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産経新聞の「生命ビッグバン」というコーナーで連載された、日高敏隆さんと篠田節子さんの「往復エッセー」をまとめた一冊。
「人間について」という大きなタイトルのもと、十代の若い人たちに向けて書かれた文章というから、どんな「清く正しいお説教」が語られているのかと思ったら、意外にも教訓めいた話は一切出てこない。たとえば、最初の篠田さんのエッセーはこんなふうに始まっている。
小学校の頃から、「こころ」という言葉が大嫌いだった。その言葉が大人によって吐かれるときは、たいてい何か説教されるときであったし、何よりその意味するところがひどく曖昧だったからだ。曖昧なままに、「こころ」という言葉が多用される道徳の授業はもっと嫌いだった。
連載第一回にして、これはいきなりな書き出しだ。具体的な打ち合わせをしないまま、篠田さんに先発をまかせたという事情もあって、さすがの日高さんも「さあ、どういう展開になるのだろう?」と驚いてしまったという。
「こころ」っていったい何だろう。脳が「こころ」を作っているなら、何も人間だけでなく、どんな動物にだって「こころ」はあるはず。じゃあ、動物と人間の違いって何だろう? 人間っていったいどういう動物なんだろう?
動物学者の日高さんは、「人間について」という抽象的なテーマから出発しながらも、次第に筋道だった、自然科学的な問いかけへと話を展開していく。たとえば、「脳より足が大事だった」という文章で、日高さんはこんなことを書いている。
ぼくが衝撃を受けたのは、十代の終わりごろに読んだ一冊の本だった。
人間がサルから進化して人間になったのは確かだけれど、ではどこから人間になったのかをきめようとするとむずかしい。いろいろ考えながら研究していくと、大事なのは脳ではなくて足だということになる。太ももの大腿骨がまっすぐになって、直立して歩けるようになったとき、人間は人間になったのだといえる。類人猿や人間に近いゴリラやチンパンジーでさえ、大腿骨が曲がっており、直立して歩いてはいないからだ。
この本にはこういうことが書いてあった。
ぼくは本当にびっくりした。脳より足が大事だなんて、それまで考えたこともなかったからである。
でも、まっすぐ立って二本足で歩くなんてたいしたことではないじゃないか。鳥なんてみんな二本足で歩いている。
けれどぼくはまたべつの本で、人間がまっすぐ立って歩くようになるには、体のたいへんな改造が必要だったということを読んだ。四つ足で歩いている動物たちは、その状態で頭が前を向いている。そういう動物がそのままえいっとまっすぐ立ったらどうなるか? 頭は真上を向いてしまうだろう。
でも人間はちがう。体はまっすぐ立っているのに頭というか顔はちゃんと前を向いているのだ。(一部中略)
この日高さんの文章を受けて、篠田さんはこんな原稿を書いている。
なんであんなことをしたのかわからない。子供のころ、四つ足で部屋の中を何周もしたことがある。もちろん手足の長さがそろっていないから、膝をつく。
それでは不器用な四つ足歩行をしてどこが辛かったか? 膝や腕ではない。首だ。前を向くために上に曲げているからだけではない。下を向いていても痛くなる。自分の頭が意外に重いことを知った。
とはいえ、背筋を伸ばした直立姿勢はなかなか難しい。人から美しく見られたいという見栄があればこそ、意識して人間らしい直立スタイルをとるが、くたびれて人目なんぞどうでもよくなると、アゴを突き出し、両肩を前に出し、我ながら限りなくオランウータンに近づいてくる。しかしこの類人猿スタイルもやってみればわかるが、四つ足と同じで長くは続けられない。首や肩や背筋が痛み出し、そのまま年をとれば腰がやられる。
こうしてみると直立するというのは、大改造された体で、絶え間ない訓練と修正をしながら危ういバランスを保っているスタイルではないか、と思えてくるがどうだろう。(一部中略)
この他にも、ニューカレドニアのレストランで「脳を食べた」という体験談、はたまた縄文時代の「勝ち組」は誰だったか、という考察など、びっくりするような視点から往復エッセーを肉付けしていくのが篠田さんの役回りだ。
学者と作家。観察者と表現者。ページが進むにつれて、それぞれの役柄の違いがモロに現れ、ぶつかり合っていくのがよく分かる。ティーンエイジャーの読者(あくまで、想定上は)の前で、何だか大人気ないほどのバトルを繰り広げる二人の、名人芸のようなセッションを楽しめる一冊だ。

















