2006年08月01日

河合隼雄『こころの生態系』(1)〜アゲインスト・ネイチャー(反自然)

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自然でありのままの暮らしって、いったいどんなものなんだろうなあ、と時々思う。

もう何年も前のことになるけれど、ある海辺の村の廃校跡に作られた、不思議な民宿に遊びに行ったことがある。
民宿のご主人のKさんは、元は東京の出版社に勤めていたそうだ。けれど、アウトドア好きが高じて会社を辞め、家族を連れて村に引っ越してきたのだと話してくれた。

「この民宿に来た人は、何をしてもいい。自由にすること」
そんなKさんの言葉にうながされて、私たちはのんびりと自然の中での休暇を楽しんだ。Kさん一家と浜辺を散歩したり、シュノーケルで浅瀬にもぐってみたり、夕ご飯のおかずを釣りに行ったりしているうちに、相当楽しい時間が過ぎていったのを覚えている。

そんなとき、Kさんが、私たちにふとこんな質問をした。
「どう、こんなところで暮らしてみたいと思う?」
「そうですね」
私はとっさにうなずいた。休暇気分にすっかりひたっていたせいかもしれない。
「こんな自然いっぱいのところに住めたら幸せでしょうねえ」
「でも、あんまり若いうちから自然の中にいてもだめだろうね」
「は?」
「それだと、何にも分からないうちに幸せになっちゃうからね。若いうちはまだ街中にいて、いろいろがんばっておいた方がいいと思うよ」
意外な話の展開だった。Kさんが何を言いたいのか理解できなくて、私たちは顔を見合わせた。

****

自然に、ありのままに生きるのって、意外に難しいものだ。

人間はもともと自然の一部なんだから、ありのままに、自然に生きよう…と言ったら響きはいい。けれど、人間にはもともと「自然に反することをする性質」、つまりは「アゲインスト・ネイチャー(反自然)」の性質があるのだと、ユングの言葉を借りて説明している人がいる。心理学者の河合隼雄さんだ。

(その2につづく)
タグ:河合 隼雄
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2006年08月02日

河合隼雄『こころの生態系』(2)〜「何にもしないこと」の難しさ

こころの生態系―日本と日本人、再生の条件こころの生態系―日本と日本人、再生の条件
河合 隼雄 中沢 新一 小林 康夫

講談社 2000-10
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人として生きていく上で、私たちはいろいろと自然でないことをやっている。自然に反して、それを操作しようとするのが、むしろ人間にとっては自然なことなのだ、と河合さんは言う。
 二十世紀を特徴づけた言葉は、「オペレーション(操作)」ではなかったかと私は考えています。(中略)たとえば工学とか医学など、オペレーションに結びつく知というものが高く評価されるようになりました。私どもがやっているような文科系よりも、どういうものをいかにつくればたくさん売れるか、どれほど儲かるかということに結びつく知の方が、価値が高いとされてきたわけです。
 オペレートできるということは、こうすればこうなるという結果がはっきり出てくるということです。そして、望む結果に直接的に結びつく知は、みんながほしがります。いち早くそういう知を持った人が、それによって大きな利益を手にすることができるからです。それを早く持たなければ、乗り遅れ、取り残されてしまいます。
ところが、効率性を追い求め、オペレーション一辺倒になってしまった現代社会では、次第にバランスがくずれ、破壊が表面化するようになった。その端的なあらわれが、公害だったり、自然破壊だったりするのだという。
だからといって、自然そのものに帰ってしまったとしたら、人は社会で生きてはいけなくなってしまう。「オペレートしなければならないとき」と、「自然のままにまかせて、何にもしないとき」を、バランスよく見きわめなければならないが、これが非常に難しい、というのが河合さんの説明だ。
私がやっている心理療法の現場では、実際に何もしないことが多く、私は自分の職業を、「何にもしないことに全力をあげる商売」と言っていますが、これも、なかなか全力をあげられないのが現状です。
よく、何にもしないことに全然力を尽くさずに、何もしない人がいますが、これではだめです。何もしないということに全力がかかっていないと、何もしないということの意味がありません。ですから、何もしないことに全力をあげるには、相当の習練が必要です。何もしないでいいなら、私にもできるなどと思われがちですが、ことはそう簡単ではありません。
 簡単に言えば、「自分はやっぱり人間だなあ」と思うときは、オペレートしたらいいのではないでしょうか。うまくいっているときは、人間とかなんとかを意識しなくても、自然にしていればいい。「おれもやっぱり人間か」と思うとき以外は何もせず、人間と思ったときは、人間なりにやらせていただく。そして、人間なりにやらせていただくからには、責任は完全にとるということが大事ではないかと思います。(一部中略)
ふと思い出すのは、あの海辺の民宿で、沈んでいく夕日をじっと眺めながら、黙って長い時間を過ごしていたKさんの姿だ。何かを抱え込もうとするみたいに、ゆっくりと両手を広げたその姿は、まるで夕日から目に見えないパワーのようなものを受け取ろうとしているみたいだった。

現代社会で、「三年寝たろう」のように自然にまかせて、「何にもしない」で生きていくには、昔話の時代よりも、ずっと多くの習練を積まなければならないのかもしれない。少なくともKさんは、「全力で何にもしないこと」の難しさを、身をもってよく知っていたんじゃないかと思う。

(その3につづく)
タグ:河合 隼雄
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河合隼雄『こころの生態系』(3)〜「反自然」を学ぶこと

正直な話、私は一度、村暮らしをしようとして、見事にしくじった経験がある。

Kさんとの出会いから数年後、村での暮らしへのあこがれを募らせた私は、ある伝統工芸の村の研修館に通い始めた。同じような理由で全国から集まった仲間たちといっしょに、得がたい経験を積む毎日が続いたけれど、そんな楽しさは長くは続かなかった。
結局、わずか数年ばかりで、私は村を去ってしまったのだけれど、自分でもその本当の理由はよく分からない。「何にもない」山間での暮らしが、このまま一生続くのだということに、ふと恐怖心を抱いてしまったせいかもしれない。
あの日、Kさんから聞いた言葉が、妙に印象的に心によみがえってくるようになったのは、そんな失敗を経験した後のことだった。

「あんまり若いうちから自然の中にいてもだめだろうね」

そう言った時のKさんは、私の中にあった「田舎暮らし」へのあこがれの半端さを、すでに見抜いていたのかもしれない。

「自然でありのままの暮らし」に全力がかかっていないと、人は自然体にはなれない。電気もガスもないところで暮らしたら、誰でも自然な生き方ができる、というものでもないのだから。自然の中でのんびり暮らしているようでも、何かに行き詰まったときには、人はやっぱり「オペレート」をして、自然の流れに抗わないといけない。当時の私には、多分まだそれだけの準備ができていなかった。

思いつきや遊び半分で、自然の中への移住を考えるより、まずは自分が普段暮らしている場所で、しっかりと「オペレーション」を学んでおいで。Kさんは、そう言いたかったのかもしれない。
タグ:河合 隼雄
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2006年08月05日

本をつくる。(その1 季刊「銀花」)

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季刊「銀花」1994年夏・第九十八号
1994年05月25日発売

文化出版局 刊

あるとき、自分で本を作ってみよう、という気になった。
もちろん、いきなり本格的なハードカバーに挑戦するのは無謀だけど、素人の手作りでも様になりそうな、シンプルな製法のものから試してみたくなったのだ。

あれは確か、会社の先輩に紹介されて読んだ雑誌、季刊「銀花」に触発されてのことだったと思う。
当時のわたしが勤めていたのは、小さな広告プロダクションだった。ある社内報のリニューアルをすることになったとき、「新デザインのイメージ本」として、先輩がミーティングに持ってきていたのが「銀花」だった。

「古風でシンプルな編集が、かえって新鮮に思える雑誌」と先輩は言った。いったいどんな内容だろう、と特集記事のページをぱらぱら見てみると、「本工房の主人」という不思議なタイトルが目に飛び込んできた。
本工房? つまり、印刷から装丁まで、本作りの全てを自分一人でこなしてしまうということだろうか。
本はいかにして生まれるのだろう。かつて英国の詩人にして意匠芸術家ウィリアム・モリスは、本の退廃を悲しみ、理想の書物を作らんとプライベートプレスを創設した。時代と場所を飛び越え、現代日本の各地にも本に思いをこめる人々がいる。旅の思い出を本の中に永遠に封じ込めようとする者、また心酔する著者の書物に内容に見合う装幀を施す者…そこには人と書物が密にかかわる最も幸福なありようが、言い換えれば人と書物との原初のかたちが現れてはいないだろうか。…
巻頭の記事に魅入られるように、私はページをめくっていった。見れば、「理想の書物」と銘打ってあるだけに、どれも普通の作りの本ではないらしい。

本場フランス仕込みの格調高い工芸本。
小指の爪ほどの大きさしかない可愛らしい豆本。
艶やかなタイ・シルクでアジア風の趣を出した本。
アカシアの古木をそのままに生かしたブックケースに収まった本…。

大いに興味をそそられて、帰りに古本屋に立ち寄ったわたしは、運良く「銀花」のその号を手に入れることができた。(つづく)

(この記事は、別ブログ『掘れたて本』の記事を一部改変・転載したものです)
タグ:銀花
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2006年08月07日

「夕凪の街 桜の国」〜ヒロシマが広島に還るまで

夕凪の街桜の国夕凪の街桜の国
こうの 史代

双葉社 2004-10
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8月初めのこの時期のことを、「広島が『ヒロシマ』とカタカナで表記される時期」と言っている人がいた。そんな「ヒロシマ」の時期になると、ふと読みたくなってしまう作品がある。こうの史代さんの「夕凪の街 桜の国」だ。

みなもと太郎さんが、この本の帯にこんな推奨文を書いていた。

実にマンガ界この十年の最大の収穫だと思います。
これまで読んだ多くの戦争体験(マンガに限らず)で、どうしても掴めず悩んでいたものが、ようやく解きほぐせてきた思いです。
その意味でこの作品は、多くの記録文学を凌いでいます。…
この本を読み返すたびに、みなもとさんが言う「どうしても掴めず悩んでいたもの」とはいったい何だったんだろう、と考えてしまう。

こうの史代さんは、広島出身ではあるけれど、被爆者でも被爆二世でもない。あるとき、平和資料館の見学中にショックで倒れてしまってからは、原爆のことは「怖いという事だけ知っていればいい昔話」と思って、極力避けてきたそうだ。
けれど、東京で暮らし始めてから、広島と長崎以外の人は、原爆の惨禍について本当のことを知る機会がまったくないのだ、ということに気づき、編集サイドの励ましを受けて、この作品を書き始めたのだという。

たとえば、イラクから無事に帰国したけれど、熾烈な戦場の記憶から抜け出すことができず、日常生活に適応できなくなってしまった米の帰還兵のニュースをテレビで見たことがある。

それと同じように、普段明るく振舞ってはいても、被爆時の光景のフラッシュバックから逃れられず、「死んでしまった人たちを忘れ、自分だけが幸せになってしまうこと」にやましさを感じている"皆実"のエピソード(「夕凪の街」)から物語は始まる。

「夕凪の街」を読んで下さった貴方、このオチのない物語は、三五頁で貴方の心に湧いたものによって、はじめて完結するものです。これから貴方が豊かな人生を重ねるにつれ、この物語は激しい結末を与えられるのだと思います。そう描けていればいいと思っています。(作者あとがきより)
61年前のあの瞬間を生き延びた人びとが、その後の日々をどんなふうに過ごし、どんな思いで生きる力を取り戻して、今にいたるまでの人生を送ってきたのか。当時のヒロシマから、現在の広島市へと、淡々と続いてきたはずのそんな「戦後の日々」については、不思議に語ろうとする人は少ない。
「ミッシング・リンク」のようなヒロシマ〜広島間の日々のことを、理解するための大切なヒントをくれる。「夕凪の街 桜の国」は、そんな作品かもしれない。
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2006年08月10日

本をつくる。(その2 古布の和装本)

「本工房」の特集の中でも、特に心引かれた記事があった。川柳作家であり書家である古川妙子さんが、自作の川柳を書きとめて作っているという「古布の和装本」の話だ。

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季刊「銀花」第九十八号p.35より
『古川妙子の本』

あるとき、句集の発刊を思い立った古川さんは、近所の古老から和綴じの製本を習い覚え、手元にあった古布を使って百冊の和装本を作り上げたのだという。その表紙を飾った古布の柄は、一冊ごとにみな違っていたということだ。蔵の奥から出してきた着物の布や、天神市で買い求めた布。中には、道端で拾った布や、古い蚊帳をほどいて作った布もあったという。
『子持ち縞、よろけ縞、矢絣、友禅、絞り…』
昔ながらの名前を持つ百通りの布の柄を順に眺めているうちに、それぞれの本に書きとめる句が、自然と心に浮かんできたのだそうだ。

『夢の壁を自由に出入りする桜』

この句を生んだ古布の柄は、いったいどんな色合いに染められていたのだろう。

…記事にあった句集の写真を眺めながら、いろいろと連想を広げているうちに、自分でも和装本を作ってみたくてたまらなくなった。あいにく、和綴じの製本を手ほどきしてくれそうな古老の心当たりはなかったけれど、和風雑貨の店で手に入れた和装本を手本にして、見よう見まねで作ってみることにした。
同じ雑貨店で、古布や和紙のはぎれも手に入った。古風だけれど、眺めるほどに美しいはぎれの柄に嘆息しながら、木工用ボンドで厚紙に貼り付けて表紙を作る。乾いたものから千枚通しで穴を開け、手折りにした和紙といっしょに刺繍糸で綴じていった。

古川さんのように、粋な川柳を書き綴れるわけではないけれど、乳白色の和紙に筆ペンでつれづれの日記を書いていくのは新鮮な体験だった。できのいい本は取っておいて、折々のプレゼントにすると結構喜ばれた。そのうち、贈る相手のイメージに合わせて、方々から引用した文章をプリントするようにもなった。(その3につづく)

(この記事は、別ブログ『掘れたて本』の記事を一部改変・転載したものです)
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2006年08月12日

本をつくる。(その3 渡り鳥の伝説)

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エスキモーの民話エスキモーの民話
ハワード ノーマン Howard Norman 松田 幸雄

青土社 1995-07
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ある友達の誕生日に贈った和装本には、エスキモーの民話をプリントした。
インディアンの伝承についての本を愛読していた彼は、あるとき、自分の生まれ月のトーテムだという「スノー・グース(白雁)」の話をしてくれた。そこから、同じネイティブ・アメリカンであるエスキモーの「渡り鳥の伝説」を連想したのだ。
和装本に北米の民話という、考えてみればミスマッチな取り合わせだったけれど、作ってみれば、何だか明治時代の古い書物のような雰囲気が出て、それなりに様になったような気がしたものだ。

ハワード・ノーマンの『エスキモーの民話』から引用したその伝説は、渡り鳥が飛んでいく先々の世界のことをファンタジックな語り口で描いたものだった。クライマックスでは、いよいよ大海原(太平洋のことだろう)を飛びこえた先にある「この世の果て」の様子が語られる。
この海の向こうには大陸があるが、その大陸の向こうにはもう一つの海があり、その海の向こうは、鳥が飛んでいくことのできる限界である。そこでは、固い空が落ちてきて大地を打ち、跳ね返り、門の開閉は止むことがない。
 この門の向こうには鳥の国があり、鳥たちはそこへ冬に飛んでいく。だが、空がさっと落ちてくるので、多くの鳥はうまく飛び抜けることができなくて、罠にかかったときのように、門が閉まって捕らえられてしまう。この門の手前は、人間の背よりも高い潰れた鳥の厚い層によって地面が覆われていて、羽が絶えずそこいらじゅうをふわふわ飛び、風に流されている。
ナンセンスながら、どこか心に残る不思議な民話だ。本を贈った当の友達は、「何か深い意味でもあるのか」と首を傾げている様子だったけれど。

(この記事は、別ブログ『掘れたて本』の記事を一部改変・転載したものです)
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2006年08月15日

永遠が回帰するところ〜『時間についての十二章』(その1)

このお盆は、故郷の田舎に帰省してきた。
幼い頃、私が育った家は区画整理のために取り壊され、すでに跡形もないけれど、先祖代々のお墓は今も変わらず、里山の中にひっそりと眠っている。

あの村で暮らしていた頃は、こじんまりとした里山そのものを、みんなの共同の庭のように思っていた。あるとき、家の玄関先から、山の上で植林をしている数センチほどの父親の姿に向かって、
「おとうさーん、ごーはーんー」
と呼びかけたことがある。すると、こだまと一緒に私の声を聞きつけた父は、ゆっくりとこちらを振り向いて手を振ってくれた。

父が植えた杉の苗木は、今では立派に成長して、山一面のこんもりとした緑になっている。その様子を自慢そうに眺める父と一緒に、今年はひさしぶりに「花立て」に行ってきた。お盆の前に墓の掃除をすませ、花をお供えしてくるという昔ながらの慣わしだ。

日よけのために作業着を着込んで、蚊取り線香を下げた格好で山に上るのだから、まあ「暑くてしんどい」だけの伝統行事なのだけど、行く先々で昔の幼なじみに出会えたり、小さい頃に遊んでもらったおばあちゃんの元気そうな姿を見かけたりして、いろんな懐かしさの漂うひと時でもある。

「まあ、ふららちゃん、大きいなって! この間まで、まだこんな小さかったのになあ…」
おばあちゃんの脳裏には、まだ小学生ほどの私の姿がリアルに残っているようで、ほんの腰くらいまでの子供の背丈をジェスチャーしながらニコニコと笑ってくれた。

お年寄りの昔話、と言ってしまえばそれまでだけど、そこには、ずっと里山で暮らしてきたおばあちゃんならではの、不思議な時間感覚が流れているような気がする。内山節という人が、『時間についての十二章』という本の中で、そんな里山に流れる時間のことを書いていた。

(その2につづく)
タグ:内山 節
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2006年08月17日

永遠が回帰するところ〜『時間についての十二章』(その2)

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時間についての十二章―哲学における時間の問題時間についての十二章―哲学における時間の問題
内山 節

岩波書店 1993-10
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普段は東京で暮らしながら、折々に群馬の山里を訪れて、畑を耕すようになってから二十年以上になるという内山さんだけれど、里の人たちのユニークな時間感覚には、いまでも不思議な思いをすることがあるという。
…この浜平の集落に暮らすさとさんはとても記憶力のよい人なのに、私の村での滞在年数だけは不思議なほどによく間違える。
「二十年ばかりではすまなかろうに」
と言うのである。
 何度か同じような会話が交わされ、ようやく私にも何故さとさんがこのことだけは間違えるのかがわかってきた。
 山里に暮らす人々は、縦軸の時間と横軸の時間という二つの時間のなかを生きている。
内山さんによれば、縦軸の時間は、「西暦とか年号であらわすことができるような過ぎゆく時間」で、「けっして戻ってくることのない不可逆的な時間」だという。その時間軸にしたがって考えると、内山さんは「二十年と少し前からこの村を訪れるようになった」のだし、さとさんは何かの勘違いをしている、ということになる。たぶん、普通に「時が流れる」というときに、人が思い浮かべるような「時間」のことなんだろう。

ところが内山さんは、村でのんびりと畑仕事や釣りをしているうちに、「確かにもうひとつの時間世界が山里には存在している」ことに気づいたのだという。
 山里の春は、私がこの村を訪れるようになった二十余年間何も変わることはなかった。冬の間凍っていた畑の土が春の陽ざしをあびて解き放たれ、畑の片隅では梅が花をつけている。それはたちまち桜の開花期を呼びさまし、山桜が霞がかかったように森の中に咲き始める。
 面白いほどに昨年と同じ春が今年もあらわれる。毎年同じように野の花が咲きみだれ、梅や桜やツツジが咲いている。
 春が訪れたとき、村人は春が戻ってきたと感じながら、それを迎え入れる。去年の春から一年が経過したと感じるのは縦軸の時間のこと、もうひとつの時間世界では、春は円を描くように一度村人の前から姿を消して、いま私たちのもとに戻ってきたのである。一年の時間が過ぎ去ったのではなく、去年と同じ春が帰ってきた。時間は円環の回転運動をしている。(一部中略)
内山さんは、こうした永遠に循環する時間のことを、「横軸の時間」と言っている。一度過ぎ去ったら戻らない「縦軸の時間」よりも、里山で過ごす人にとっては、ずっと自然な時間感覚なのだと。

(その3につづく)

★今回、トラックバックをさせていただいたブログのページです。

LJ21事務局ドタバタ日記
『サーフィンと漁業の意外な関係 と 「里という思想」』
タグ:内山 節
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2006年08月20日

永遠が回帰するところ〜『時間についての十二章』(その3)

私の故郷でもそうだけれど、内山さんが通っている「浜平の集落」でも過疎化はすすんでいて、村人の数は年々少なくなっているという。「ところが面白いことに、浜平は維持できなくなるかもしれないという危機感は、村人にはあまり強くない」と内山さんは言う。
論理的に考えるときには、村人も浜平の危機を感じている。論理的な思考のなかでは不思議に縦軸の時間があらわれてくる。そうするとあと二十年もすれば二、三人しか残らない浜平がみえてくる。ところが自然な感覚のなかでは、永遠に浜平の春が回帰し、そのなかで村の営みも回帰しつづけるような感覚が支配するのである。さとさんが数えられないほどの昔から私が村に来ていたとつい感じてしまうように。
いつも、故郷を訪れる前は、「今年はもう、昔のようじゃないかもしれない」という不安のようなものを感じる。いつまでも、あの里山が、私が暮らしていた当時の情景を残していてくれるとは思えなくて、「やがてはきっと失われるもの」として、幼かった頃の思い出をたどっていることがある。

久しぶりに帰った村を歩いてみれば、いつの間にか切り倒されてしまった桜の木もあるし、閉店してしまった雑貨屋もある。父の白髪もずいぶんと増えた。

でも、十数年前と少しも変わらない「花立て」に行き、まだまだ元気そうなおばあちゃんに、「ふららちゃん、大きなったなあ」と呼びかけられたとたん、忘れてしまっていた「永遠に循環する時間」の感覚が、ふっと蘇ってきそうな気がする。何が変わっても、何かが失われても、面白いほどに今年と同じ春や夏が、また来年もこの里山に戻ってくるに違いない、という感覚が。
タグ:内山 節
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