
『よあけ』の中のたき火のシーン
(『絵本を読んでみる』123頁より)
…そのきれいなたき火の印象が、この『よあけ』のたき火の画面を見るとよみがえるんだ。夜明け少し前の朝、たぶん朝霧がたっている。そこにたき火の煙が一筋のぼっていく。この煙のたち方はほぼ理想的なたき火なんだよね。このたき火をみるだけで、このおじいさんがいかに人生を深く歩んできたか、ということがわかる。ぼくのたき火体験からわかるこのたき火のすごさ。この煙はそうだれにでもたつもんじゃない。(一部中略)
五味さんは、このたき火のシーンがある一頁をながめたいがために、『よあけ』の絵本を開いてみることがあるという。絵本の中には、そうした『一頁の力』を持つものがあって、「ある一部分が見たいがために一冊の絵本が存在するということも十分あり得るんだ」と五味さんは語る。「ぼくにとっては、この『よあけ』がまさにそういう本だ。たき火の一頁が核になって、『よあけ』という絵本がぼくの中で重要な本になる」。
―もしかしたら、この絵は作者がそんなに力を入れたところじゃないかもしれないけどね。それこそラストの劇的な日の出のための、ほんの伏線にすぎないのかもしれない。でも、そんなこと知ったことか、というのがぼくの読み方でね。
それにこの『すこし ひをたく。』という文章。この「すこし」に多大な意味をこめて読むことが可能だよね。遠慮するという意味なのか。必要なだけ、というニュアンスなのか。すぐ出かけなくちゃならないという意味合いもあるかもしれない。深読みすれば、このおじいさんの「人生の火」がもう少ないのかもしれない。あるいはおじいさんと孫の二人旅そのものが、何かしらの意味においてひそやかと言えるのかもしれない。またあるいは、すでに火に対して神的なものを見とらえていて、それゆえに「すこし」なのかもしれない。(一部中略)
とりあえず、この間のキャンプでは、それほど深い考えもなしに、ただぼうっと炎をながめていただけなのだけれど、それは、静かな夜/夜明けにしか焚くことのできない「きれいなたき火」の味わいを、再発見することができた貴重なひと時だったのかもしれない。
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