2006年10月03日

「こころ」という言葉が大嫌い〜日高敏隆・篠田節子「人間について」

人間について―往復エッセー人間について―往復エッセー
日高 敏隆 篠田 節子

産経新聞ニュースサービス 2004-06
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産経新聞の「生命ビッグバン」というコーナーで連載された、日高敏隆さんと篠田節子さんの「往復エッセー」をまとめた一冊。
「人間について」という大きなタイトルのもと、十代の若い人たちに向けて書かれた文章というから、どんな「清く正しいお説教」が語られているのかと思ったら、意外にも教訓めいた話は一切出てこない。たとえば、最初の篠田さんのエッセーはこんなふうに始まっている。

小学校の頃から、「こころ」という言葉が大嫌いだった。その言葉が大人によって吐かれるときは、たいてい何か説教されるときであったし、何よりその意味するところがひどく曖昧だったからだ。曖昧なままに、「こころ」という言葉が多用される道徳の授業はもっと嫌いだった。

連載第一回にして、これはいきなりな書き出しだ。具体的な打ち合わせをしないまま、篠田さんに先発をまかせたという事情もあって、さすがの日高さんも「さあ、どういう展開になるのだろう?」と驚いてしまったという。

「こころ」っていったい何だろう。脳が「こころ」を作っているなら、何も人間だけでなく、どんな動物にだって「こころ」はあるはず。じゃあ、動物と人間の違いって何だろう? 人間っていったいどういう動物なんだろう?

動物学者の日高さんは、「人間について」という抽象的なテーマから出発しながらも、次第に筋道だった、自然科学的な問いかけへと話を展開していく。たとえば、「脳より足が大事だった」という文章で、日高さんはこんなことを書いている。

 ぼくが衝撃を受けたのは、十代の終わりごろに読んだ一冊の本だった。
 人間がサルから進化して人間になったのは確かだけれど、ではどこから人間になったのかをきめようとするとむずかしい。いろいろ考えながら研究していくと、大事なのは脳ではなくて足だということになる。太ももの大腿骨がまっすぐになって、直立して歩けるようになったとき、人間は人間になったのだといえる。類人猿や人間に近いゴリラやチンパンジーでさえ、大腿骨が曲がっており、直立して歩いてはいないからだ。
 この本にはこういうことが書いてあった。
 ぼくは本当にびっくりした。脳より足が大事だなんて、それまで考えたこともなかったからである。
 でも、まっすぐ立って二本足で歩くなんてたいしたことではないじゃないか。鳥なんてみんな二本足で歩いている。
 けれどぼくはまたべつの本で、人間がまっすぐ立って歩くようになるには、体のたいへんな改造が必要だったということを読んだ。四つ足で歩いている動物たちは、その状態で頭が前を向いている。そういう動物がそのままえいっとまっすぐ立ったらどうなるか? 頭は真上を向いてしまうだろう。
 でも人間はちがう。体はまっすぐ立っているのに頭というか顔はちゃんと前を向いているのだ。(一部中略)

この日高さんの文章を受けて、篠田さんはこんな原稿を書いている。

 なんであんなことをしたのかわからない。子供のころ、四つ足で部屋の中を何周もしたことがある。もちろん手足の長さがそろっていないから、膝をつく。
 それでは不器用な四つ足歩行をしてどこが辛かったか? 膝や腕ではない。首だ。前を向くために上に曲げているからだけではない。下を向いていても痛くなる。自分の頭が意外に重いことを知った。
 とはいえ、背筋を伸ばした直立姿勢はなかなか難しい。人から美しく見られたいという見栄があればこそ、意識して人間らしい直立スタイルをとるが、くたびれて人目なんぞどうでもよくなると、アゴを突き出し、両肩を前に出し、我ながら限りなくオランウータンに近づいてくる。しかしこの類人猿スタイルもやってみればわかるが、四つ足と同じで長くは続けられない。首や肩や背筋が痛み出し、そのまま年をとれば腰がやられる。
 こうしてみると直立するというのは、大改造された体で、絶え間ない訓練と修正をしながら危ういバランスを保っているスタイルではないか、と思えてくるがどうだろう。(一部中略)

この他にも、ニューカレドニアのレストランで「脳を食べた」という体験談、はたまた縄文時代の「勝ち組」は誰だったか、という考察など、びっくりするような視点から往復エッセーを肉付けしていくのが篠田さんの役回りだ。
学者と作家。観察者と表現者。ページが進むにつれて、それぞれの役柄の違いがモロに現れ、ぶつかり合っていくのがよく分かる。ティーンエイジャーの読者(あくまで、想定上は)の前で、何だか大人気ないほどのバトルを繰り広げる二人の、名人芸のようなセッションを楽しめる一冊だ。
posted by ふらら at 10:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評 いきもの・植物・空 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月06日

猛毒を愛でる人〜植松 黎『毒草を食べてみた』より

毒草を食べてみた毒草を食べてみた
植松 黎

文藝春秋 2000-04
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ある日、私が図書館で立ち読みしていた本を見て、「なんでそんな本読んでるの?」と主人が不思議そうな顔をした。それもそのはず、その本は、事故や犯罪や陰謀のために、猛毒のある草を食べてしまった人たちのエピソード集だったから。
目次を見ると、トリカブト、ドクゼリ、ヒガンバナなど、よく知られた毒草に混じって、「あれに毒が?」と思うような植物の名前も並んでいる。クリスマスには欠かせないポインセチアや、元日花といわれるフクジュソウも、そんな「意外な毒草」の仲間らしい。「心臓病に効く」と信じてフクジュソウの煎じ汁を飲んだAさんは、数時間後に不整脈のために亡くなったという。毒草と薬草とを隔てる境界線は、思っていたよりも危ういものなのかもしれない。

筆者の植松黎さんは、カリフォルニア大学に勤めていた頃に毒草に興味を持って以来、植物や毒についての文章を書き続けているという人だ。こうも毒草にこだわってしまう理由について、植松さんは同書の前書きにこんなことを書いている。

 かつて、「毒草の誘惑」という本を出したとき、ほとんどの人から「なぜ、毒草に興味を」と質問された。多くの人にとって、毒草は今もって毒殺などをひきおこす禍々しい存在である。しかし、毒草は、はたして邪悪なのだろうか。
 たとえば、ジギタリスという植物は心臓毒をもっているのだが、それを薬として正しく使えば、心筋にくっついて収縮力をたかめ、弱った心臓の筋肉を強化する働きがある。こんな素晴らしい毒草があるだろうか。
 いったい、いつ、だれが、どうやって、最初にこの植物の秘密をかぎだしたのだろう。そのときにはどんなドラマが生まれたのか、私の興味はそうした植物と人間の関わりである、いわば「植物民俗学」にあった。そして、いつしか頭のなかは、その植物がもっとも輝かしかった時代にタイムスリップし、毒草たちとともに旅をしているのだった。(一部中略)

カリフォルニア大学と薬草、という組み合わせからは、あのカルロス・カスタネダのドンファン・シリーズと、そこからブームとなったペヨーテという幻覚植物のことを連想する。もっとも植松さんにとっては、ペヨーテに限らず、精神や体に目覚しい作用を及ぼすあらゆる植物と、人との出会いそのものが興味の的らしい。

そんな植松さんは、あのケシの花についても独特の思いを抱いているようだ。今では麻薬の代名詞として、悪と退廃のイメージがすっかり染み付いてしまったアヘンだけれど、古代のギリシャ神話の中では、あらゆる苦悩を和らげてくれる豊穣の女神の贈り物として描かれていたという。

 ほぼ二十五万年という人類の歴史において、痛みの恐怖や不安に苦しめられなかった時代はなかった。怪我であれ、病気であれ、暴力的な痛みというものは、私たちから人間性をうばい、生きることそのものを耐え難くしてしまう。
 しかし、アヘンには、そうした不幸から人間性をとりもどす力がひそんでいる。
 かつては、末期ガンの患者がどれほどの痛みを訴えても、強力な鎮痛作用をもつモルヒネを決してあたえない医者が多かった。麻薬中毒になる、というのがその理由だった。しかし、ガン患者がモルヒネを常用しても麻薬中毒に陥らないことはWHOの統計にもあらわれている。そのため、モルヒネの使用は奨励されるようにさえなった。使い方さえ誤らなければ、私たちはその不思議な恩恵だけを享受できるのだ。約三十万種もある高等植物の中で、モルヒネをふくんでいるのは、唯一ケシだけである。(一部中略)

同書ではまた、かつて清朝を滅ぼした恐ろしい「アヘン禍」のことや、現代の麻薬密売人の実態などもありのままに説明されている。アヘンの良悪両面を熟知した上で、「ケシは誕生のその瞬間から、唯一無比の植物として存在してきた。それを『神の恵み』とするか、『醜い堕落の象徴』とするかは、私たち人間の手にゆだねられている」とする植松さんの言葉は重い。
他にも、正倉院からひそかに持ち出された中国渡来の毒草、リビングストンがアフリカで出会った矢毒文化、LSDを生んだバッカク菌の正体など、植松さんが誤解を恐れず紹介してくれた数々のエピソードによって、長く人とかかわり続けてきた毒/薬草の不思議な歴史が見える一冊。
タグ:植松 黎 毒草
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2006年10月09日

天の橋、地の橋〜『いまは昔 むかしは今(第2巻)』より

もう半年ばかり前になるけれど、京都国立博物館の「大絵巻展」を見に行ってきた。
「源氏物語絵巻」や「鳥獣人物戯画」など、図版でしか見たことのない有名どころが目白押し。なかなか楽しめる展示だった。
それ以来、ちょっと気になっている本がある。

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天の橋 地の橋     いまは昔むかしは今 (第2巻)天の橋 地の橋 いまは昔むかしは今 (第2巻)
網野 善彦 佐竹 昭広 大西 広

福音館書店 1991-01
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この『いまは昔むかしは今』(全5巻)は、中世の説話世界の魅力を子供たちに伝えようと、15年の歳月をかけて制作されたという傑作シリーズ。第2巻では、日本神話の国産みのシーンに出てくる天の浮橋や、役の行者が鬼神に命じて作らせた橋など、名立たる「橋」の伝説とその謎が、資料と図版を通して読み解かれている。

「大絵巻展」でもそうした趣向が凝らされていたけれど、中世の絵物語の「絵解き」には、本当に底知れない奥行きがあるような気がして興味深い。例えば、本書の「橋にひそむもの、川にひそむもの」の章では、『橋姫物語』という謎の絵巻物と、そのあらすじが紹介されている。

『むかし、二人の妻を持つある中将が、水神にさらわれて行方不明になった。やがて、夫を探しに出た妻の一人(宇治の橋姫)が、水神に仕える老婆に案内され、煮える鍋の前でしばらく待たされる。「決して鍋の中をのぞいてはいけません」という老婆の言いつけを守った橋姫は、ようやく中将との再会を許された。橋姫は、もう一人の妻にも老婆の居場所を教えたが、こちらの妻は老婆の言いつけを破り、鍋の中を見てしまったために、とうとう夫に会うことができなかった…』

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『橋姫物語絵詞』絵3(一部)

「なぜこの女の人、宇治の橋姫っていうんだろう」
「橋なんかぜんぜん出てこないのにね。それにこの絵おかしいよ。橋姫はお鍋を開けなかったから、中将と会うことができたのに、中をのぞいている絵が描かれているもの」
「絵のはりまちがいなんじゃないの」
「ちがうよ」
「着ている服からみると、ラストシーンに出てくる女の人の服は、橋姫と同じなんだよね。でもこの人は『もう一人の妻』のはずだし…」
「じゃあ、画家は物語を無視して勝手にかいたってこと?」
「それとも、画家の頭の中にはちょっとちがった物語があったのかもしれない」
「そんなことってあるの?」
「さあね。みんなで考えてみようじゃないか。実はこのお話は平安時代の大むかしから、もうよくわからなくなってしまっていて、いろいろな人がいろいろなことをいっているんだ」
(一部中略)

子どもたちと先生との会話というスタイルで、「絵解き」は淡々と進められていく。後のさまざまな文献から、橋姫についての記述が豊富に引用されていくものの、「宇治の橋姫とは宇治の橋の下にいる神様である」という説があれば、「宇治の橋姫は、あの嫉妬から鬼となった鬼女橋姫である」という説もあって、何だかミステリーのような展開になっていくからおもしろい。

「なんだか、このお話の後ろに、すごいお話がかくれているみたい」
「一つだけじゃなくて、いくつものべつの話がかくれているのかもしれない」
「どんなお話だったんだろう」
「まるで雲をつかむみたいだけど、龍王や水の神さまのまつわる話であることにはまちがいないね」
「この女の人、橋だったんじゃないのかな」
「ええっ」
「橋が人間になって歩き出した…」
「橋の霊というわけか。橋の霊と水の神さまのお話…」
(一部中略)

この他にも、『御伽草子』の橋の挿絵に隠された一寸法師の出生の秘密や、なぜか未完成に終わっている雪舟の『天の橋立図』の構図の謎など、意外なアプローチの絵解きが続出して、子供も大人も十二分に楽しませてくれる。中世の名作の世界へと、読者をいざなってやまない傑作だ。

ところで、この本の冒頭には、次のように問いかけた一文がある。

これはいまから八百年以上前に描かれた絵の一部だ。
どこかすこし奇妙なところがある絵だなと感じはしないだろうか。
実は、この絵の中には何かがかくれている。
さていったい何がかくれているのだろう?

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タグ:網野 善彦
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2006年10月12日

「読みもの」として神話を楽しむ〜『日本神話とアンパンマン』(その1)

日本神話とアンパンマン日本神話とアンパンマン
山田 永

集英社 2006-07
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日本神話、と聞くと何だか身構えてしまう。なんと言っても宗教のテキストなのだし、戦前の事情などを考えるといいイメージが持てなくて、ほとんど食わず嫌いのような感覚で遠ざけてきたような気がする。
ところが、本書の著者であり、古事記の専門家である山田永さんはこう言う。「(日本神話の)本当の魅力は、思想以外のところにあるのです。『読みもの』としての魅力です」。そんな日本神話は、私たちの身近な暮らしの中にも、意外に深い根を下ろしているらしい。たとえば山田さんは、息子さんと一緒にアンパンマンのアニメを繰り返し見ているうちに、その世界観があまりに日本神話に似ていることを発見して驚いたのだという。

―なぜ、『それいけ! アンパンマン』が神話と関係あるんですか?
 はい。誰でもそんな疑問を抱くと思います。作者やなせ先生ご本人も、日本の神話に影響を受けたとはおそらくおっしゃらないでしょう。しかし、神話を勉強している私には、どうしても『それいけ! アンパンマン』は神話的手法で成り立っていると思えるのです。これは実は、『それいけ! アンパンマン』に限ったことではありません。『水戸黄門』にせよ『ウルトラマン』にせよ、バラエティー番組『どっちの料理ショー』にしても、神話的手法が駆使されているのです。作者あるいはプロデューサーが意識していなくても、そこには神話がいかされています。

いかにも太陽を思わせる、まんまるい顔のアンパンマンは「アマテラス」。彼が住んでいるパン工場は「高天原」。一方、ライバルのばいきんまんは「スサノヲ」で、バイキン島が「黄泉の国」…と考えていけば、全てきれいに説明が付いてしまう。「宿命のライバル」であるアンパンマンとばいきんまんが、光と影のように切っても切り離せない関係にあるところも、姉弟だった「アマテラス」と「スサノヲ」の関係によく似ている、と山田さんは言う。

本書の後半では、いよいよあのホラーマンが登場する。謎めいたスケルトン姿なのに、なぜか子供たちに人気のあるあの怪人は、日本神話ではいったい何の神さまに相当するのだろう?
山田さんによると、元々やなせ氏は、視聴者をこわがらせるつもりでホラーマンを登場させたのだという。ところが、何度か回を重ねるうちに、まるで正反対のキャラクターへとホラーマンは変貌を遂げてしまった。

二〜三回しか登場しないのなら、相手をこわがらせることはできます。でも、幽霊の正体が枯れ尾花だとわかってしまうと、もう「キャー」とはいってもらえません。そこでホラーマンは悩んだのでしょう。三回までで出るのをやめるか、こわがらせることをやめてでも、出続けるか。彼は後者を選びました。なぜなら、人気が出ちゃったからです。こわがらせるのをやめるといっても、なんのことはない。もともと備わっていたお調子者の性格を前面に出せばよかったのです。(一部中略)

この苦渋の選択(?)のために、ホラーマンにはますます謎が増えていった。「アンパンマンの味方なのか、ばいきんまんの仲間なのかもわかりません。自分の都合によって、こっちと組んだりあっちと一緒になったりします。でも、彼の魅力は、このどっちつかずにありそうです」。
そんな彼は、神話学でいうトリックスターにあたるのだ、と山田さんは説明している。「策略をめぐらし、いたずらをして、それまであった秩序を一時的に破壊するという役割を担って神話や伝承に登場する人物や動物」。つまりは、ばいきんまんと同じ「スサノヲ」族の一人ということらしい。
(その2につづく)
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2006年10月15日

古事記にひそむ心の元型〜『日本神話とアンパンマン』(その2)

この本を読んでいるうちに、ふと、学生の頃、『あんぱんまん』の絵本を紹介してくれた先生がいたのを思い出した。大学の講義にアンパンマン? と私たちが首をかしげていると、
「これは、ただのアンパンマンじゃありません」
と先生は言った。
「作者のやなせたかしさんが、初めてアンパンマンを構想したときの絵本なんですよ」
なるほど、その古びた絵本に描かれていたのは、アニメで見慣れたあの愛らしいヒーローの姿ではなかった。ひょろ長い体にみすぼらしいマントをまとった、何ともさえない「初代あんぱんまん」がそこにいた。
それでも、いよいよクライマックスになると、彼は本領を発揮した。お腹をすかせたかわいそうな子供のために、自分の顔=アンパンをちぎって与えるのだ。
「このとき、あんぱんまんは、生まれて初めて自分の顔を子供に与えたんです。名シーン誕生の瞬間ですね」
ところが、「顔」を差し出したときの初代あんぱんまんの様子は、アニメで見慣れた現役アンパンマンのそれとは少し違った。薄汚れたマントや、やせた体つきのせいだろうか。それとも、その古い絵本のイラストの、どことなく哀愁漂うタッチのせいだろうか。
「何となく、神々しささえ感じませんか」
と先生は言った。
「私は、この初代あんぱんまんの姿に、キリストのイメージを感じるんですよ」

この先生の言葉をどう受け取るかは、きっと人それぞれだろうと思うけれど、『日本神話とアンパンマン』の最終章で、山田さんはこんなことを書いている。

やなせ先生は先の自伝の中で、次のように語っています。正義の味方だったらまずすべきなのは、ひもじい思いをさせないこと、餓死しかかっている人を救うことだと身にしみて痛感していた、と。戦中・戦後の食糧難が、アンパンマンを誕生させたのです。
このことは、もっと知られてよい事実です。とくにこの飽食の時代、できれば『それいけ! アンパンマン』が大好きな子供たちにも。
主人公が自分の顔の一部を与えるといった前代未聞のキャラクターが誕生したのは、こんな暗いけれど忘れてはいけない原作者の体験・日本の歴史があったからなのです。(一部中略)

当時は日本のいたるところにいた、お腹をすかせた子供たちにとって、きっと初代あんぱんまんは歩く「お菓子の家」のようなものだったのだ。

アンパンがとっくに時代遅れのおやつになっても、作者のやなせさんがこの物語に込めたシンプルで強烈なメッセージは変わらない。アンパンマンがさまざまな神話の主人公をほうふつとさせるのも、ごく当然のことなのかもしれない。
その後、ばいきんまんを一撃でやっつける「アンパーンチ!」の必殺技も身につけて、「アンパン」でありながら「アンパン」を超えた、不思議なヒーローとして彼は活躍を続けているのだ。山田さんの説によれば、こうしたアンパンマンの成功の秘密は、やなせ氏が(たぶん、無意識のうちに)アニメ版のアンパンマンに取り入れた、神話的手法だったということになるのだけれど。

…神話を勉強している私には、どうしても『それいけ! アンパンマン』は神話的手法で成り立っていると思えるのです。これは実は、『それいけ! アンパンマン』に限ったことではありません。かなり多くのテレビ番組・映画・小説などにいえると私は考えています。
 中でも、『それいけ! アンパンマン』は、神話的手法が顕著です。私は心理学者ではありませんから、「意識」「無意識」のことはわかりません。でも、心理学者(たとえば、林道義氏や河合隼雄氏)が神話を研究して、さかんに日本人の(あるいは世界の人の)心の元型をさぐろうとしていることと、知らないうちに作者やプロデューサーが神話的手法を使っていることとは無関係とは思われません。(一部中略)

日本最古の書物、『古事記』に描かれた日本神話の中に、後の世に登場するフィクション(物語)の核のようなものが、すでに凝縮されていたのだとしたらすごいと思う。
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2006年10月18日

命ある空洞、森の思想〜『巨樹を見に行く』より

巨樹を見に行く―千年の生命との出会い巨樹を見に行く―千年の生命との出会い
梅原 猛 C.W. ニコル 宮崎 駿

講談社 1994-07
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毎日のように秋晴れが続いているのに、忙しすぎるというのはちょっと妙な気分だ。窓の向こうの青空を見ながら仕事をしていると、ふと何もかも放り出して散歩に出かけたくなってしまう。近所の公園にある大きな樟の下で、本を読んだら気分がいいだろうな。のんびりと木漏れ日を見上げながら、芝生の上で手足を伸ばしたい…。けれども、なかなか出かける暇がないものだから、とりあえずこの本を開いてみる。

屋久島の縄文杉をはじめ、原生林のブナや鎮守の森の大銀杏、日本三大桜など、全国にある巨樹・名木82本を厳選して紹介した写真集。それぞれの木までの簡単なアクセスもついている。「ほとんどの樹は交通が不便な所にありますので、最後は徒歩となりますが、汗をかいて歩くほど巨樹との対面の喜びは増すはず」という注記つき。ますます出かけてみたくなってくる。

ところどころに挿入された解説やエッセイもおもしろい。たとえば、古い樹にぽっかりと穴が開いているのを見るたびに、これでどうして生きていられるんだろう、と疑問に思っていたけれど、本書の「樹の不思議」というコーナーには、こんな解説があった。

 光合成によって葉でつくられた物質は、師部という大切な部分を通して植物の体の各部に運ばれているが、その大切な師部は樹の皮の部分に含まれている。そのため皮の部分をはぎとってしまうと、その植物は生きていくことができなくなる。これに対して茎の中心部は、動物でいえば肉のような部分であるから、少しくらい欠けても生きていくことができる。巨木の中心部が枯れていたり、穴があいても生きていられるのはそのためである。

なるほど、と思った。枯れて空洞になっているようでも、根がしっかりしている樹では、幹からまた芽が伸びてきて、新しい株が分かれていくという(「株立ち」と呼ばれる)。こうして、一つの根の上で何度も世代交代が起こるために、樹には一本の寿命というものがあってないようなものなのだそうだ。
痛んだ樹を治療する「樹木医」の世界でも、古木にあいた空洞はコンクリートなどで埋めてしまうのが普通だった。けれど、生命力の強い木なら、そうした手荒な外科手術は避けて、土壌改良で回復を促した方がよいことが分かり、治療法が変わってきているのだという(別冊太陽『樹木詣で』より)。

そういえば、本書の巻頭では、梅原猛さんが「森の思想」というタイトルでこんな文章を書いている。

…日本で巨樹というと樟が多く、佐賀県の武雄市にも三本の巨樹があります。なかでも、行基仏が彫られているという伝承のある川古の大樟は印象的です。縄文杉はまだ比較的強いが、川古の大樟の内部はほとんど空洞になっている。ああいう大木を見ると、生の本質は死をつつみこむことだと思います。生というものは死を含んでいる。死をつつみこんで生のほうがかろうじて勝っているのだと。我々の生命も本当は死をつつんでいる。睡眠は一種の死ですから、毎日、生の中に死を孕んでいる。それが本当の生です。樟の巨樹が外側の一枚がわで生きているのを見ると、死、再生を続けているのが生命だということを教えられます。

木陰に立って巨樹を見上げたときには、まず圧倒されるような思いがあって、その後だんだんと安らぐような心地よさを覚える。あれは、相手がただのモノではなくて、生きているからこそ味わえる感覚だと思っていた。
けれども、それだけではなかったのかもしれない。あのごわごわとした樹皮に支えられて、多くの齢を重ねているものは、枯れた主幹やら、そこから「株立ち」した支幹やらで構成された、命あれば死もある大家族なのだった。
タグ:梅原 猛 巨樹
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2006年10月21日

宵越しのメモは心の糧〜『ドラゴン桜』その後

ドラゴン桜 15 (15)ドラゴン桜 15 (15)
三田 紀房

講談社 2006-09-22
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ここ数年、私は手帳を持たずに過ごしている。というよりも、持つことができない、使いあぐねている、と言った方が当たっているかもしれない。何しろ、あの限られたスペースに収まるように、きっちり丁寧に文字を書き込む、ということがすでにできない! 端的に言うなら、ものすごく大雑把な性質で、その上かなりの乱筆なのだ。

以前、制作会社に勤めていた頃の先輩が、同じようなタイプの人だった。システム手帳も普通に持っているのだけれど、ミーティングで何かの日程を詰めるときには、おもむろにA4サイズのキャンパスノートを広げて、ページいっぱいにフリーハンドのスケジュール表を書き込んでいくのだ。
「スペースをたっぷり使いたいから」
というのが先輩の言い訳だったが、手馴れているだけに、そのノートの使い方は結構さまになっていて、私も横で真似をするようになった。
1カ月程度の目途で予定を書き込んでいくだけなら、このやり方で十分事足りる。一つの仕事が終了したら、気分転換にノートを変えてみたりして、「宵越しのメモは持たない」なんて感じでやっていた。

けれども、最新刊の『ドラゴン桜』によると、手帳の用途は、ただ予定を書き込むだけではないらしい。

抜き打ちの実力テストで悪い点を取って以来、スランプに陥っていた水野を励ますために桜木が渡したものは、これまでの勉強の全記録をつけたファイルと、一冊の手帳だった。
「この手帳の使い方は本来とは逆で、行動の予定だけではなく行動の結果を書いていくというものだ」
4月に小学生用のドリル(!)で勉強を開始してから、東大模試を受けるまでの半年間の道のり。桜木たちが記録しておいてくれた自分の学習記録を、言われるままに日付順に手帳に書き写していった水野は、これまで積み重ねてきた勉強量をはっきり再確認することで、元気を取り戻していくのだった。
そんな手帳の効用を、桜木はこう説明している。

「受験は常に不安との闘いだ。ではなぜ不安になるか。勉強しても、その成果を量として確認できないからだ。だからいくら勉強しても、その量が足りているか不安になる。その不安を打ち消そうと、数学でも英語でも手当たり次第にどんどん勉強する。まるでザルに水を貯めようとするかのように。
その不安を解消する道具がこの手帳だ。その日やった勉強内容を、その日のうちに記録として手帳につける。ザルではなく、桶に水をためるように。桶ならば貯まっていく様子とその分量を目で確かめられるし、一杯にする喜びも味わえる」

この「手帳活用術」のエピソードの元になったのは、吉田たかよしという人の『仕事脳 成功する人の脳の使い方』という本らしい。吉田さんは、気になる本のページや新聞記事があればその縮小コピーを取って、システム手帳にはさんでおくのだという。そうすれば、電車の待ち時間などを利用して、30秒程度の時間で手軽に勉強することが可能になる。

でも、30秒そこらの時間でちょこちょこっと勉強するよりも、長時間しっかり腰を落ち着けて勉強するほうがいいんじゃないかと思えますよね。ですが、実はそれは違います。勉強には、長時間の学習が向いているものと、短時間の学習が向いているものの、2種類があるのです。単純暗記を中心とした勉強は、短時間の学習の方が向いています。
暗記をするときに一番大事なのは、覚えた内容をしっかり記憶に定着させることです。脳の中で記憶が定着するには、「海馬」と「大脳新皮質」という部分が協力し合いながら、5〜6分間、作業を行わなければなりません。自分はたった30秒だけ暗記の勉強をしたつもりでも、実は脳はその後の5〜6分間も働きつづけているのです。
「30秒からの手帳活用術」の場合だと、勉強した内容が新鮮な状態のまま、すぐに脳が記憶を定着させるための時間をしっかりとれるのです。それに対して、長時間連続して暗記の勉強をした場合は、情報が次々と脳に溜まってしまい、海馬や大脳新皮質の処理が追いつかなくなります。すると当然、記憶の定着率は悪くなります。

なるほどなあ。暗記はあまり好きではないけれど、最近記憶力がとみに落ちてきているので、ちょっとこの勉強法を試してみようかという気になった。まずは小さめのスクラップブックを持ち歩くことから始めてみようか。

そういえば、ある友人は、旅行に出かけるとき、ガイドブックや列車の時刻表のコピーを手帳にスクラップして、自分用の「旅ガイド」を作っていた。あとは、旅先の出来事を日記風にメモしたり、スケッチを残したりしておけば、オリジナルの紀行本が出来上がっていい記念になるのだという。手帳の使い方は、その人次第でどんどん広がるものみたいだ。
タグ:三田 紀房
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2006年10月24日

日本最後のフロンティア〜『「島」へ。』より

「島」へ。―日本を縁取る別天地「島」へ。―日本を縁取る別天地
加藤 庸二

講談社 1996-07
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日本海に面した故郷の町の湾内には、たくさんの島々が浮かんでいる。高台から港を見渡すと、入り組んだリアス式海岸の合間に、丸い島影が幾つもかすんでいるのが見える。小さな町のとっておきの自慢の風景だ。
もちろん、どの島も無人島だけれど、夏場だけ開島されるキャンプ島もあって、シーズン中は結構人でにぎわう。その中の一つ、野生のタヌキが棲息するポンポコ島(愛称)には何度か渡ったことがある。夕闇の中、姿をあらわしたタヌキは意外に人懐っこくて、逃げもせずに銀色の目でこっちを見返したりした。

そんな島々の風景を、日本各地から選りすぐって紹介したのがこの『「島」へ。』。残念ながら、ポンポコ島の写真は紹介されていないけれど、奇祭・鬼太鼓(おんでえこ)の音が響く佐渡島(新潟県)や、隠れキリシタンが建立したロマネスク聖堂で知られる黒島(長崎県)など、特色豊かな島々の景色がたっぷり盛り込まれている。

本書の写真と文は、島を専門に撮るというカメラマン、加藤庸二さんによる。東京育ちの加藤さんは、元々は海中写真のカメラマンだった。けれど、そのうち漁師の姿が目に入り、しだいに関心が陸に近づいて、とうとう島の写真を撮ることがライフワークになったという人だ。
たとえば、冒頭にある奄美群島の航空写真には、加藤さんのこんなメッセージがついている。

 北海道から、九州、沖縄に至る日本列島。この列島の流れを「日本」、「日本の国土」ととらえることに私たちは慣れている。
 しかし、作家の島尾敏雄さんは、奄美群島・沖縄の「琉球弧」から北へと、日本列島を望むかのように、”ヤポネシア”という詩的なことばでこの国土を呼んだ。
 するとどうだろう。行政上の都道府県に組み込まれて目立たなかった島々が、急に生き生きと海上の人と文化の流れを感じさせはしないだろうか。

巻末には、島を愛する四人の「島達人」の対談が収録されている。参加しているのは、加藤さんをはじめ、島に関連する財団法人に勤める人や、島の研究をしている大学の先生など、いずれ劣らぬ筋金入りの島マニアばかりだ。

―学生時代に、友達四人で危ない冒険をしたんです。嘉比島から阿嘉島まで潜水で、海の底をはいつくばって横断したんです。エアタンク二つを連結したのを背負ってね。四○分かかりました。そのとき、実感しましたよ! 島というのは地べたでつながっていて、そこに水が溜まって海になっているって。
―私は母島ファンなんです。小さな無人島が首飾りのように連なる光景がすごい。文字通りオーシャンアイラインドという感じで。日本にもこんなところがあるのかと。見るなり好きになったんです。小笠原は日本最後のフロンティアですよね。
―小笠原ではクジラにもイルカにも何度も会える。カメ肉も食べられる。カメステーキとかカメサシミとか。果物のグアバで作った麺があったり。東京から二十八時間半かかるのは島人には気の毒だよね。ニューヨークに行って帰って来られる時間なのに。
―そんな東京都があるんだよね。東京都は大海洋自治体なんだよ。そういう視点で見直してほしい。
―仕事ではデスクワークが多いですからね。ときどきフラストレーションがたまって、体のブレーカーがバタンと落ちちゃう。いったい仕事にピリオドを打って、無理やり島に行くんです。すると、自分の中のブレがピシッとなって、ナチュラルになって、元気に帰ってこれる。不思議ですが。(一部中略)

何年も前に買ったこの本を、どうして今頃になって思い出したかというと、前回書いた会社の先輩Oさんが、高知のとある島の出身だったからだ。実は最近、そのOさんの姿を、テレビ番組の中で見かけた…ような気がする。
あれは確か、南国の海のダイビングスポットを紹介するというドキュメンタリーものだった。何気なく見ていたその番組で、レポーターの女性を案内していた地元のインストラクターが、Oさんにそっくりだったのだ。
その後、Oさんも会社を辞めたという噂は聞いていたけれど…。「まさか!」と画面に見入っているうちに、当のダイビングスポットのある島の名前が紹介された。それは確かに、Oさんの生まれ故郷の島の名前だった。
タグ:加藤 庸二
posted by ふらら at 10:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評 旅・ひと・もの作り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月27日

「腹の底にとどく、本音の言葉」を求めて〜『ニッポンを解剖する』より

ニッポンを解剖する―養老孟司対談集ニッポンを解剖する―養老孟司対談集
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ケセン語という言葉がある。使用人口はわずか8万人足らず。岩手県の気仙(けせん)地方で話されている、いわゆる「東北弁」を体系化したものだ。

ケセン語の生みの親は、同地方で育った山浦玄嗣さん。本職である医業のかたわら、故郷の言葉の研究に取り組んできた山浦さんは、東北弁特有の発音を表すために、まず独自の文字を開発。25年の歳月をかけて、見出し語3万4000語、2800ページの『ケセン語大辞典』を完成させた。まさにライフワークとなったケセン語の由来について、山浦さんはこう話している。

ご存知のとおり、東北の言葉はズーズー弁といわれて、われわれは長い間、それはそれは悔しい思いをしてきました。とくに私が小学生のころ、国の教育方針は「方言撲滅」で、標準語こそ、唯一の正しく美しい言葉であり、方言をしゃべる者は無教養な愚か者だと言われていたんです。それが悔しくて、大人になって医者をするかたわら、気仙地方の言葉の研究を始めたんですけど、自分の言葉を「方言」なんていうケチな名前で呼びたくない。それで、「これは、日本語とも、フランス語とも対等の『ケセン語』だ」といったら、東大の教授をしておられた私の先輩がケセン語を「セケン語」と読みちがえまして。いや、まったくそのとおり、私は、私の「世間語」であるケセンの言葉で、自分の気持をきちんと表したいと思ったわけなんです。

ケセン語の文法理論をまとめあげた山浦さんは、その後、新約聖書のケセン語訳に取り掛かった。東北地方では珍しい、「生まれついてのヤソだった」という山浦さん。ケセン語を研究しようと思い立ったのも、もともと自分たちの言葉で書かれた聖書を作るためだったという。

いま教会でつかわれている言葉というのはおよそ日本語ではない、じつに奇妙な言葉が多いわけです。たとえば、「救いは神を畏れる人に近く、栄光はわたしたちの地に住む」。「栄光は地に住む」なんて、日本語として意味が通じないですね。「地は豊かに実る」というのもありますけれど、実るのは米やくだものであって「地」ではない。「わたしは生まれたときから悪に沈み、母の胎に宿ったときから罪に汚れている」なんて、何かの妄想じゃあるまいし(笑)。
こんなおかしな日本語でお祈りして、わかったような気になっているのはおかしい。ですから、これをなんとか自分たちにとって当たり前の言葉、ちゃんと腹の底にとどく、本音の言葉にしたいと思ったんです。(一部中略)

標準語訳の聖書をケセン語に直すだけではあきたらなかった山浦さんは、ギリシャ語の原典にまでさかのぼり、一から解読に取り組んだ。
やがて、『ケセン語訳新約聖書』が完成。そこでは、意味の分かりにくい「漢語」は全て、耳で理解できる平仮名の言葉に直されていた。「預言者」は「みこともち」、「天国」は「神様のお取り仕切り」、「洗礼」は「お水くぐり」といった調子だ。キリスト教の象徴のように思われている「愛」という言葉についても、「生活感がないので大キライです」と山浦さんは言い切る。

私、ずいぶん調べたんです、愛という言葉。世界最大の日本語辞典だという小学館の『日本国語大辞典』を見ると、愛するとは「自己本位的感情」とある。自己本位的な感情というのは、めんこいのはいいけどブスはイヤ、しかも、その「めんこい」と「ブス」の基準は自分のなかにあるというものです。つねに上から下への感情で、目下から目上に向かって使うことはない。まして、神様に対して使うなんてありえない。
だいたい、ヒゲ面のイエスとペトロが、「あなたは、私を愛するか」「主よ、あなたを愛します」なんて気持悪い(笑)。私の訳は、「おれを大事に思うか」「はあ、旦那様、おれァおめァ様に惚れておりゃす」。これなら、わかります。ケセンでは、男も男に惚れますから。(一部中略)

     ***

この『ニッポンを解剖する』は、もともとリービ英雄さんと養老さんとの対談が読みたくて買った本だった。けれど、他のラインナップも相当に粒ぞろいで、どの人の話を読んでもすごく面白い。上記の山浦さんしかり、瀬戸内寂聴さんしかり。他にも、干ばつに苦しむアフガニスタンの村で、水路を引く現場監督として慕われ、「アフガニスタンの方が日本より自由だ」と語る中村哲医師や、六十歳で政界を退いた後、念願の晴耕雨読の生活を楽しんでいる細川元首相などが登場する。
活字も大きめなので、ちょっとした空き時間にするするっと読める。気分転換にはぴったりの一冊。
posted by ふらら at 10:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評 ことば・詩・物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月30日

「僕」の誕生、内なる記憶の世界〜『ハルキ・ムラカミと言葉の音楽』

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20年前、初めて読んだ村上作品は『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』だった。当時、村上春樹の大ファンだった友達がいて、ほとんどの作品をその子から借りて読んでいた。その一冊目が、確かあの『世界の終り…』だったように思うのだ。
ピンク色の装丁に、奇妙な抽象画(村上氏自身の作だと後で知った)が描かれたハードカバーの『世界の終り…』は、たちまち私の愛読本の一つとなった。勢い余って『世界の終り…』をめぐる評論本にも手をのばしたけれど、そちらの方は今ひとつピンとこなかった。村上作品は、理屈ぬきで楽しめるエンターティメントなんだから、わざわざ小難しい解釈をつけて何になる…というのが、当時の私の青臭い反発の理由だった。以来、食わず嫌いを起こした私は、村上作品についての評論の類を一切読まなくなった。だから、この『ハルキ・ムラカミと言葉の音楽』は、私にとって20年ぶりに接する村上春樹論ということになる。
ノーベル賞がらみの話題につられて読み始めた本書だけれど、その面白さには正直びっくりした。村上作品そのものをあまり読まなくなって久しいせいか、処女作の『風の歌を聴け』から始まって、代表作のストーリーを年代順に丁寧に追っていくジェイ・ルービン氏の書評を読むうちに、何ともいえない懐かしさがこみ上げてくるのだ。
村上春樹の個人史や、創作の際の裏事情などが平行して紹介されているのもうれしい。たとえば、『世界の終りと…』については、村上氏自身のこんな言葉が引用されている。

 僕は次に『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』という長い題名の小説を書きました。日本の編集者は長すぎるので『世界の終り』だけにしてくれと言いましたし、アメリカの編集者は『ハードボイルド・ワンダーランド』だけにしてくれと言いました。翻訳をしたアルフレッド・バーンバウムは馬鹿げたタイトルだから全然別のものにしてくれと言いました。でも僕は『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』という題を変えることは絶対にしませんでした。これはあるいは長くて馬鹿げた題かもしれないけれど、これ以外にどのような題も思いつけなかったからです。
 この話は『世界の終り』という話と、『ハードボイルド・ワンダーランド』という話がかわりばんこに出てくる仕組みになっています。そしてそのまったく傾向の違うふたつの別の話が最後にひとつに重なるわけです。このような手法は、ミステリーやSF小説の分野ではよく使われている手法だと思います。たとえばケン・フォレットがよく使っています。僕は一度そういう手法を使って大がかりな作品を書いてみたかったのです…
 さて、この二つの小説がどのようにして最後に重なりあうのか、読者にはなかなか分からないような仕掛けになっています。実を言うと、書きはじめたときには、そのふたつがどういう風に重なりあうのか、僕にもまったくわからなかったのです。信じられないことですが、小説の半分を書きおえた時点でも、僕にはぜんぜん見当がつきませんでした。これは本当にゲームのような作業でした。スリリングであり、予想不可能な作業でした。そして書き終わったときには本当にくたくたに疲れたし、もう当分こんな書き方はしたくないと思いました。

こうした村上作品の「スポンティニアスな」成り立ちについては、ジェイ・ルービン氏も大いに注目している。さらに同氏は、作者自身も無自覚なうちに「内なる記憶の世界」から掘り起こされ、村上ワールドを形作っていく重要なキーワードのあれこれについても、至ってまじめな考察を展開していく。ただし、『羊男』や『象工場』、『ねじまき鳥』などの意味を読み解こうとする彼の試みは、作品そのもの、あるいは村上氏自身の発言から汲み取れる範囲にとどめられているようだ。そのせいか、ルービン氏が導き出す解釈は、当の作品を読んだことのある人なら誰でも「分かる分かる」とうなずいてしまうような、妙に親近感の湧く、それでいて説得力十分な内容となっている。
 
村上は作品中に現れる象徴の「意味」を、明かそうとはしない。それどころか、象徴ということ自体をそもそも否定している。1991年のボストン・マラソンの翌日にハーヴァード大学ハワード・ヒベット教授(日本文学)の授業で「パン屋再襲撃」をめぐるディスカッションに参加した際も同様だった。海底火山*は何の象徴だと思うかとの問いが学生たちに向けられると、村上は発言を求めて、火山は象徴ではない、火山はただの火山だ、と主張したのである。
 授業に出ていた研究者の一人は、学生たちに「あの人の話は聞くんじゃない! 何を言っているかわかってないんだから!」と声を高めた。活発な議論が展開した。村上の返答は、実に彼らしい率直なものだった。「あなたはお腹が空くと火山が思い浮かびませんか? 僕は浮かぶんです」この短編を書いたとき、空腹だった。だから火山が出てきた。すこぶる単純明快だ。
 空腹時に村上の心にどんなイメージが浮かぶかは別にして、「パン屋再襲撃」の文脈において海底火山が、過去に未解決のまま残されてきた問題を象徴していることは明白だ。無意識の中に留まり、いつ爆発して現在の静かな世界を破壊するかもしれない物の象徴だ。だが村上からすれば、それを象徴と名づけこのように定義してしまっては、そのパワーの大半が失われてしまう。ほかの作家たちと同じく、村上も、火山はただの火山としてなんの説明もせず、読者一人ひとりが心のなかでイメージをつくりあげるのを妨げはしないのである。

*作品中で、夜中にひどい空腹に襲われる「僕」の脳裏に浮かんだイメージ

他にも、あの簡潔な文体を完成させるために、村上氏が独自に積んでいたというトレーニングの内容や、いわゆる「春樹語」(「僕」が折々に口にする「やれやれ」など)が、翻訳書ではどのように表現されているか、など、裏話的なエピソードが随所で紹介されている。現役の村上ファンはもちろん、オールドファンにとっても、かなりうれしい一冊じゃないかと思う。
posted by ふらら at 10:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評 ことば・詩・物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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