
この本は、小学校の教師をしていたころの灰谷さんの体験を元に書かれている。灰谷さんが現場で行っていた詩の授業と、子どもたちが実際に書いた詩が紹介されているのだけれど、その内容は子供心にもショッキングで、強烈なメッセージにあふれたものだった。
「ギャングのテスト」「ざんこくさいばん」「おとな観察記録」など、灰谷先生が出してくるテーマはどれも型破りだ。それに答えて書かれた詩も、同じ年頃の子の作品とは思えないほど生き生きとして、力強いように思えた。当時のハードカバー版(理論社)に描かれていた、坪谷玲子さんの愛らしいイラストのことも忘れられない。児童向けにひらがな表記されていることもあって、つい吸い込まれるように読みふけってしまう、そんな一冊だった。
「おならのこうぎ」
わたしはおならです。わたしがでてくると、みんな、はなをつまみます。わらう子もあります。わたしのことを口にすると、たいていのおとなは、いやらしいといいます。おぎょうぎがわるいともいいます。
おならというのは、そんなに悪者なのでしょうか。
■おかあちゃん*1年 くりやま・ともこ
おおきいおしりが
おもしろい
おおきいおならを
こきました
なんとどうどうとしたかきっぷりでしょう。すこしもものごとにこだわっていません。人間が大きくなり、ねうちのあるしごとをするためには、くりやまさんのように、ゆうゆうとした心、海のようなひろい心をもっていなくてはなりません。
■おなら*2年 しいの・けいこ
ぷすん
ぱすんと
おならをこきました
それから
わたしは
おくさんごっこをしました
この文には、おもしろはんぶんなところはすこしもありません。
子どものせいかつが、ぶあつい本をよんでいるような力で、しかも、きりりとひきしまった文しょうでなげだされているのです。おならのわたしはこれをよんで、にっこりわらったものでした。
「おならは生活だぞ」
と、さけんだものでした。
(一部中略)
小さい子どもはみんな下ネタが大好きだ。『せんせいけらいになれ』で紹介されている詩の中でも、低学年の子の作品はどれもシンプルで、とにかく笑えるものが多かった。気に入った詩を大きな声で音読しては、よく友達と一緒に笑い転げていたのを思い出す。
けれど、同じ「おなら」がテーマでも、3年生くらいの子になると、「えっ」と驚くほど凄みのある作品を書いていたりした。灰谷先生からの感想やメッセージも、それにつられるようにますます深みを増していくのだ。
■おなら*3年 光山 良子
わたしが おとなだったら
かんごふさんになって
おなら ばっかり こきます
びょうにんを しんさつしているときも
おならをこきます
かんじゃさんが がまんしてたら
もっと もっと
おならをこきます
けっこんしても おならをこきます
わたしのうんだ子どもにも
おならを こかします
うれしいときも
おならをこきます
おめでたいときも
おならをこいて おいわいします
わたしがいいことをして しぬと
みんな おはかにきて
ほめてくれるでしょう
そのときも
おならをこいて
みんなをおどろかします
かみさまにおこられても
ぷーぷーとおならをこいて
ごまかしておきます
おどろきました。おならの詩はたくさんよみましたが、こんな詩は、はじめてお目にかかります。ここまでおならにのめりこんだら、おならもりっぱなもんだと思います。
子どもの詩に、おならをざいりょうにしたものは多いです。おならというと、だれでもわらうし、なんといっても身ぢかだから、詩にするのにつごうがいいのでしょう。しかし、そういうざいりょうは、よくよくしっかりした心でかかないと、いいかげんな詩になってしまいます。
光山さんの詩が、ずいぶんいいかげんなことをかいているようだのに、よむ人にすこしもいいかげんな気持をおこさせないのは、光山さんの心のなかに、人をわらわせてやろうという、いやしい心がすこしもないからなのです。
へんないいかたですが、光山さんはおならとかくとうしているのです。おならのなかにのめりこんでしまっているのです。おならに熱中しきってしまっているのです。
熱中する心というのを、もうすこしくだいていうと、すきですきでたまらなくなる心、むちゅうになってしまう心といえるでしょう。
すきですきでたまらなくなって、じぶんでもこまるくらいになってしまった、というけいけんをもっている人はありませんか。すきになるものはなんでもよろしい。バナナをたべているときでも、絵をかいているときでも、もけいひこうきをつくっているときでも、いたずらをしているときでも、なかのよいともだちとあそんでいるときでも、なんでもいいのです。
人間はなにかに熱中すると、うつくしくなるといいます。たとえばしごとにうちこんでいる人の横顔は、おそろしいほどうつくしいといいます。詩も、そんな顔とおなじです。むちゅうになっていればいるほどうつくしい作品がうまれるのです。うつくしいかがやきがにじみでてくるのです。(一部中略)
学校の国語の授業が退屈でたまらなくて、よく転寝をしていた私なのに、この本だけは妙に夢中になって読むことができた。あんな読書体験をしたのは、多分生まれて初めてのことだったんじゃないかと思う。詩の楽しさ、うつくしさのことを、私に教えてくれたのは灰谷さんだった。おかげで、うまい詩を自分で書くことはできないけれど、人のいい詩を読むのは今でも嫌いじゃない。
長い間、私にとってスーパースターの筆頭だった灰谷さん。本当にありがとう。どうか安らかに眠ってください。
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みたいもん
『灰谷健次郎さん死去に、児童問題が華やかであった頃を思い出す。』
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