2007年04月03日

夢を生きる人、巡礼する人

先週末は、お祭り見物のために和歌山に出かけた。北大阪の桜はまだ六分咲きというところだったけれど、和歌山市内ではさすがに見事な満開で、足をのばしてお城界隈のお花見へ。ついでに、近くにあった県立博物館にも寄ってきた。

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和歌山といえば、紀伊山地の霊場とその参詣道「熊野古道」が、数年前に世界遺産に登録されて話題になった。その際、博物館の展示も一新されたようで、紀の国にまつわる曼荼羅や絵巻物のスライドが、特殊なライティングで照らし出された様子は壮観だった。

そういえば、先日行った「みんぱく」の『聖地★巡礼』展でも、フランスからスペインへと続く有名な巡礼道のルポを見てきたところだ。世界中から集まった人々が、中世から変わらない石だらけの小道をたどり、あるときは森の中、あるときは広々とした牧草地を横切って、ヨーロッパの西の果てにある聖地、サンチャゴ・デ・コンポステラへとたどり着く…。その様子とイメージをだぶらせながら、日本を代表する巡礼道の一つ、熊野古道の展示を見るのは楽しかった。

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もう一つうれしかったのは、明恵上人の『樹上座禅像』の複製が展示されていたことだ。たまたま、河合隼雄の『明恵 夢を生きる』を読んだばかりだったので、何だかラッキーな偶然に恵まれたような気がした。もっとも紀伊山地は、山中で厳しい修行を積んだ明恵ゆかりの地なのだから、和歌山の博物館にこうした展示があるのは当然かもしれない。

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明恵上人は、鎌倉の時代にあって、夢が人の心におよぼす重要な働きをすでに理解し、仏教の修行の一環として、生涯に渡って夢を記録し続けたという稀有の人だ。その『夢記(ゆめのき)』を、河合氏が長年の臨床経験を元に解き明かし、明恵という人の心の内面に迫ったのが『明恵 夢を生きる』なのだから、一読しただけではその内容を語れそうにもない、というのが正直なところ。
ただ、河合氏が本書を通じて教えてくれることの一つは、「夢を生きる」ことの意味深さだ。たとえば河合氏は、マレー半島の少数民族、セノイ族に伝わるという「夢分析」の習慣を例にあげている。

セノイ族は夢を非常に大切にする。朝食の時間に、年長者は幼少の者たちの語る昨夜の夢について耳を傾けて聞いてやる。そしてたとえば、小さい子が、どんどん下に落下していく夢を見て怖くて目が覚めてしまったなどと語ると、父親は「それは素晴らしい夢を見たものだ。ところで、おまえはどこへ向かって落ちていった? 途中でどんな景色を見た?」と聞く。子どもが怖くて何も見ない前に目が覚めてしまったと言うと、それは残念なことなので、次に機会があれば、もっとリラックスしてよく見てくるようにと励ますのである。
そんなことをしても何もならないと思われるだろうが、実際に、その子は次に落下の夢を見たときは、睡眠中でも前に言われた父親の言葉がどこかに残っていて、落下を恐れず、それをより十分に「体験」できるようになるのである。そして、その内容を報告すると、年長者はそれを詳しく聴いてくれ、次の体験へとつなぐような助言を与えてくれる。まさに、セノイ族の人たちは「夢を生きる」ことを文字通り行っている。

これと同じように、夢を通して「無意識」に働きかけよう、そうして真の個性を生み出そう、と試みたのがユングだった。『それと同様のことを、明恵がすでに十三世紀に行っていたということは驚異的なことと言わねばならない』と、河合氏は言う。

「仏教の修行」というと、一般人にとっては何だか縁遠いもののように思える。けれどもそこには、多くの人が体験する心の成熟のプロセス、言ってみれば「自分探しの旅」に通じるものがあるのかもしれない。ちょうど、サンチャゴ・デ・コンポステラへの遠い道を歩く人が、巡礼のいいところは、自分自身と向き合えることだ、人のこと、自分のこと、人生全部を振り返るんだ、と語っていたように。

そんな自由な解釈さえ許してくれる河合氏の『明恵 夢を生きる』は、仏教について何も知らない私にとっても、忘れがたい印象を残してくれた。これからも、折に触れて読み返しながら、少しずつ理解を深めていきたい一冊。

明恵 夢を生きる明恵 夢を生きる
河合 隼雄

講談社 1995-10
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2007年03月09日

中古のバンが、我が家になった〜原田純夫『パパは動物カメラマン』より

パパは動物カメラマン―北米大陸ファミリー・キャンプ旅行記パパは動物カメラマン―北米大陸ファミリー・キャンプ旅行記
原田 純夫

地球丸 1996-09
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『ナショナル・ジオグラフィック』という雑誌がある。アメリカの有名な写真誌で、主なテーマは自然や地球環境、そして探検だ。
この『ナショナル・ジオグラフィック』に作品が載った日本人の写真家は、これまで三人しかいないという。故星野道夫さんと、岩合光昭さん、そして原田純夫さんだ。

二人のビッグネームに肩を並べる原田さんとは、どんな人なんだろう。一体どんな風にしてアメリカ在住の写真家になり、野生動物を追って北米大陸を旅するようになったのか…その一部始終を、原田さん自身がユーモラスに語った一冊が、この『パパは動物カメラマン』だ。

ニホンカモシカの近縁種といわれるマウンテンゴート(シロイワヤギ)。全身真っ白な長毛に覆われた、この野生のカモシカを追って、初めてロッキー山麓を訪れた原田さんは、その生きざまにすっかり惚れ込んでしまった。

僕はアマチュア・カメラマンだが、ゴートの写真集は最高のものを作りたい。ゴートの魅力を100パーセント伝えられるものを作りたい。単に美しいとか、かわいらしいというだけではなく、彼らの生きざまのすべてを人々にぶつけたい。どこまで妥協せずに写真を撮り続けられるか、それが僕のゴートに対する気持ちだと思う。

当時、原田さんは結婚したばかりで、娘の萌さんはまだ1歳だった。東京で日々の暮らしに追われていたけれど、そのうち『ゴートの病気がおさまらなくなってきた』。妻の公美さんに再度のアメリカ行きを相談すると、家族全員で行くなら、という条件付きでゴーサインが。こうして原田さん一家は、ゴートを追ってアメリカ、カナダ、アラスカを横断する、8カ月の子連れキャンプ・ツアーに出発することになった。

現地についた原田さんは、まず中古のバンを買い、簡単な改造をして三人の「家」を作った。8カ月の滞在の総予算は100万円、1カ月あたりの生活費はわずか6万円。近くの渓流でトラウトを釣ったり、現地の人があまり食べないイクラを譲ってもらったり、時には交通事故死したシカを拾って解体したりと、サバイバルな日々が続いたという。

そんな暮らしのなかでの最大のぜいたくは、「時間はすべて僕たち三人のもの」ということだと思う。つまり家庭外から時間に追われることがないのだ。その日の天候、ゴートの状況、食料事情、夫婦ゲンカの程度などによって、撮影、家族ハイク、買い出し、白昼ビール大会などが決定されるのである。

一方で、野生動物の気配を少しでも感じると、原田さんはもう自分を抑えられなくなる。凍えるような突風の中でも、防寒着を着せた萌さんをキャリーで背負い、危険な山道を越えて彼らを追わずにいられない。

ジャコウウシの群れが入っていった小沢を、台地の上から先回りして上流で待つ。
萌はようやくキャリーから開放され、コケの絨毯の上でぎこちなく歩いている。僕たちはジャコウウシの進路が変わらぬことを祈りつつ、ベリーを摘みながら待ちつづけた。
最初の一頭が小沢のカーブから出現した後、彼らは次々と姿を現した。流れに沿って生えている小さなヤナギを採食しながら、ゆっくりとこちらに向かってくる。
大きな顔に、曲がった白い角。背中から地面近くまで伸びた長い毛。全体が毛の塊のようで動きが鈍く見える。そして不気味な力強さを感じる。
ジャコウウシは、マンモスがいた時代から、この不毛の地で生きながらえているのだ。
彼らは採食を続けながら、なおも近づいてくる。ちらりちらりと、こちらを気にしている。公美は万が一の突進を心配しはじめているが、萌は「モウモー、モウモー」と興味深げだ。
近すぎる。先頭の大きな雌ウシがこちらを凝視している。
まずい、もう退こう、と僕が思ったとき、その雌ウシはブルルルと低い息の抜けたような声を発した。それと同時にほかの九頭のジャコウウシたちと走り去った。長い毛をなびかせ、ツンドラの上を舞う姿は、さながら、しし舞いのようだった。(一部中略)

このツアーを契機に、動物写真家として生きていくことを決意した原田さんは、公美さんと萌さんを連れてアメリカのモンタナ州に移住。本格的にゴートを追う毎日を送り始めた…という報告で、『パパは動物カメラマン』は終わっている。

本書の初版発行は1996年だから、すでに10年が経っている。あれから、原田さん一家はどうなっただろう。今も北米で暮らしているんだろうか。そうして、夢のゴート写真集は?…どきどきしながらネットで調べてみると、原田さん運営のオフィシャル・サイトに行き当たった。

その後、原田さんはモンタナに家を建て、家族と一緒に野生動物の写真を取り続けているということだ。ゴートの生態はもちろん、モンタナの雄大な自然や、現地の暮らしぶりを伝えた本を、さらに数冊出版されている。
公式サイトには、原田さんの現在の写真が掲載されていた。『パパは動物カメラマン』当時のあごひげは無くなっているけれど、ロッキー山麓の雪原の中で、今も変わらない夢を追い続けている原田さんの姿がそこにあった。

モンタナの風モンタナの風
原田 純夫

新潮社 2002-04
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2007年02月26日

『言葉のなかに風景が立ち上がる』

言葉のなかに風景が立ち上がる言葉のなかに風景が立ち上がる
川本 三郎

新潮社 2006-12-27
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「境界線上にある風景」が好きだと、川本三郎さんは言う。普段の生活から少し遠ざかった、けれども全くの別世界というわけでもない、「こちらと向う」の中間にある、グレーゾーンの風景が。

 北海道の富良野に移り住み、廃校になった小学校で暮らしている孤高の画家、奥田修一さんに、「どんな風景に惹かれるか」と聞いたところ、「畑と森がぶつかりあうようなところ、人間の手が加わったところと、手があまり加わっていないところが接した中間の風景」と答えられた。
 ああ、まさにそれだ、自分が好きな風景もと思った。絶海の孤島や人を寄せつけない秘境の山ではない。大草原のなかに地平線に向かって一本道がどこまでも伸びている。麦畑の向こうに鉄道の線路が走って、そこを列車が走ってゆく。海辺にぽつんとひとつ灯台が立っている。エドワード・ホッパーやアンドリュー・ワイエスが描いた、そんな風景にこそ心惹かれる。
 現実の暮らしをしている人間、日常の営みを大事にしている人間が、ふと空を見上げる時に感じるような透き通った気持が、中景という境界線上の風景を引き寄せる。(一部中略)

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普段の暮らしの中から、ふとしたきっかけで現れる「中間の風景」を求めて、現代作家の小説を「散策」する…そんな試みから生まれたのがこの一冊だ。

本書のなかで、川本さんが最初に取りあげているのは『鳥たちの河口』。長崎の海辺の町、諫早町で育ち、そこを舞台にした小説を書き続けたという作家、野呂邦暢さんの作品だ。

地方都市の放送局に勤めるカメラマンだった主人公は、ある不幸な出来事から退職を余儀なくされる。放送局に行かなくなった「男」が惹きつけられたのは、町はずれにある河口と、その先に広がる海だった。
 
秋から冬にかけて河口には、シベリアあたりから渡り鳥が飛んでくる。広大な葦の原が鳥たちを外敵から守ってくれる。男は毎日のように河口に出かけては、鳥たちを観察する。日常生活から離れた男のところに、静かな風景がゆっくりと近づいてくる。男と風景との交感が始まる。
 ある日、男は、焚火をするために浜辺で流木を集めている時に、見なれない黒い鳥が波打際に横たわっているのを見つける。銃弾で撃たれている。男は、鳥を家に連れ帰り、傷の手当てをしてやる。図鑑で調べ、中央アジアの広い内海に棲むカスピアン・ターンという名の珍しい鳥だと知る。冬季には、インドやタイへ渡る。その鳥がコースを外れて日本の町の干潟にやってきた。
 地球環境の変化で方向感覚がおかしくなったらしい。男は、群れから離れ傷ついた鳥に自分の姿を重ねたように必死に介抱してやる。二十日ほどたって、鳥はなんとか体力を回復する。妻と共に男は、鳥を空へ返してやる。男もまたこれから新しい職を見つけなければならないだろう。

この河口は、野呂さんがよく散策に出かけた諫早町の河口がモデルになっているのだそうだ。カスピアン・ターンを救った主人公は、河口に広がる干潟が、埋め立て計画によっていずれは消えてしまうことを知っていた。それは、野呂さんが愛してやまなかった有明海の干潟が、2000年に消失してしまった事実と重なっている。

消えゆく風景だからこそ、男は、挽歌を歌うように、そのなかに身を溶け込ませていった。そして野呂邦暢は、自分だけの地図を作ったように、小説のなかに、河口の風景を永遠に封じ込めたのである。

もう随分と長い間、小説らしい小説を読んでいなかった私は、この本の中で紹介されている作家の大半を知らなかった。現代作家が描く「風景」の魅力を、改めて教えてくれたこの本は、それこそ、懐かしい風景に出会った時のように、貴重なひとときを私に与えてくれた。これからの読書の指南書となりそうな、深みのある一冊。
posted by ふらら at 10:46| Comment(6) | TrackBack(0) | 書評 ことば・詩・物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月19日

「わかりきったこと」を揺るがす〜『暮らしの哲学』より

暮らしの哲学―やったら楽しい101題暮らしの哲学―やったら楽しい101題
ロジェ=ポル ドロワ 鈴木 邑 Roger‐Pol Droit

ソニーマガジンズ 2005-02
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純粋に、気晴らしのために書かれた本というのがある。この『暮らしの哲学―やったら楽しい101題』もその一つ。
テーマは、「日常のなかの冒険」だ。歩く、水を飲む、バスを待つ、電話をかける、カフェに入る…。何でもないように思える動作や行動でも、「ちょっとしたきっかけをつくる」ことで、思いがけない驚きや発見の源になる、と著者のロジェ=ポル・ドロワさんは説明している。
もしも、どこへ行く当てもなく地下鉄に乗ったら…。真夜中にふっと目覚めたとき、そのまま家の中を歩いてみたら…。自分とは違う、別の人になりきってみたら…。冷たい水の中にいきなり潜ってみたら…。
こうした「ちょっとしたきっかけ」について、101通りのヒントを与えてくれているのがこの本だ。そうして、繰り返し勧められているのは、「かならず自分で実際にやってみる」ということ。

実践してみることによって「わかりきったこと」の実体が剥がれてくるのを実感してください。これは、哲学の歴史が始まって以来、つねに大切なことです。実際に位置をずらしてみる。横向きに歩いてみる。視点を変えてみる。はじめはごく小さな変化にすぎなくても、実際にやってみることによってひとつの事柄をまったく別の角度から見ることができるのです。

読んでいるだけでも十分に楽しめそうな内容だけれど、せっかくなので、自分でもできそうなものを探してみる。
たとえば、「寝ころんで星空を眺める」。じっと眺めているうちに、天と地がひっくりかえって、身体が高いところを漂っているような感覚が味わえる…という話は興味深いけれど、さすがに夏がくるのを待って試したほうがよさそうだ。
そこで、「同じ単語を繰り返す」というのをやってみる。身近にある物をひとつ手に取って、じっと見つめながら、その名前を繰り返し、くりかえし呼び続ける。そのうち、「物の名前から、意味が逃げ出す」ような感覚が味わえるというしかけ。
これは、効果てきめんだった。ちょっと長めの名前を選ぶと、成功率が高まるみたいだ。朝起きぬけで、まだアタマがぼうっとしている間だとさらにいい。この間も、「シナモンシュガー」と「鼻炎ソフトカプセル」で試してみたら上手くいった。

いっぽう、一読して心に残るものがあったのは、「人類を何かのまちがいと考える」というもの。期待できる効果は、「すがすがしくなる」。

 私たちは、人類は特別な存在であるとさんざん聞かされてきました。世界の中心。神の子たち。進歩のベクトル。人類の存在が、神話や宗教によってたたえられるあまり、犯した失敗、品性の卑しさ、延々と終わらない戦争、数知れぬ恥辱のほうは顧みられなくなっています。
 一度、私たちの存在意義を完全に無視してください。人類は創造主の失敗であり、生物学的な事故であると考えてみるのです。宇宙のはずれの、石ころのようにちっぽけな星で、無秩序に発展してきた人類。無分別に繁殖し、環境を破壊し、虐殺、飢饉、圧政を繰り返し、そうしていつか永久に滅びる存在。
 正当化の余地のない、非常識ではかない存在を正面から見すえてください。人類には根本的に存在理由も将来もないというこの考えを、じっと我慢する訓練をしてください。そうすると心が穏やかになってきます。なぜなら、この無意味と恐怖があるからこそ、人類が生み出した崇高なものが、このうえなく貴重に思えてくるのです。完璧な音楽、忘れられない絵画、大聖堂の栄光、詩人の涙、恋人たちの笑い声…。これらはいずれも人類という誤りから生まれたものです。そして、そのどれもがすばらしい驚きの源なのです。

「客観的に見れば、なんてことはない平凡な自分」に、改めて向き合うのは厳しいことだ。それを、わざわざ地球規模で体験してみようという、スケールの大きい想像力。そうして、その先に見えてくる、気晴らしにしてはあまりに壮大すぎる救いのイメージ…。
個人的には、この方法がけっこうマッチして、思わず胸がじんとしてしまったことを告白しておく。哲学って結構おもしろいかも、と思わせてくれる不思議な味わいの一冊。
posted by ふらら at 10:14| Comment(6) | TrackBack(1) | 書評 こころ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月13日

梅見に行ってきました

今週の「よんどこ」はお休みです。

この連休中に、京都の北野天満宮へ梅見に行ってきました。
今は、ちょうど「早咲きの見ごろ」だそうです。

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天神さん名物の、角つき狛犬も梅の下。

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おみくじも引いてみましたが、凶でした。ためしにもう一度引いてみると、今度は大吉が出ました。間を取って、まあ吉といったところでしょうか(笑)

「とっとこ」にも関連写真をアップしていますので、
どうぞご覧ください。
タグ:梅見
posted by ふらら at 10:58| Comment(2) | TrackBack(0) | お知らせなど | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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